あすなろ抱きから30年!キムタクが世間に見つかった「あすなろ白書」俺じゃダメか?  キムタクを一躍スターダムに押し上げた「あすなろ白書」

最終回の視聴率が31.9%、世の女性たちから熱狂的に支持された「あすなろ白書」

今から30年前の話である。

その時、僕は会社員で、広告関係の仕事をしていた。当時は過度な残業もいとわない時代で、飲み会のあとで会社に戻り、昼間やり残したデスクワークをすることも珍しくなかった。全員が揃う会議の時間を調整したら深夜の23時で、本当にその時間に集合して会議をしたこともあった。

その日も、僕は数日後に迫った、あるプレゼンの資料作りで残業をしていた。そこへクライアントから電話が入り、数点、追加の要望を言い渡された。僕はパース画(完成予想図)を修正しなくちゃと、取引先のデザイン会社に電話して、担当の女性デザイナーを呼び出してもらった。

「得意から追加の要望が入っちゃって…… 悪いけど、これから軽く打ち合わせできませんか」
「ごめんなさい。今から帰って、『あすなろ白書』の最終回を見ないといけないんです」

それを聞いて、もちろん、僕はこう返した。

「それは急いで帰らないと」

―― その夜、放送されたフジテレビの月9ドラマ『あすなろ白書』の最終回は、視聴率が31.9%もあった。全11回の平均視聴率も27.0%と高アベレージだった。何より「月曜の夜は街から若い女性が消えた」と言われるくらい、世の女性たちから熱狂的に支持されたドラマだった。

ドラマの世界観をやさしく盛り上げた主題歌、藤井フミヤが歌う「TRUE LOVE」

また、藤井フミヤが歌う主題歌『TRUE LOVE』(作詞・作曲:藤井フミヤ)も、Wミリオンと大ヒットした。S.E.N.S.(センス)の劇伴は同ドラマの世界観をやさしく盛り上げてくれた。

そして―― そんな大ヒットの原動力となったのが、同ドラマでメインキャストの1人、取手治を演じた木村拓哉だった。主役ではないものの、優しくて、お調子者で、誰よりも他人思いで、黒縁メガネが似合うナイスガイ。主役じゃないからこそ、世の女性たちにしてみれば「私が見つけた」感があった。そう、同ドラマは、あのキムタクが世間に見つかったドラマでもあった。

今日、10月18日は―― 今から30年前の1993年、ドラマ『あすなろ白書』の第2話で、キムタク演じる取手クンが、石田ひかり演じるヒロイン園田なるみを後ろから抱きしめ「俺じゃダメか?」と問いかけた日である。いわゆる “あすなろ抱き” が披露された、あの名シーンだ。

木村拓哉を一躍スターダムに押し上げた「あすなろ白書」

本コラムは、新・黄金の6年間(バブル崩壊後の1993年から98年までの6年間、エンタメ界を中心に新しい才能たちが次々とビッグヒットを放った時代)のキーマンの1人である木村拓哉を一躍スターダムに押し上げたドラマ『あすなろ白書』にフォーカスして、当時の時代感や空気感を掘り下げたいと思う。

原作は、柴門ふみの同名漫画である。1992年から93年にかけて週刊ビッグコミックスピリッツ(小学館)に連載され、ドラマ化の際は、大いに話題になったのを覚えている。というのも、柴門作品とフジテレビとの相性はよく、89年には坂元裕二脚本(彼のデビュー作である)で『同・級・生』を、91年には、同じく坂本脚本で『東京ラブストーリー』をドラマ化して、前者はスマッシュヒット、後者は社会現象になった。

興味深いのは、『あすなろ』を含む、それら3作品はどれもラブストーリーながら、ドラマ化に際して微妙にアプローチが異なっている点。『同・級・生』は山田良明サンがプロデューサーで、当時フジで全盛だったトレンディドラマに仕立てられ、『東ラブ』は大多亮サンがプロデューサーで純愛ドラマ路線に、そして『あすなろ白書』は亀山千広サンがプロデューサーで、群像劇になった。いずれも、プロデューサーの思いが投影されたと言っていい。

「もう、君たちは忘れてしまっただろうか」

ドラマ『あすなろ白書』は、そんな園田なるみ(石田ひかり)のモノローグから始まる。その時、カメラはアーチをくぐり、キャンパス内へ入ると―― レンガ造りの古い校舎がたたずむノスタルジー感あふれる空間が広がる。お茶の間をカメラと一緒にドラマの世界へと誘う、見事な導入部の仕掛けである。実はあのキャンパス、ロケではなく、東宝撮影所に建てられた広大なオープンセットだったんですね。

原作とはまるで違うシノプス、目指したのはアイビーリーグの世界観

同ドラマの企画にあたり、亀山千広プロデューサー(当時)は原作を一読して「これぞ、僕の理想とする大学生活だ!」と歓喜し、いわゆる “アイビーリーグ” の世界観を目指したという。アイビーリーグとは、アメリカ東海岸の伝統ある私立エリート大学8校の総称である。

ハリウッドでは、そんなアイビーリーグを舞台にした「カレッジムービー」なるジャンルがあり、1960年代から70年代にかけて、『ある愛の詩』『卒業』『ペーパーチェイス』『追憶』等々が作られた。10代を映画青年として過ごした1956年生まれの亀山Pは、その種の映画への強い憧れがあったのだろう。ちなみに、彼と柴門ふみサンは同学年である。

そして脚本は、のちに “恋愛の神様” と呼ばれる北川悦吏子サン。前年(92年)に『素顔のままで』(フジテレビ系)で連ドラデビューを果たし、いきなり平均視聴率26.4%の大ヒット。そこからフジの「ボクたちのドラマシリーズ」で『その時、ハートは盗まれた』を書いたりして、本作が連ドラ4作目だった。

脚本を引き受けるにあたり、北川サンは自身の思う『あすなろ白書』のシノプシスを書いて亀山Pに渡したところ、原作とまるで違うのにも関わらず、亀山Pは「これでいきましょう。柴門先生を説得します」と快諾。柴門ふみサンに見せたところ、「お任せします」と一切の注文はなかったという。思えば、『東京ラブストーリー』も原作から連ドラにあたって大胆な改変が施されており、柴門サンの度量の大きさが分かるエピソードである。

これは僕の個人的な思いだけど、漫画や小説をドラマ化なり、映画化するなら、原作をそのままトレースしても意味がないと考えている。なぜなら、作者はその作品を漫画や小説の形で発表するのが最も面白いとアウトプットしたワケで、その時点で “最終形” である。映像化するなら、映像作品ならではの新たな魅力を足して、映像作品として最も面白いものにしないと意味がない。だから、ドラマ化に際しての改変はありだと思うし、多分、柴門ふみサンも同じ考えだと思う。

そして―― ドラマ『あすなろ白書』は、その “改変” が見事に成功した。

ラブストーリーから群像劇へ、恋愛と友情が並列する重層的な物語

メインキャストの「あすなろ会」のメンバー5人(なるみ・掛居・取手・星香・松岡)は、原作では大学がバラバラだったが、全員同じ大学にすることでキャンパスシーンが増え、いわゆる「カレッジムービー」の世界観に近づいた。ノスタルジー感あふれる古い校舎のオープンセットがそれを盛り上げ、ラブストーリーから群像劇へドラマの趣が変わったことで、恋愛と友情が並列する重層的な物語になった。

また、メインキャストの5人(石田ひかり・筒井道隆・木村拓哉・鈴木杏樹・西島秀俊)も、演じる役柄に合わせて “当て書き” され、微妙に原作からキャラが変わった。それが最も顕著だったのが、掛居クン(筒井)と取手クン(木村)のキャラだった。

「俺じゃダメか?」の “あすなろ抱き” のシーンが放映された第2話

1つの都市伝説がある。「キムタクは当初、主役の掛居クンをオファーされたが、自ら脇役の取手クンを希望して、筒井サンと役を入れ替わった」とする話である。真相は分からない。ただ、出来上がったドラマを見る限り、キムタクは取手クンがハマっているし、筒井道隆サンもどこか掴みどころのない掛居クン以外、他の役が想像できない(筒井サン演じる取手クンなど想像できない!)。

少なくとも―― ドラマの放映開始前の時点で、役者としては、既に映画で主役経験もある筒井サンが圧倒的に格上だった。ヒロインとのバランスを考えても、前年(92年)にNHKの朝ドラ(連続テレビ小説)の『ひらり』で主役を演じ、同年暮れの『NHK紅白歌合戦』で紅組司会まで務めた石田ひかりの相手役を務められるのは、筒井サンしかいなかったのでは―― と、個人的には思う。

実際、キムタクは当時、SMAP内では既にアタマ1つ抜けていたけど、いわゆる “村内人気”。一般的な知名度は低かった。せいぜい、前年暮れに放送されたドラマ『その時、ハートは盗まれた』で、ヒロイン(一色紗英)の憧れの先輩役として、お茶の間に爪あとを残したくらいだった。

ならば―― キムタクはいつ見つかったのか。

ドラマ『あすなろ白書』の各回の視聴率を見ると、ヒットしたドラマによくあるパターンで、終盤尻上がりに数字を伸ばし、最終回に大台の30%台に乗せているけど―― 前半で2話だけポンと数字が跳ね上がっているのが分かる。第1話の24.7%から26.8%へ―― これは何を意味するのか。

これこそ、当コラムの冒頭でも紹介した、例の「俺じゃダメか?」の “あすなろ抱き” のシーンが放映された第2話なんですね。恐らく、この瞬間、キムタクがお茶の間に見つかったのではないだろうか――。

実は、同シーンは原作にもちゃんとある。だが、取手が衝動的になるみに抱き着いて、思わずなるみが手を払いのけて終わっている。それを、あんな風にロマンチックに改変したのは、脚本の北川悦吏子サンだ。思えば彼女、キムタクとは前に一度組んでおり、それが、前述の『その時、ハートは盗まれた』だった。そこで彼の魅力に気付いた北川サンが、意図的に当て書きしたのである。

キムタクが自分のものとして引き寄せた稀代の名シーン

俗に、優れた役者は「役を自分に寄せる」と言われる。主に、スター俳優に多い。かつての日本映画黄金時代の石原裕次郎サンがこのタイプで、どんな役も自分のものにして、自然に演じてみせた。いわゆる “リアリティ芝居” だ。一方で、「何を演じても石原裕次郎」とも言われたが、スクリーンの中では毎回、“役” が立っており、その指摘は当てはまらない。やはり、役を自分に寄せていたのだ。それ即ち、ハマり役である。

キムタクも、このタイプだと思う。「何をやっても木村拓哉」と言われがちだが、そうじゃない。毎回、役を自分に寄せているのだ。それが、前述の取手クンの場合、まず北川サンがキムタクに相応しいシーンとして当て書きし、更にそれをキムタクが自分のほうへ引き寄せた。かくして、相乗効果が働き、リアリティあふれる稀代の名シーンが生まれたのである。

一同が息を呑んだ「伝説の11人抜き」と言われるクライマックスシーン

ドラマ『あすなろ白書』の翌年(94年)3月―― 1本の映画が公開された。大森一樹監督の『シュート!』である。高校サッカーが舞台の同名漫画が原作で、SMAPの6人がメインキャストを務めるアイドル映画だった。当初、大森監督は主人公・俊彦の役を「木村さんが一番人気と聞くので、彼を」と事務所にオファーするが、飯島三智マネージャー(当時)に却下され、キムタクはその先輩で天才ストライカー久保の役になった。しかし、結果的にこの判断は正しかったことが証明される。

ある日、キムタクは同作品で「伝説の11人抜き」と言われるクライマックスシーンの撮影に臨んだ。そして一発でOKを出した。翌日、監督以下、スタッフ全員でラッシュ(編集前のテープ)を見たところ、その瞬間、一同は息を呑んだという。大森監督が言う。「スターが生まれる瞬間に立ち会ったと言うか…… フィルムの中で見る彼はスターになるべく輝きを持っていて、圧倒されました」。

俳優・木村拓哉が、将来性豊かな新人俳優に贈られる「石原裕次郎新人賞」を受賞するのは、映画公開から8ヶ月後の同年11月である。主演俳優以外の、異例の受賞だった。

カタリベ: 指南役

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