阪急や東宝の生みの親、小林一三 東京で生誕150年展 「ゴジラ」「七人の侍」…首都圏での業績に光

小林一三がシリーズ化を後押ししたとされる映画「ゴジラ」の像=東京都千代田区有楽町1、日比谷シャンテ

 阪急電鉄や宝塚歌劇団の生みの親として知られる小林一三。生誕150年を記念し、首都圏での足跡や業績に光を当てた展覧会が東京都内の商業施設「日比谷シャンテ」で開かれている。迎えるのは、高さ約2メートルの初代ゴジラ像や宝塚歌劇団の衣装が飾られたステージ、一三にまつわる100のエピソード…。なぜ、ゴジラが? 東京でのまちづくりに込めた思いは-。(末永陽子)

 展覧会は「小林一三生誕一五〇年展 東京で大活躍」。都内で開催する理由について、阪急文化財団理事で小林一三記念館(大阪府池田市)の館長を務める仙海(せんかい)義之さん(61)は「一三は東京でも多くの事業を手がけたが、関西と違い知られていないから」と話す。

 一三といえば、旧三井銀行を経て、1907年に箕面有馬電気軌道(現・阪急電鉄)を創設。乗客を増やすため沿線で住宅、観光施設、百貨店などを建設し、鉄道経営のビジネスモデルを確立したことで有名だ。

 「宝塚開発の父」と呼ばれるものの、東京宝塚劇場や東宝の創設、東京電燈(現・東京電力)の再建など、首都圏との関わりも深い。展示パネルは一三が山梨県で生まれた1873年から始まり、年代順にエピソードを紹介。偉大な実業家の人生を追体験できる。

 仙海さんは「一三は常に『お客さまファースト』。楽しんでほしいという気持ちが、幅広い事業展開につながった」と説明する。

    

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 実業家の渋沢栄一らが発案し、東急電鉄の起源となった目黒蒲田電鉄や、経営不振に陥っていた東京電燈の再建…。1920年代には一三の手腕を見込み、首都圏でもさまざまな依頼が舞い込む。

 一方、東京電燈が売却した都心の一等地を買い取って34年に東京宝塚劇場をオープン。その際に残した言葉が「朗らかに 清く 正しく 美しく」。当時「大人の娯楽」とされた歌劇を家族で楽しめるように、との思いがあった。今も宝塚歌劇と東宝のモットーとして受け継がれている。

 43年には東宝を創設。戦後は戦禍を免れた劇場で次々と公演を発表し、映画事業も拡大させていく。

 23年に発生した関東大震災による被害と戦後の焼け野原。一三はいずれも目の当たりにしたとされる。仙海さんは「エンターテインメントを通じてまちにエールを送り、文化復興を進めたかったのだろう」とみる。

    

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 東宝は54年、特撮怪獣映画「ゴジラ」と、黒澤明監督による「七人の侍」をヒットさせる。

 黒澤監督は当初予算を使い果たして撮影中止を迫られていたが、一三は黒澤の才能を評価。費用の上乗せを許可したという。2作目が翌55年に公開されたゴジラについても、シリーズ化を指示したとされる。

 「一三はアイデアマンである一方、非常に堅実だった」と仙海さん。「石橋をよくたたき、渡れる時に走り抜けるような人だった」

 会場では一三が残した名言の数々や、渋沢らとの交流も紹介されている。入場無料。11月5日まで。日比谷シャンテTEL03.3591.9001

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