額賀衆院議長 政策通、立法の長  財務や防衛、要職歴任 保守本流、姿勢貫く

衆院議長に就任し、自民党の議員らに祝福される額賀福志郎氏(左から3人目)=20日午後1時10分、国会

額賀福志郎氏(79)=茨城2区=が、現憲法下では茨城県から初めての衆院議長に就任した。経済、政策通として政府や自民党内で要職を歴任し、若手時代から派閥のプリンス、将来の総裁候補などと言われてきた。額賀氏の起用に、地元からは喜びの声が上がった。

■総裁候補

額賀氏は早稲田大政治経済学部を卒業後、新聞記者を経て1978年12月の県議選行方郡区(定数2)に無所属で出馬し、自民党公認の新人2氏を引き離しトップで初当選した。

県議を2期務めた後は、「県の新時代を開拓するため、先兵役を果たしたい」と、活躍の舞台を国政へと移す。自民党幹事長や建設、運輸大臣などを務めた橋本登美三郎氏の地盤を引き継ぎ、83年12月の衆院選で初当選を果たした。

党内きっての政策通、経済通としても知られ、若手時代から「派閥のプリンス」と言われ、次代の総裁候補として将来を嘱望されてきた。2003年9月に党の政調会長、09年9月に竹下登氏ら3人の首相を輩出した「平成研究会」(現茂木派)の会長に就くなど、手腕を振るった。

■手腕卓越

政府内でも要職を歴任してきた。初入閣は1998年7月。小渕内閣で防衛庁長官に就いた。第2次森内閣では2001年1月に新設された初代の経済財政・IT担当相に起用された。

ただ、いずれも途中降板する無念を味わった。防衛庁長官就任後は、わずか2カ月半で防衛庁の装備品調達を巡る背任事件で問責決議案が可決され辞任。また、経済財政担当相就任直後も、財団法人からの資金提供問題で混乱を招いたとして、責任を取り辞任した。

05年10月の第3次小泉改造内閣では、2度目となる防衛長官に就任。それまで自民党の日米安保・基地再編合同調査会座長を務めるなど、在日米軍再編協議で日米合意への道筋を主導した経験を買われた再登板で手腕と実力を見せつけた。

内閣の要となる財務相を担ったのは07年8月からの安倍改造内閣。茨城県選出の国会議員では、今でも額賀氏が唯一の起用だ。

■開港に力

茨城空港(小美玉市)の開港や東関東自動車道の県内延伸などにも力を尽くした。航空自衛隊百里基地の民間共用化は1998年3月、当時の防衛庁と運輸省、県の3者が新滑走路建設の方向で合意し、実現に向けて大きく前進した。三者会談を設定し、その場に立ち会ったのが当時官房副長官だった額賀氏だった。

今年9月には、額賀氏と大井川和彦知事が斉藤鉄夫国土交通相と面会、着陸枠の弾力化で合意。開港以来続いてきた「1時間に1着陸」ルールが拡大する見通しとなり、定期便の拡大に期待がかかる。大井川知事は20日の定例記者会見で「額賀先生の支援で前進した。今後も支援をお願いしたい」と期待を寄せた。

座右の銘は「福志大道」。国民の幸福を求め、大きな真ん中の道を歩むとする自身の造語だ。14年の茨城新聞取材に、額賀氏は保守本流を貫く姿勢を語っている。「あぜ道、横道、いろいろな道があるが、やはり真ん中を行きたい。保守政治の真ん中を進みたい」

額賀福志郎衆院議長の主な足跡

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