かっこいい喫煙者でありたかった たまにはタバコの話でも その2

林信吾(作家・ジャーナリスト

林信吾の「西方見聞録」

【まとめ】

・「悪いこと」だからこそ経験してみたかった、という好奇心からタバコに手を出した。

・私にとって喫煙とは一種のファッションアイテムだった。

・現在の価格設定はさすがに異常ではないか。

前回の最後の方で、タバコを休むことになった経緯について述べさせていただいたが、今回はもう少し遡って、タバコを吸うようになった経緯から語らせていただこう。

初めての喫煙は中学生の時だが、私の両親はいずれも非喫煙者であったので、家にタバコが置いてある、ということはなく、また、昔も今も非喫煙者はタバコの臭いをひどく嫌うので、密かに買ってきて隠れて吸っていた。

いつの頃からか。受動喫煙の問題がやかましくなって、マンションなどのベランダに出て喫煙する「ホタル族」と称される人たちが話題になったりもした(遠目には蛍が光っているように見えるのだとか)が、私も部屋の窓を開けて煙を外に吐き出していたわけだ。

私以外にも、タバコに手を出すような中学生はいたが、たいてい家族に喫煙者がいて

「どうしてタバコを吸ったのか。そこにタバコがあったからだ」

という経緯であった。

早い話が好奇心だが、悪いことだと思わなかったのか、と言われれば、その思いはあった。と言うより「悪いこと」だからこそ経験してみたかった、というベクトルの好奇心ではなかっただろうか。

高校に進学すると、それほど荒れた学校という印象もなかったが(教師の認識は違っていたかも知れない笑)、タバコなど非行のうちに入らない、という気風さえあったのだ。しかし私自身は高校3年間、事実上タバコを休んでいた。天邪鬼というのか反骨精神というのか、

「やってはいけない、と言われるとやってみたくなる年頃」

が中学時代の私だとすれば、

「みんながタバコを吸うから自分も、というのは馬鹿のやること」

などと粋がっているのが、高校生時代の私であった。

話を戻して、中学時代に初めてたしなんだタバコはセブンスターであった。今はどうなのか知らないが、1970年代にはベストセラーと言うか定番と言うか、そういう存在で、そもそもタバコの味など分からないから、とりあえずビールならぬ、とりあえずセブンスターでよいだろう、くらいの考えであった。考えというほどのことでもないが。

前述のように、私以外にも喫煙する中高生はいたが、ツッパリと呼ばれる不良じみた生徒(当時ヤンキーという呼称はあまり聞かれなかった)の間ではショートホープが人気で、皆ショッポと呼んでいた。

高校を出て割とすぐ、またまた喫煙者に戻ったのだが、この時はなんと紙巻きではなくパイプ煙草に手を出した。依然として、人があまりやらないことをやってみたくなる、という性分のままだったのだ。

もっともこれは1年ほどしか続かなかった。あれはもはや喫煙具と言うより道楽の領域なので、色々と手間がかかるし、経済的な負担も紙巻きよりずっと大きい。たまたま外出先でパイプを落としてピット(吸い口の部分)を壊してしまい、そのまま新調するのをあきらめた。

つまりは紙巻きに戻ったわけだが、銘柄はEPSONを選んだ。

その理由が今となっては赤面ものなのだが、当時『エーゲ海に捧ぐ』で芥川賞を受賞し、時の人となっていた池田満寿夫氏が、TVでこのタバコを吸いながらインタビューに応じていたのだ。青いパッケージがなんともかっこよく見えたので同じ銘柄にしたという次第。

今の感覚ではTVカメラの前で喫煙というのも、なかなかすごい話だが、当時は許されていたのだろう。ちなみに1994年をもって製造中止になっている。

その後ハーフ&ハーフという銘柄にまたしても転向した。これはもともとパイプ煙草で、バーレー葉とバージニア葉それぞれ50%のブレンドであることからこの名がある。甘い、パイプ初心者にはうってつけの味であると聞き、私も吸っていた。

これの紙巻きが発売されていることを知って、早速買い求めたわけだが、現在紙巻きは市販されていないようだ。紙巻きの手軽さとパイプ煙草の味わいを兼ね備えた優れものだと思うのだが、喫煙者が「右肩下がり」の昨今、需要もなくなったのだろう。

当時はまた、ジッポーのオイルライターを買って、その後も長く使っていた。

これまたバカにされるリスクを覚悟して述べると、100円ライターでショッポに火をつける林信吾などありえない、といった、自己満足などと言うも愚かな気分だったのである。

いや、真面目な話、私にとって喫煙とはニコチンを摂取する手段ではなく、一種のファッションアイテムとしてのタバコが共にあったのだ。なので、紙巻きについてはタバコと表記し、パイプで吸うそれは煙草と表記している。

その後、英国ロンドンに渡ってからはキャメルを吸うようになった。念願の洋モクというわけではもちろんなく、アメリカタバコは世界中で比較的安く買える。

周囲の日本人には、シルクカットという英国タバコが好まれていたようだが、これはおそらく、セブンスターとよく似た軽い口当たりだったからだろう。

当時はまた、低タール・低ニコチンを売り物にする銘柄が相次いで発売されていたが、私は見向きもしなかった。そんなに体のことが心配ならば、さっさと禁煙すればよいのだ。

実際に色々と読んでみると、ニコチンやタールの含有率が低いタバコほど「体に悪くない」というのは誤解らしいのだが、専門家でもないし、その話はひとまず置く。

ライターも、学校に通っていた頃は日本から持参したジッポーを使っていたが、現地発行日本語新聞に職を得て、さらには『地球の歩き方 ロンドン編』を造るなど、金回りが多少よくなった際に、ダンヒルの本店で銀色のガスライターを買い求めた。

よく言えば自分へのご褒美だが、ここまで読まれた読者はすでにお気づきの通り、なにごとも「形から入り、形にこだわる」のが私の生き方なのである。

このダンヒルは、ロンドンの自宅が窃盗被害に遭ったことで、以来、再会を果たせないままでいる。そこまで物に執着する方でもないのだが、やはり悔しさは残った。火がつけばよいのだから盗難リスクのある高級ライターなど持つ必要がないと考え、マッチに転向した。

帰国後は、前回も少し触れたように、シガリロすなわち細巻きの葉巻を吸うようになった。紙巻きに飽き足らなくなったからだが、葉巻と言えばキューバ産ということで、コイーバ、あるいはロメオ・Y・ジュリエッタといった、キューバ葉100%の銘柄を好んで吸った。サイズも豊富で、私はいつもシガレットサイズを買い求めたが、当時は結構頻繁に海外に出向いていたので、空港の免税店で上限の2カートン(400本)購入したならば、次に海外に出る時までもつことさえあった。

これも葉巻の有り難いところで、ガツンと来るほど風味が力強いから、1日2~3本で満足できてしまう。値段はもちろん、紙巻きよりだいぶ高いが、私に言わせればむしろ経済的だったのである。

そもそも、ニコチン中毒の人は別として、生活必需品でもなんでもないわけだから、逆に値段のことを気にしても始まらないだろう、とさえ私は思う。

とは言え、前回の最後の方でも触れたが、現在の価格設定はさすがに異常ではないか、と同時に思う。

このあたりのことは、タバコの害と合わせて、項を改めるとしよう。

トップ写真:俳優ハンフリー・ボガート。当時日本の若者が彼のたばこの吸い方を真似をした(1941年1月1日)出典:Warner Bros. / Handout / Getty Images

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