谷村新司さんが作詞した名曲5選【1970年代から活躍】実は意外なエピソードも…

<記事提供:COCONUTS>
シンガーソングライターで作詞家の谷村新司さんが遺した名曲の中から、5曲を紹介します。

アリスとして活動した後、ソロ活動や様々なアーティストへの楽曲提供を行い、テレビ番組などではそのチャーミングなキャラクターが人気を博しました。

(画像:時事)

■『いい日旅立ち』(1978)

『いい日旅立ち』は、1978年11月にリリースされた山口百恵さんの24枚目のシングル。

当時の山口百恵さんの楽曲といえば、阿木燿子さん作詞・宇崎竜童さん作曲のロックテイストのものが大ヒットを収めていたが、シングル曲では初めて谷村さんの作詞が起用された。

累計売上は100万枚と言われており、その後谷村さん自身もセルフカバーしている。

■『昴 -すばる-』(1980)

『昴 -すばる-』は、1980年にリリースされた谷村さんのソロとしては2枚目のシングル。

谷村さんの代表曲であり、音楽の教科書に掲載されるなど国民的な楽曲として挙げられるものだが、実は谷村さん自身この楽曲を閃いたときのことについてあまり覚えていないとしている。

昴とは、プレアデス星団の和名であるが、谷村さんは制作時にプレアデス星団とコンタクトをとったとも明かしており、これを面白く思った芸人が「谷村新司は宇宙人説」として取り上げ、芸人が語る都市伝説の名物となった。

■『サライ』(1992)

1992年に日本テレビ系『24時間テレビ』の番組中の企画から生まれた楽曲。

全国の視聴者からメッセージを募り、谷村新司がとりまとめ、24時間以内にオリジナル楽曲を制作するというチャレンジだった。

作詞の一部は視聴者から募ったため、「代表作詞」という位置付けになっている。

番組中に見事に楽曲は完成し、以降毎年テーマソングとして使用されている24時間テレビのシンボル的存在。

この年のメインMCはダウンタウン。

当時、チャリティのイメージと程遠かったダウンタウンと『24時間テレビ』をうまく融合させるべく歌をテーマとして押し出し、バラエティ色を強めた年だった。

「負けないで」などの歌をみんなで歌うようになったのはこの年から。

■『冬の稲妻』(1977)

アリスが一躍有名になった楽曲『冬の稲妻』。

1977年10月にリリースされ、初めてランキングTOP10入りを果たした。

1971年のアリス結成から6年目、谷村さんはこのとき28歳。

大ブレイクを果たし、その後のキャリアを決定付ける楽曲となった。

■『チャンピオン』(1978)

アリスのシングルで唯一のオリコン1位曲であり、最大のヒット曲。

作詞だけでなく作曲も谷村さんが手掛けている。

この頃、漫画『あしたのジョー』のテレビアニメや劇場版が制作されるなど孤高のボクサーが注目されることが多かったが、モデルとなっているのは『あしたのジョー』ではなく、「カシアス内藤」という実在したプロボクサー。

「カシアス内藤」は、世界チャンピオンの期待をかけられるほど才能溢れるボクサーだったが、試合に敗れ始めると注目を集めていただけに無惨な目に遭い、その後は表舞台から姿を消しそっと引退した伝説のボクサー。

作家・沢木耕太郎氏によって半生が発表されており、様々なボクサーに影響を与えている。

■まとめ

谷村新司さんが作詞した名曲5選を紹介させていただきました。

『昴』の裏話にはチャーミングな一面を見せたり、『サライ』『チャンピオン』の制作過程では多くの人々の思いやノンフィクションをとりまとめる包容力を見せたりと、多様な才能を感じ取ることができました。

これからも谷村さんが遺した楽曲の数々がわたしたちを温かく見守ってくれることと思います。

(編:おとなカワイイwebマガジンCOCONUTS編集部)

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