ジェバリも続け!アジアを除くJリーグ在籍時に日本代表と対戦した外国籍スター選手4人

キリンチャレンジカップ2023チュニジア戦が17日午後7時10分に兵庫・ノエビアスタジアム神戸で開催される。

前回対戦は昨年6月に0-3で大敗している相手だけにリベンジを果たして、来年1月開催のアジアカップに向けて勢いづけたい。注目はJ1ガンバ大阪FWイッサム・ジェバリとの対決であり、前回対戦では3失点目を右足で決められた。Jリーグクラブに所属するジェバリが再び日本の前に立ちふさがる。

Jリーグ在籍時に日本代表と対戦した外国籍スター選手4人をピックアップした(アジア地域の選手を除く)。

実は2度も戦ったカメルーンの英雄

パトリック・エムボマ

国籍:カメルーン

対戦時のチーム:東京ヴェルディ

キャリアを始めたフランスでは思うような活躍を果たせなかったが、1997年にJ1ガンバ大阪に移籍するとその潜在能力を開放した。尋常じゃない身体能力と並外れた得点能力で、1997年シーズンにリーグ戦28試合25得点を挙げてJリーグ得点王の座についた。

エムボマと日本代表との対戦は2001年に新潟県で開催されたコンフェデレーションズカップグループリーグ日本戦で90分出場したが、このときはイタリア1部パルマ所属だった。

2度目は東京ヴェルディ所属時の2003年11月19日に大分で開催された国際親善試合で、80分出場した。日本代表戦ではゴールを挙げるシーンはなかったものの、Jリーグで活躍するエムボマとの対戦は当時大いに盛り上がった。

デビュー戦が日本代表戦

セイドゥ・ドゥンビア

国籍:コートジボワール

対戦時のチーム:徳島ヴォルティス

2005年に18歳ながら国内リーグ得点王に輝いたドゥンビアは翌シーズンから柏レイソルに入団するも、中々秘めた実力を発揮できずにいた。2008年に徳島ヴォルティスへ期限付き移籍で加入すると、スピードを生かした攻撃でリーグ戦16試合7得点と躍進した。

2008年5月のキリンカップコートジボワール戦で当時のコートジボワール代表指揮官であるヴァイッド・ハリルホジッチ監督が日本でドゥンビアが日本でプレーしていることを知って緊急招集。背番号10番を与えられ、7分間プレーした(試合は0-1で敗戦)。

その後ドゥンビアはスイス、ロシアで得点王に輝き、2015年にはイタリアの名門ローマへ移籍するなど魅力的なキャリアを歩んだ。実は2010年の南アフリカワールドカップ直前に日本と再戦しており、2-0でデビュー戦のリベンジを果たしている。

日本とは4戦全勝の闘将

ドゥンガ

国籍:ブラジル

対戦時のチーム:ジュビロ磐田

強烈なキャプテンシー、シンプルながら基礎技術に優れた堅実なプレーなどで長きに渡ってブラジル代表を統率してきたドゥンガは、代表通算91試合6得点を挙げて1994年ワールドカップ制覇などセレソンに輝かしいタイトルを届けてきた。

日本とは通算4度対戦しており、全ての試合で日本に勝利を挙げている。最初の対戦はイタリア1部フィオレンティーナ在籍時の1989年7月23日に1-0、2度目はドイツ1部シュトゥットガルト在籍時の1995年6月6に3-0で一蹴した。

1995年7月にジュビロ磐田へ加入し、入団から1カ月後の8月9日に日本を5-1で粉砕した。4度目の日本戦は1997年8月13日に行われ、ブラジルが3-0で完勝。クラブでも、代表でも日本人を圧倒する活躍により実力を証明してみせた。

代表ラストマッチで日本と真剣勝負

ドラガン・ストイコヴィッチ

国籍:ユーゴスラビア(現セルビア)

対戦時のチーム:名古屋グランパス

ユーゴスラビア最高のタレントと絶賛されたストイコヴィッチは、魔法のようなテクニックと比類なき創造性と華麗なプレーで世界を魅了した天才だ。セルビアの名門ツルヴェナ・ズヴェズダで5人しか与えられていない10年紀ごとに大きな功績を残した選手に与えられるズヴェズディナ・ズヴェズダ(星人)の称号を史上最年少で与えられた。

1994年に名古屋グランパスへ入団したストイコヴィッチは加入当初慣れない環境に苦しむシーンもあったが、適応後は圧倒的な技術とアイディアで日本中のサッカーフリークを魅了してみせた。

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日本代表との対戦は代表ラストマッチだった。2001年7月4日に大分で行われた国際親善試合にフル出場を果たすも、0-1で惜敗した。このとき磐田に所属していたMFアレクサンダー・ジヴコヴィッチもピクシーとともに先発出場した。

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