【特集】森永ヒ素ミルク事件 未開封缶などの史料公開で反響は…被害者「僕の68年間は何だったのか…二度と起こしてほしくない」 岡山

68年前の1955年、乳児が飲む粉ミルクに猛毒のヒ素が混入し、大きな健康被害をもたらした「森永ヒ素ミルク事件」。
岡山大学医学部の医学資料室では、ヒ素が混入した未開封の粉ミルク缶などを全国で初めて一般公開し、多くの人が見学に訪れています。

(岡山大学医学部 医学資料室/木下浩 室長補佐)
「未開封のものはいろいろ調べた範囲ではない。ということはおそらくこれが唯一のもの。後ろにロットナンバーがあります。ロットナンバーを調べたところ、明らかに(ヒ素が)混入されていたものということが分かります」

1955年、企業のずさんな安全管理によって、森永乳業徳島工場で製造された粉ミルクに猛毒のヒ素が混入。

岡山県でも乳児の皮膚が黒ずんだり、肝臓が腫れたりするなど、ヒ素中毒の症状が相次ぎました。当時の被害者は1万2千人以上、そのうち130人の幼い命が犠牲となりました。

(岡山大学医学部 医学資料室/木下浩 室長補佐)
「9月の終わりぐらいまでで、約70人の方が見学に来られました。実際に被害に遭われた患者さんが、『私は見たことないから見に来たい』とか、『カルテを見たい』ということで見に来られた方がたくさんいます。また機会があればもちろん展示していこうと思いますが、いったんここで閉じて、きちんと保存して未来に残していこうと思っています」

68年の時を経て、全国で初めて一般公開された未開封の粉ミルク缶と患者のカルテ。

9月5日には明治大学で現代社会学を専攻する学生たちが見学にやってきました。学生たちは、事件について理解を深めようと、岡山県の被害者を訪ねました。

(森永ヒ素ミルク事件の被害者/菅野孝明さん)
「乳児で死んだ人、大きくなれずに死んだ人、今でも施設に入っている人こういう人がいっぱいいるんです。この人たちのためにも私たちのためにも後世の人に知っていただきたい」

事件から14年が経った1969年、被害者に重度の知的障害や身体障害を含むさまざまな後遺症がみられるという調査結果が発表されました。
それまで、被害者の健康被害は放置されていたといいます。

(森永ヒ素ミルク事件の被害者/菅野孝明さん)
「医学界の権威の先生たちが『後遺症もなく、みんな完治したんだ』という結論を導き出していましたので、もう終わった事件だと。どこのお医者さんに行ってもちゃんと見てもらえない」

被害者の菅野孝明さんは一命を取り留めたものの、3歳ごろから重度の小児ぜん息を患い、入退院を繰り返しました。

学生「親が粉ミルクを飲ませたことについて、どう思っていたか聞いたことはありますか?」
菅野さん「『元気になれ』と飲ませたのに毒だった。そのせいで子どもがどんどん弱っていく、それは親にとっては一番つらかった。ヒ素ミルクの話が出るたびに、母親は自分自身をずっと責め続けた。ですから親が一番の被害者だと思います」

菅野さんは、子どものころにいじめを受けていたことも明かしました。

(森永ヒ素ミルク事件の被害者/菅野孝明さん)
「何か悪いものがうつるんじゃないかとか、体中に夏になるとおできがいっぱいできたんです、頭なんででこぼこになるぐらい。学校行ってもみんなにいじめられて。やっぱり膿が出ていると汚がられる。『絶対変な病気だ』とかそういうことを言われました」

後遺症が発覚した後、親たちは粘り強く活動を続け、全ての被害者が生涯にわたって救済を受けられる仕組みを実現しました。

被害者団体は親から子へと引き継がれ、今は高齢化に伴う最終的な救済の方向性について話し合いを続けています。

(守る会 岡山県本部/森脇良明 委員長)
「継続するということが想定できたら、2040年をめどに解散するという方針でいる」

(明治大学の学生は―)
「『親が一番の被害者だ』という言葉と、子を救い守るためにぶれずに運動が続いてきたということが一番印象に残りました」
「事件や被害者のことが忘れ去られてしまうとか、風化してしまうことが一番あってはならないことだと思って、皆さんのお話をしっかり伝えていかないといけないと強く感じました」

学生たちは研究の成果を論文にまとめ、被害者にも伝えることにしています。

(森永ヒ素ミルク事件の被害者/菅野孝明さん)
「若い方がこういう事件、公害事件と救済の活動について興味を持っていただくのはとてもいいことだと思います」

9月25日には広島県から13人の被害者が見学に訪れました。

(森永ヒ素ミルク事件の被害者)
「母が家へ帰ったら、(ヒ素中毒の症状で)私が真っ黒になっていた。私はもっとひどくなって死んでいたかもしれない」
「『ミルクを飲まないと大きくなれないから』と言って(飲ませた)……だから親もすごい後悔してね」

(岡山大学医学部 医学資料室/木下浩 室長補佐)
「まだ皆さんご存命、関係者の皆さんはご存命です。つまり事件はまだ終わってないんですよね。なのに忘れ去られていく。そうすると、新しい史料が見つかったらそれをちゃんと公開して世に問うことがやっぱり大事なんですよね」

(森永ヒ素ミルク事件の被害者/花田美恵子さん)
「私たちはいつか死にますけど、私たちが死んで終わりではなしに、こういう食品公害はみんながこれからも考えていく、起こさないことが大切ということを広めてほしいです」

(森永ヒ素ミルク事件の被害者/池田光さん)
「僕の68年間は何だったのか、毒が入ったミルクを飲んだために障害を受けた。もっと違う人生があった。見ると悔しい。この展示を皆さんに公開して(同じような事件を)二度と起こしてほしくないと思います」

【10月17日追記】岡山大学は反響を受け、史料の公開を2024年3月末までに延長することを決めました。見学は予約制です。

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