[食の履歴書]cobaさん(アコーディオニスト)イタリア留学を機に 音楽通じて農家応援

cobaさん

18歳でイタリアに留学して、自分の中で食について革命が起こりました。

僕が最初に住んだ街は、マルケ州の州都アンコーナから15、16キロほどのカステルフィダルド。アドリア海に面し、脚の形をしたイタリアのふくらはぎにあたる場所です。この街で世界のアコーディオンの8割が生産されるので、われわれアコーディオニストにとっては聖地なんです。

僕が最初に住んだのは、ホテルの長期滞在版みたいな施設のペンシオーネ。昼と夜の2食付きで、1泊約1500円と非常に安いところでした。

ある日の昼食のことです。ロメインレタスの他に何も入っていないインサラータ・ベルデ(緑のサラダ)に、塩、こしょう、オリーブオイル、アチェートというブドウの酢をかけて混ぜて食べようとしたら、シャクトリムシがいて、元気に尺を取っていたんですよ。

これは大変だと、宿のお姉さんを呼んで訴えたら、彼女は平然とシャクトリムシを取って、サラダを僕に薦めてくれたんです。

すごく非常識だと思いましたけど、後々になって、虫が食べるということは農薬を使っていない素晴らしい野菜だと、気が付きました。

僕は3歳から新潟の田舎で育ちました。借家の目の前が大家さんの畑で、そこで取れた野菜を食べていたんです。大家さんは自然農法で、畑に人間の排せつ物をまいていました。そのありがたさを、イタリアに行くまで分かっていなかったんですね。

宿には南イタリアからやってきたボッチさんという人も寝泊まりをしていて、僕たちは非常に気が合いました。休みには一緒に釣りに行ったり、ジョギングをしたりしました。

ボッチさんはワインメーカーのテイスターで、ワインについて数々のことを教えてくれました。マルケでは「ヴェルディッキオ」というブドウが生産され、それを使った白ワインがあります。魚の形をした瓶に入ったものが、日本でも販売されています。自分たちで釣った魚を使った料理は、そのワインとよく合いました。

イタリアが国として統一されたのは、19世紀のことです。そのため地方独自の食文化がまだ色濃く残っています。僕は後にベネチアの学校に入ったんですが、マルケとは食べ物が全然違うことに驚きました。パスタの硬さも違います。マルケでは硬めにゆで上げるアルデンテ。べネチアではかなり柔らかくゆでます。マルケから行った僕は、少々物足りなく感じました。

郷土意識が強いからでしょう。若い人たちが18、19世紀くらいに作られなくなった郷土の伝統野菜を復活させようと試みています。

たとえばマルケのチチェルキアという豆。大きさが恐ろしくふぞろいで火の通りにむらが出るので、料理が難しいんですよ。でも独特のうま味がある。これをとある村の青年団が復活させて、今やマルケ料理の売りになっています。ピエモンテのロエーロ村では、青年団が「アルネイス」というブドウを復活させました。今ではそのブドウを使ったロエーロアルネイスという白ワインが人気で、輸出もされるようになっています。

イタリア留学をしたことで地方の独特の食材に興味を持った僕は、縁があって宮崎県日向市の「へべす大使」をやっています。

先月、日向で落合務さんたちトップシェフに参加していただき、食と音楽とダンスの舞台をやったんです。マルシェには農家の方にも参加していただきました。ヘベスに限らず、日向の食材についてシェフたちに知ってもらいたいと思ったからです。このように音楽を通じて、農家と料理人の交流の場をもっとたくさん持てればと思っています。 (聞き手・菊地武顕)

コバ 1959年、長野県生まれ。3歳から音感教育で音楽に接し、18歳でイタリア留学。ベネチアのルチアーノ・ファンチェルリ音楽院アコーディオン科首席卒業。ウィーンで開かれた世界アコーディオンコンクールなどで優勝を果たす。11月3日、フラメンコギタリストの沖仁とのユニット「cokiba」仙台公演。11月18、19日、デーモン閣下と沖縄・ガンガラーの谷で「魂の音楽祭 マブイオト」公演。

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