膨張している宇宙ではブラックホールの個数が不明な場合があることを数値解析で証明

ブラックホール」は質量・電荷・角運動量(自転)の3つのパラメーターだけで表されるため、3つとも値が同じブラックホールは区別することができません。これを「ブラックホール無毛定理(脱毛定理)」と呼びます。この定理は、ブラックホールを記述する「アインシュタイン方程式」は、パラメーターを固定すると1つの答えしか出さないことを意味する「ブラックホール唯一性定理」にも繋がります。ただし、唯一性定理には例外があることも知られています。

サウサンプトン大学のÓscar J. C. Dias氏などの研究チームは、宇宙の膨張を考慮した場合、同じ質量を持つ2つのブラックホールはお互いに同じ距離を保ったまま静止すること、その状態を遠くから見ると1つのブラックホールを見ているようにも見えるためにブラックホールが1つなのか2つなのか区別がつかないことを示しました。これは質量のパラメーターを固定した場合に唯一性定理が成り立たないことを示した初めての研究であり、ブラックホールは無毛定理が示すほど単純ではないことを示唆する結果です。

【▲ 図1: 宇宙の膨張による分離と、重力による接近が釣り合っている場合、2つのブラックホールは距離を保ったまま動かなくなります。今回の研究はそのような状況が理論的に存在すること、この釣り合いが取れた2つのブラックホールを遠くから見ると、1つのブラックホールのようにも見えることを明らかにしました(Credit: APS, Alan Stonebraker)】

■ブラックホールには “毛が3本しかない”

太陽のような恒星は、重力によって潰れる力と、中心部の核融合で生じる圧力が拮抗することで星としての形を保っています。しかし、核融合の燃料が尽きてしまうと重力に抵抗する力が無くなってしまうため、中心部が潰れてしまう「重力崩壊」が発生します。この先の運命は恒星の質量によって異なり、太陽よりずっと重い恒星の場合、他のどんな力も重力に抵抗できずに無限に潰れてしまいます。こうして生じる天体が「ブラックホール」です。

普通の恒星や惑星の場合、構成元素・大きさ・質量・形・色・温度など、無数のパラメーターが存在します。これに対し、ブラックホールは質量・電荷・角運動量の3つのパラメーターだけで全てを表すことができるほどに性質が単純なことで知られています。恒星が重力崩壊するとパラメーターのほとんどが失われてしまうことを、物理学者のジョン・ホイーラーが「ブラックホールには毛が(3本しか)ない」と喩えたことから、これは「ブラックホール無毛定理」と呼ばれています。

ブラックホール同士の合体で生じる重力波の観測により、ブラックホールの性質は無毛定理と矛盾しないことが明らかにされているため、無毛定理は正しいと考えられています。このことは、質量・電荷・角運動量の3つのパラメーターが同じである場合、2つのブラックホールは区別できないことを意味します (※) 。このことから、ブラックホールに関するもう1つの定理である「ブラックホール唯一性定理」も導かれます。

※…より正確に言えば、ブラックホールには三次元空間での位置や運動方向といったパラメーターも存在します。しかしこれは基準を適切に設定すればゼロとして扱えることから、無毛定理や唯一性定理に影響を与えません。

ブラックホールは元々、時空を表す一般相対性理論の方程式である「アインシュタイン方程式」を解くことで予言された天体です。唯一性定理が正しい場合、質量・電荷・角運動量の値を固定して方程式を解くと、アインシュタイン方程式は1つの答えだけを出すということに繋がります。この前提は、ブラックホールの性質を探る上で重要です。

■ブラックホールが単純すぎることで生じる問題

ブラックホールを表すパラメーターが少ないことは、ブラックホールに落下した物体が持つパラメーターも大部分が失われてしまうことを意味します。ブラックホールは光でさえも抜け出せないため、物体のパラメーターという「情報」はこの宇宙から消失してしまうことになりますが、情報の消失を禁じている物理学の基本原則とは矛盾します。仮にブラックホールの中に情報が保存されていると考える場合でも、理論的に様々な困難が存在することも分かっています。「ブラックホールに落ち込んだ情報はどうなっているのか?」という疑問は物理学上の重要な未解決問題であり、これは「ブラックホール情報パラドックス」と呼ばれます。

ブラックホールの性質、特に情報パラドックスの解決に関する理論的研究では「無毛定理や唯一性定理が示唆するほど、ブラックホールは本当に単純なのか?」という疑問についての研究も行われています。よく知られている例として、エネルギーが運ばれる「場」を仮定すると、唯一性定理が崩れることがあります。

例えばブラックホールには電荷のパラメーターがあります。プラスとマイナスの電気は互いに反発するというよく知られた性質から、2つのブラックホールが異なる極性の電荷を帯びていると、重力という引力と、電荷によって反発する斥力が釣り合い、接近も分離もせず停止した状態となる場合もあることが予測されます。この状態となったブラックホールを遠くから見ると、2つのブラックホールの電荷と質量を足した値を持つブラックホールが1つだけあるように見えるでしょう。つまり、ブラックホールが実際にはいくつあるのかを区別できないということになります。これは、質量と電荷のパラメーターを固定した場合にアインシュタイン方程式を解いても、答えが1つであるとは限らないという例となります。

上記とある程度関連する別の試みとして、ブラックホールに新たな “毛” を定義する試みがいくつかあります。この場合も場が仮定されますが、これは現代物理学の欠陥を埋めるための拡張理論とセットになっているため、現時点では意見の一致を見ているとは言えません。

関連: ブラックホールの“4本目の毛”?「渦度」を持つ可能性が示される (2022年9月17日)

■膨張している宇宙で釣り合いの取れた二重ブラックホールがあることを証明

Dias氏らの研究チームは、唯一性定理が成立するための前提条件である「時空は漸次的に平坦」という仮定を現実の宇宙に沿うように変更すると、唯一性定理が成り立たない別の違反 (破れ) 事例が存在することを発見しました。時空は漸次的に平坦とは、簡単に言えば、宇宙は膨張も収縮もしないことを意味します。しかし実際の宇宙は加速膨張をしていることが観測によって証明されているため、実際の宇宙ではこの仮定は成り立ちません。

宇宙の膨張は天体間の距離を引き離す斥力のように振る舞います。このような場合、先述の電荷の例と同じく、2つのブラックホールに働く引力と宇宙の膨張という斥力が釣り合う場合には静止した状態となること、それを遠くから見ると1つのブラックホールと区別できなくなることが予測されます。また電荷などの例とは異なり、この釣り合った状態を作り出すのにエネルギーを運ぶ場を仮定する必要がないという別の性質もあります。

しかし、宇宙の膨張による斥力と重力による引力の釣り合いを頭の中で想像するのは簡単ですが、これまでそのような答えが示されたことはありませんでした。アインシュタイン方程式はブラックホールが1つの場合には解を導くことが可能ですが、2つある場合に解を導くことは不可能であることが2つの定理によって数学的に示されているためです。このためDias氏らは、自身が専門とする数値解析の手法を使い、このような前提でのブラックホールの振る舞いを計算しました。

その結果、2つのブラックホールによる宇宙の膨張と重力による引力の釣り合いが実際に起こること、それを遠くから観察すると1つのブラックホールと区別できないことが数学的に示されました。これは、質量のみのパラメーターを固定してもアインシュタイン方程式の解が1つに定まらない、唯一性定理の初めての違反の例です。今回の研究を適用すると、太陽程度の質量を持つ2つのブラックホールは、数百光年離れた距離にある場合に互いに静止していることを示しています。

一見するとこれは、解を導くことが不可能であるという以前の定理と矛盾しているように見えるかもしれません。しかしDias氏らは、1つの定理には証明の中に論理的矛盾があることと、もう1つの定理には制限的な仮定があり、今回の研究結果がその定理に縛られないことを示しました。

■釣り合いの取れた二重ブラックホールは存在するか?

【▲ 図2: 今回示された釣り合っている二重ブラックホールの状態は、山の頂上の1点に置かれたボールに例えられます。山の頂上に置かれたボールが簡単に転がり落ちるように、ブラックホール同士の距離が少しでも変わると、ブラックホールは分離するか接近するため、釣り合いは簡単に崩れてしまいます(Credit: APS, Alan Stonebraker)】

今回の結果は、ブラックホールはそれほど単純ではないことを示す新たな研究となりました。このような唯一性定理の違反の具体例は、ブラックホールの性質を探る研究にとって重要な情報となります。

しかしDias氏らは、実際の宇宙にこのような状態の二重ブラックホールは存在しないと考えています。宇宙の膨張による斥力と重力による引力の釣り合いがとれるのは、2つのブラックホールが正確な距離に配置された場合のみです。山の頂上にボールを置くと、少しでも位置がズレれば転がり落ちてしまうのと同じように、少しでもブラックホールが動いて互いの距離が変われば、ブラックホール同士は接近するか分離するかのどちらかの運命をたどります。ブラックホール自身の運動に加え、他の天体からの重力によっても、ブラックホール同士の距離は変化するでしょう。

ただし、ブラックホール同士が自転している場合、あるいは強い電荷を持っている場合には、ブラックホール同士の距離を安定させる別の状況が生まれ、釣り合いの取れた二重ブラックホールが存在する可能性が上がります。宇宙にある実際のブラックホールが強い電荷を持つ可能性は低いと考えられていますが、高速で自転していることは知られており、その場合での関係性もまた変化する可能性があります。Dias氏らは自転しているブラックホール同士での数値解析を次の目標としています。

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文/彩恵りり

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