全知全能感にとらわれた権力者・川勝知事に必要なもの|小林一哉 川勝知事の独断専決の行政運営をなぜ止められないのか。全知全能感に囚われた権力者をコントロールするカギは、徳川家康に学べ!

「知事に厳しく物申す幹部職員はいないのか」

9月県議会で過去の副知事の退職金辞退の質問に答える川勝知事(静岡県議会本会議場、筆者撮影)

2013年10月13日開催の静岡県9月議会最終日は、川勝平太知事のいわゆる「御殿場コシヒカリ発言」に端を発した給与返上問題、さらに、最終日前日の12日に行われた県商工会議所連合会との懇談会での“不用意発言”が新たな問題となったが、結局、給与減額条例案を含めて一般会計補正予算案など計30議案を原案通りに可決して、同日午後7時に閉会した。

給与返上問題に伴い、10月6日の県議会総務委員会が採択した5項目にわたる「附帯決議」が、同じ内容のまま本会議最終日にも上程された。
この附帯決議を知事与党のふじのくに県民クラブ17人を含めて議員全員の67人が賛成の起立をして可決した。

この決議には、「知事の不適切発言による県政の混乱を踏まえ、県当局は知事の言動を十分に把握した上で、知事をいさめること」を盛り込んでいる。

また、「今後、仮に不適切な発言があった場合には辞職するとの発言に責任を持つこと」を強く求めた。

残念ながら、付帯決議には法的強制力はなく、どのように判断するのかは川勝知事に任されている。単なる県議会としての意思表示でしかない。

しかし、知事与党でさえ、川勝知事の独断専決の行政運営に疑問を抱いていることだけは明らかとなった。

予算案等の採決を前にした討論で、公明党県議が「熱海土石流災害でも行政対応の責任を問われた。行政の組織文化に問題があり、知事に厳しく物申す幹部職員はいないのか」などと意見を述べている。

川勝知事は徳川家康がお嫌い?

大坂の陣で、真田幸村に家康が負けたとされる展示(大阪市内、筆者撮影)

13日の常任委員会委員長報告では、静岡県にゆかりが深い、NHK大河ドラマ『どうする家康』を今後の観光振興につなげていくとする発言があった。

『どうする家康』云々の委員長報告を聞いた上で、今回の付帯決議の可決などの一連の県議会での動きを見ていて、川勝知事の周辺に欠けているのは、まさしく「諫議太夫(かんぎたいふ)=字の如く、主人をいさめる役割の官職」であるのは間違いないと、筆者は考えた。

徳川家康と諫議太夫は切っても切り離せないからだ。

中国文明からの影響を受けて、四書五経うちの1つ、「大学」を重んじることをさまざまの場所で公言する川勝知事だが、家康が愛読書とした「貞観政要」を読んでいないのではないかと、不思議な気持ちにさせられた。

『貞観政要』は「諫議太夫」の必要性を説き、家康は身の回りに多くの「諫議太夫」を置いた。
「富国有徳」とか「文化力の拠点」とか、訳のわからない新たな造語をつくるのが得意の川勝知事だが、治世の範として、中国、日本の為政者に広く読まれた唐の太宗と臣下との政治論議をまとめた『貞観政要』にはなぜか、背を向けているようだ。

その理由の1つとして考えられるのは、関西人の家康嫌いである。川勝知事は京都出身で高校までは関西人だった。

10年ほど前、大阪城を中心に開かれた「大坂の陣400年 天下一祭」に出掛けて、関西人は秀吉が大好き、家康は大嫌いであることがはっきりとわかった。しゃれもあるのだが、大坂の陣は実は、家康が負けたというのが関西人の主張だった。

ただそんな主張を具体的にしたのは、薩長閥を中心とした明治政府であり、江戸幕府を開いた家康を「陰険」「腹黒」「狡猾」「強欲」な「いやな男」というレッテルを貼り、当時の社会全体が家康を「悪人」としてしまった。

大坂の陣の後に、京都の塀などに「憎むべし 木から落ちたる猿の子(秀頼)を食って狸(家康)が腹つづみ打つ」の落首が貼られ、大流行りしたという。関西では、その落首に象徴される家康像をかたく信じているのだ。

静岡県政でも、京都大関連の人材をさまざまな場所に重用する川勝知事は、家康嫌いの流れを受けているのだろう。これだけ、大河ドラマで話題となっているのに、川勝知事は、家康のことはあまり口にしていないのだ。

歴代副知事退職金辞退への疑義

一般的にも家康ではなく、織田信長、太閤秀吉が国民的なヒーローとして親しまれてきた。

しかし、桶狭間の奇襲攻撃で知られる信長だが、天下を取った後、自分自身を一種の全知全能感を持った神に擬したことが知られる。
信長は自分ひとりが正しいとして、独善的な政権運営に終始、最後は本能寺で明智光秀の夜襲を受けて亡くなった。

秀吉も晩年、老人性の認知症が進んだこともあり、やはり自分が命じれば何でも実現できる、全知全能感にとらわれた。特に有名なのは、恨みだけを買うことになった2度目の朝鮮出兵を誰も止めることができなかったことだ。

評伝『徳川家康』(プレジデント社)の著者山本七平氏は、「権力を握れば3年で馬鹿になるのがふつうであり、多くの権力者にそれが見られるが、家康にはなかった」と書いている。

さまざま調べても、家康は信長、秀吉のような全知全能感を持つことはなかったことがわかる。
なぜならば、家康には数多くの「諫議太夫」が存在したからである。関ヶ原の戦いの半年前に出会ったイギリス人ウイリアム・アダムス、後の三浦按針はまさに「諫議太夫」の1人であり、家康はさまざまな情報に耳を傾けている。

誰でもそうだが、自分自身の欠点を挙げられ、意見、直言を素直に聞いていれば、全知全能の神が宿ることはないようだ。

川勝知事の場合はどうか?

今回の9月県議会ではおカネのことが問題になった。
2009年初当選した川勝知事は、選挙公約で退職金4090万円を全額返上すると表明、1期目の退職金を辞退した。

2期目、3期目は退職金辞退の公約をしなかったとして、川勝知事は退職金4060万円を受け取った。合計約8120万円である。

一方、2016年、2019年、2020年に退職した3人の副知事は、退職金約2000万円を辞退した。
退職金辞退の裏には、川勝知事が辞退させる圧力を掛けたか、あるいは辞退せざるを得ないよう忖度(そんたく)を誘導した疑いが強いと、多くの議員たちはいまだに考えている。

退職金辞退という問題で、川勝知事に唯々諾々と従う副知事たちが「諫議太夫」になるはずもない。

「諫議太夫」の役割を果たせるのか

全国的に見ても、知事が退職金を受け取っているのに、副知事が自主的に退職金を辞退している事例はないのだから、過去の副知事たちはちゃんと主張することができたはずだ。

9月県議会一般質問で、副知事の退職金問題が取り上げられた。

川勝知事は「本県を退職した職員は、県の出資する団体に再就職した場合には、退職金を支給しないよう要請している取り扱いを踏まえ、副知事は自らの意思で退職金を辞退されていると認識している」などと答えた。

知事の答弁通りであれば、県職員出身の現在の出野勉、森貴志の両副知事は退職金を辞退しなければならない。

ふつうに考えれば、県の要職に就く副知事が県の要請に逆らって、自らの意思で優先することなどできないからだ。

それなのに、9月県議会で、川勝知事は「それぞれの副知事が自らの意思で判断された。今後も副知事の判断を尊重する」などと何度も述べている。

県議会は副知事の退職金辞退問題を継続審議としたが、過去の副知事たちが県議会に出席して証言しない限り、川勝知事の虚偽は明らかにされないだろう。ただ、招請しても、元副知事がちゃんと証言するのか、あまり期待できない。

実際には、現在の出野、森の両副知事が「諫議太夫」の役割を果たせるのかどうかが注目される。出野副知事は来年4月で任期切れとなる。最後の最後に川勝知事に従うのを辞めて、ちゃんと発言できるかだ。ぜひ、「諫議太夫」となってほしいところだ。

家康に倣って、川勝知事が自ら「諫議太夫」を置くことが期待されるが、信長のような全知全能感のかたまりとなっている「権力者」には無理だろう。

9月県議会の「対決姿勢」は、12月1日開会の12月県議会にそのまま持ち越される。12月県議会に「諫議太夫」が現れるか、あるいは別の妙手があるのか? さまざま手を打たなければ、全知全能感の「権力者」川勝知事には勝てない。

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小林一哉(こばやし・かずや)

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