『ゴジラ-1.0』公開記念!名作『ゴジラVSビオランテ』の魅力を改めて振り返る 〜時代背景から劇伴まで、超・私的マニアック視点で解説 〜

『ゴジラVSビオランテ』©1989 TOHO CO., LTD.

『ゴジラ-1.0』公開に寄せて

『ゴジラ-1.0』が、いよいよ11月3日(金)に公開される。1954年の同じ日に第1作『ゴジラ』が封切りされてから69年目、そして国内制作の実写映画としては『シン・ゴジラ』(2016年)以来、7年ぶりの新作だ。

予告編の断片的な映像に映し出された山崎貴版ゴジラは、禍々しくもどこかヒロイックな格好良さが同居したデザイン。猛り狂った獣を感じさせる表情で電車を咥えるカットだけで思わずゾクゾクきてしまった。「ゴジラの怖さ」にこだわったと言われる今作。大スクリーンでどんな暴れっぷりを見せてくれるのか、とにかく楽しみだ。

そしてきっと、これが人生で初めて観るゴジラになる子供たちも多いだろう。今作でゴジラと初接近遭遇した彼らは、一生引きずるトラウマを抱えるだろうか? それとも破壊の奥にえも言われぬ美しさとドラマを見出し、ゴジラ沼に引き摺り込まれてしまうだろうか?

そう、かつて『ゴジラVSビオランテ』を劇場で観た、幼き筆者のように……。

『ゴジラVSビオランテ』の衝撃

話題を40年ほど前に巻き戻そう。

1983年、70年代から長らく休眠状態だったゴジラ映画の復活を求める声が高まり、その動きは1984年にリブート版『ゴジラ』の公開という形で結実した。この時も「怖いゴジラへの回帰」が謳われ、見どころも多い1作ではあったが、結果的にそれはゴジラの完全復権までには至らず、昭和最後のゴジラ映画になってしまった。

再び長い眠りにつくかと思われたゴジラシリーズだが、東宝の田中友幸プロデューサーの信念のもと、それから準備期間に5年の歳月をかけて『ゴジラ2(仮)』が企画される。そうして1989年(平成元年)12月、続編として公開されたのが『ゴジラVSビオランテ』だ。

当時、筆者は小学2年生。これが初めて映画館で観た実写映画だった。そしてその時の衝撃は、忘れがたい映画体験として今もなお記憶に残っている。異形すぎるビオランテの佇まい、密度の高いストーリー、スピード感あふれる演出、スケールの大きな音楽、そして、躍動するゴジラ。あれから今日まで、何度観返したことだろう。

劇場公開時こそ期待されたほどの大ヒットに至らず、斬新な作風ゆえ賛否も呼んだ本作だが、自分のような潜在的コアファンを多く獲得していたようで、現在ではファン投票で1位を獲得するなどゴジラ映画の金字塔のひとつと評されることも少なくない。それどころか、近頃はゴジラファンの間でも「VSビオランテ好きって言っとけば無難」「みんな好きって言うからあえて自分は触れない」「そんなことよりMOGERAの話をしようぜ!(意訳)」というふうに、その人気ぶりゆえか謎の避けられ方をしているケースもしばしば目にする(※個人の見解です)。

だから自分はここであえてはっきり申し上げたい。「『ゴジラVSビオランテ』、大大大好き!!!」と。そして、この作品の何がそんなに魅力的なのか、この機会にできるかぎり言語化してみたいと思う。

『ゴジラVSビオランテ』の魅力①~③

① 圧倒的な怪獣造型

小さくて鋭い瞳、哺乳類的な鼻先、二列に並んだ歯と生々しい口腔……。本作のゴジラ(通称ビオゴジ)は、その顔つきが過去作から大きく一新された。前作までは目が大きくてトカゲ面という、いわゆる怪獣顔だったのに対し、ビオゴジは見る角度によって猛禽類にもゴリラにも、犬にも猫にも見える。様々な動物のイメージを盛り込んで生物的なリアリティを高めるというのは、昭和期から東宝特撮の現場に携わり続け、本作で初めてゴジラ映画の特技監督を務めた川北紘一の強いこだわりだったという。

もうひとつ、川北ら製作陣が徹底的にこだわったのが新怪獣・ビオランテのデザインだ。「ゴジラのDNAを取り込んだ植物怪獣」という前代未聞すぎるお題は、当然ながら決定に至るまで難航を極めたそうだが、最終的に辿り着いたその異形な佇まいの完成度は、今なお古びることがない。

気持ち悪さスレスレなクリーチャー感と、ゴジラを凌駕する巨大なスケール、そして艶かしくもある植物的なテクスチャ。過剰なほど細かいディテールからは、行きすぎた遺伝子操作の産物という出自の悲劇性さえ感じられる。0を100にする途方もないクリエイティブだったと想像するが、この2体の造型だけでも「誰も見たことがない、新しい怪獣映画を見せつけてやろう」という挑戦的精神がひしひし感じられて、たまらない気持ちになるのだ。

② 時代性を反映したストーリー

本作は、日本と米国、そして中東のサラジア共和国(架空の国家)が、ゴジラの細胞という“希少な資源“を奪い合う国家間の駆け引きを軸に展開する。ゴジラもビオランテも、その人間同士の争いの果てに目覚めさせられる羽目になってしまう“人災としての怪獣映画”という側面が強いのも特徴だ。

この映画が公開された1989年末というと、世界的にはイラン・イラク戦争から湾岸戦争に至る時期。テレビのニュースは連日連夜にわたり緊迫した中東情勢をトップで報じ、幼い自分もお茶の間でそれを眺めながら、子ども心になんとも重苦しいムードを感じていたのを痛烈に記憶している。本作はフィクションでありつつも、そんな「当時の国際問題のイヤな空気」を多分に纏っていて、同時にそういうモヤモヤを怪獣たちが一蹴してくれるような爽快さもあった。

ゴジラ映画の歴史を振り返れば、明らかに水爆と戦争への警鐘が込められた第1作『ゴジラ』(1954年)や、公害問題をストレートに反映した『ゴジラ対ヘドラ』(1971年)をはじめとして、当時の世相と切っても切り離せない作品も多い。個人的には、そんな時代の合わせ鏡となり得るのが怪獣映画の醍醐味だと思っている。

世界を取り巻く状況が不安定な今だからこそ、“あの頃のムード”が追体験できる本作は、また新しい視点で見えてくるかもしれない。

③「怪獣世代」による新感覚ゴジラ映画

現在では「怪獣映画のメインスタッフがもともと怪獣マニア」というケースは珍しくないが、その先駆けになったのもこの作品ではないだろうか。

本作はストーリーを一般公募し(選考者には手塚治虫も名を連ねていた)、そこで選ばれた小林晋一郎の作品が原案になった。小林は高校生当時にTV番組『帰ってきたウルトラマン』(1971年)の一編「許されざるいのち」の原案を円谷プロに投稿して採用された実績があり、言わば特撮マニアの中で抜きん出た存在だった(ちなみに、そこに登場する怪獣レオゴンも科学の暴走の果てに生まれた植物と動物の合性怪獣であるなど、ビオランテと共通点がある)。

本業は歯科医である小林は、学術的な知見で物語に奥行きを与えたばかりでなく、ゴジラの歯並び等といったデザイン的な部分でも積極的に現場に助言していたそうだ。自分の持てるスキルを推しコンテンツに直接注ぎ、還元する……これはファンとして究極の夢であろう。

そして本作最大のキーパーソン、監督の大森一樹。それまでゴジラ映画は東宝に所属する社員監督がメガホンを取るのが通例だったが、田中プロデューサーは新基軸を打ち出すべく、当時『ヒポクラテスたち』(1980年)等で評価を高めていた新進気鋭の若手監督・大森に作品を託した。大森自身、幼少期に『妖星ゴラス』(1962年)や『モスラ対ゴジラ』(1964年)など、東宝特撮映画を数多く観て影響を受けてきたと公言している。

大森や小林のように、怪獣映画に触れながら育った世代ならではの新感覚な目線が作劇に落とし込まれたことで、王道とチャレンジ精神の両立という、本作の奇跡的なバランスが生まれたのではないかと推察する。

『ゴジラVSビオランテ』の魅力④~⑤

④ スピード感を煽る音楽

この作品を語るとき、「スピード感がある」という形容がよく用いられるが、その大きな要因のひとつが音楽であろう。それは単に「音楽のテンポが速い」だけではなく、「音楽の付け方が早い」のである。

細かい話になるが、劇伴音楽というのは通常「A」という場面から「B」という場面に変わった後、その「B」に適した楽曲が流れるという付け方が圧倒的に多い。ところが本作では「A」と「B」をまたぐように、前の場面から“やや食い気味”に音楽が始まるケースが非常に目立つのだ。

一例としては序盤、「サラジアの研究施設が爆破され、その犠牲となり横たわる白神英理加のアップ」から流れ出した音楽が、そのまま次のシーン「5年後の白神植物研究所」まで続けて流れる。

この手法のデメリットとして“場面や時系列の変化が分かりづらくなる”という側面はあるのだが、それでもあえてこのような音楽付けをすることで、場面と場面がシームレスに流れ、映画に前のめりなテンポが生まれる。さらに、場面「A」にあった要素が場面「B」の伏線になっている……といった含みを持たせることもできる。

個人的には、こういった細かなアプローチがあるからこそ『ゴジラVSビオランテ』に恐るべきハイセンスさを感じてしまうのだ。

そんな本作の音楽をメインで担当したのは〈ドラゴンクエスト〉シリーズでおなじみのすぎやまこういち。ゴジラの音楽といえば伊福部昭による重厚なテーマ曲、というイメージが根強いため、当時往年のファンからは「曲が軽い」「ドラクエっぽすぎ」といった反発も存在した。

だが、ちょっと待ってほしい。実際に本作のメインテーマ曲「ゴジラ1989」と、同時期に作曲されたであろう〈ドラクエⅣ〉の「悪の化身」(デスピサロ戦の音楽)を聴き比べてみると……た、確かに似ている‼

が、それは瑣末な話。中世的なモチーフが多いドラクエと現代的な本作とでは根本的に音楽的アプローチが異なるし、「スーパーX2」のテーマのようなハリウッドライクな楽曲はそれまでのゴジラ映画になかったもので、“ゴジラ映画のスケール感をさらに拡げよう”という気概にあふれている。また、自衛隊の登場場面で流れる「スクランブル・マーチ」は勇壮ながら情感にも溢れ、伊福部昭のマーチ曲とはまた違った趣のある名曲だと思う。

いっぽう本作では伊福部昭の音楽も随所で用いられ、ゴジラのテーマの無調の響きと、転調を多用し先が読めない展開を繰り返すビオランテのテーマが見事なコントラストを生んでいる。すぎやま音楽があってこそ、伊福部音楽の圧倒的素晴らしさがさらに説得力を増すのだ。

⑤ 紳士的なマッドサイエンティスト・白神博士

さて、文字数が限界に近いが、最後にキャストについても少しだけ。

群像劇的な本作は、登場人物もそれぞれ魅力的なキャラクターばかりなのだが、中でも1人ピックアップするとしたら、やはりビオランテの生みの親・白神博士だろう。自己再生能力を持つゴジラ細胞に、亡き娘・英理加のDNAと彼女が好きだったバラを融合して永遠の命を作ろう……という発想といい、それが怪獣化してしまったにもかかわらず全く責任を感じてなさそうな口ぶりといい、一言で表すなら「人間として明らかにヤバいやつ」である。

実際に小林晋一郎の原案ではもっと分かりやすいマッドサイエンティストとして描写されていた。だが、それを名優・高橋幸治が演じたことでグッとインテリ感と落ち着きが増し、「知的でもっともらしい発言をするのでみんな信頼してしまうが、よくよく聞くとヤバいことを言ってるやつ」という、さらにタチの悪い人物になってしまった。うーん、好き!

とはいえ物語はこの白神と、怪獣化してしまった娘との心の距離についても丁寧に描いている。映画終盤、英理加の意志が“とある演出”によって表現されるのだが、その演出の是非はファンの間でもいまだに議論の的だ。筆者は親子の対話という観点で純粋に感動を覚えてしまうシーンなのだが、あなたはどう感じるだろうか。ぜひ作品を観て確認してみてほしい。

新たなファンの獲得とゴジラの未来

そんなわけで、正直まだまだ語り尽くせないが、本作の魅力と筆者の作品愛が少しでも伝われば幸いである。文中でも触れた通り、ここで書いた見解に異論あるファンの方もいるだろう。それは息の長いシリーズの宿命といえよう。

ただ作品というものは、たとえ賛否が分かれ叩かれようと、一方で熱狂的な支持者を獲得することができれば勝ちなのだ。『ゴジラVSビオランテ』はそんな支持者たちがいつまでも語り継いでいくことで、公開当時より評価が高まっているという好例ではないだろうか。

『ゴジラ-1.0』も「山崎貴監督が描くフルCGのゴジラ」という要素からして、恐らく新旧のファンからさまざまな評価と議論が飛び交う作品になる予感がしている。それでも、この作品を通じてゴジラと出会い、その虜になった新しい世代によって今後さらにシリーズが紡がれていく結果になってくれれば、それはゴジラファンの勝利だ。そんな幸せな未来を心待ちにしている。

文:ナカムラリョウ

『ゴジラ-1.0』は2023年11月1日(金)より全国公開

『ゴジラVSビオランテ』『ゴジラVSスペースゴジラ』『ゴジラVSデストロイア』『GODZILLA(1998年)』はCS映画専門チャンネル ムービープラスで2023年10~11月放送はCS映画専門チャンネル ムービープラス「『ゴジラ-1.0』公開記念!2ヶ月連続ゴジラ特集」で2023年10~11月放送

© ディスカバリー・ジャパン株式会社