日本語で一人で会見を… イ・ボミの背中を押した広報責任者

ツアープロから始まり足かけ44年。日本女子ゴルフ界を支えてきた鈴木美重子(撮影/石井操)

イ・ボミ(韓国)が19日開幕の「NOBUTA GROUP マスターズGCレディース」(兵庫・マスターズGC)をラストゲームに、日本での競技生活に区切りをつける。

日本女子プロゴルフ協会(JLPGA)の元専務理事、鈴木美重子は広報責任者としてボミと日本の“世間”をつないできたと言える。「宮里(藍)さんがアメリカツアーに行って、あの子がいなかったらここまで(国内女子ツアーの)人気は出なかった」とその功績をたたえる。

「あの子は頭がいい」と忘れられないのが、2013年の「日本女子プロゴルフ選手権大会コニカミノルタ杯」だ。日本参戦3年目、通算4勝目となった大会で、鈴木は通訳を入れずに一人で記者会見に臨むようボミに促した。

人気選手として注目が集まり、連日の取材攻勢に徐々にではあるが日本語で応対するようになっていた。「それまで会見はずっと通訳を入れて臨んでいて。でも、ずっと見てきて十分に日本語を話せている。だから『大丈夫。十分にひとりで話せているから会見にはひとりで入りなさい』って」と背中を押した。

もちろん、母国語ではないために伝えたいことを正確に言えなくなるリスクはある。そのことは理解しながら「みんな、あなたの言葉を聞きたいんだから」と自らの口で話す重要性を説いた。「初めは『できません、できません』って。かなり緊張したみたいだけど、そこからずっとひとりで臨むようになって。あの子はよく人の話を聞く」

スマイルの裏側で

ボミがツアー会員になった入会式のときも隣で見守ってきた(撮影/石井操)

母国で親しまれてきた“スマイルキャンディ”という愛称どおり、人懐っこい笑顔はゴルフファンの心をわしづかみにしてきた。鈴木も「やっぱりスマイルよね」と魅力を語る。そんな中で、悲しい思いもともにした。

2014年の「日本女子プロゴルフ選手権大会コニカミノルタ杯」、2連覇がかかっていたボミは6位でスタートした3日目に途中棄権した。韓国で闘病生活を続けていた父ソクジュさんの容体が急変したとの連絡を受けたためだ。10番グリーンでパットを打つ前に棄権を表明し、鈴木はボミを乗せたカートをクラブハウスまで運転した。「隣でずっと泣きっぱなしで、あの時はつらかった。お母さんもよく会場に来ていたし」

ソクジュさんはボミの帰国直後に亡くなった。2週後にツアーに復帰。「絶対に賞金女王になるんだよ」という父との約束は翌2015年に実現した。

ツアー通算21勝。現在の女子プロゴルファーの中には、ボミの活躍を見ながら育った、いわば“イ・ボミチルドレン”も少なくない。鈴木もボミの人気に比例するかのように、ジュニア向けイベントで子どもをゴルファーにしたいという親の声が増えていったと記憶する。ツアー5勝の24歳・原英莉花は賞金女王当時のボミのスイング動画を見てショットの調子を整えたというエピソードを披露している。

裏方に入る前は約22年間、ボミと同じくツアープロとして戦ってきただけに、鈴木にも選手としての“引き際”を考える時期があった。「私はボギーを打ったらサンドウェッジでスパイクを叩こうとして、くるぶしを叩いちゃうなんてことがあるぐらい悔しさを見せていたけど、それが悔しくなくなった時に退くことを考えだして。彼女もそうだったんじゃないかな」と自身の経験と重ねる。

日本の試合に韓国からはるばる応援にかけつけるファンも多かったというボミ。国籍も、性別も、年齢も関係なくファン層を広げた存在に、「日本で人気になった外国人選手は、ボミちゃんぐらいしかいないかもしないわね」と視線を遠くに向ける。元プレーヤーとして、長く広報を務めてきた一人として、言葉に実感をこめた。「ボミちゃんは、すごかった」(編集部・石井操)

© 株式会社ゴルフダイジェスト・オンライン