今年6月、大手引っ越し業者で、男性社員が運搬トラック内で全裸にされ、縛りつけられた上に荷物を固定するためのゴムで叩かれていたという壮絶な「大人のいじめ」が発覚。一連の様子を撮影した動画がSNSなどで拡散され、騒動となりました。
厚生労働省が公表した「個別労働紛争解決制度の施行状況」(令和4年度)によれば、民事上の個別労働紛争の相談として「いじめ・嫌がらせ」に関するものが6万9932件に上りました。これは他の「自己都合退職」「解雇」などの相談と比べても特に多く、職場で「大人のいじめ」が横行している証左となっています。
しかし「大人のいじめ」は職場内だけに限りません。この連載では被害者の声から、その実情を探りました(連載第1回はこちら)。最終回ではいじめに遭ったときにどう対処するべきなのか弁護士の意見も紹介します。
※この記事はNHKディレクター木原克直氏による書籍『いじめをやめられない大人たち』(ポプラ新書)より一部抜粋・構成しています。
「いじめ」といっても必ずしも会社の中だけで起こるわけではない。子どもを介したママ友の間で起こることもあれば、近所付き合いやマンションの近隣住民の間で起こることもある。
「パワハラ」に関する問題を数多く手掛けてきた笹山尚人弁護士に、これまで見てきた様々な「いじめ事案」について意見を伺ったところ、ママ友関連の事案は特に難しいという。
法廷で争われた件数自体も少なく、判例も乏しい。また、2019年5月に成立した「パワハラ防止法」のような法律は、ママ友同士の関係においてはない。ママ友間での嫌がらせに対して法的に対応しようとすると、行為そのものの「違法性」を問うことになる。つまり、暴行や窃盗、名誉毀損といった罪に該当するのかどうか、それを立証する必要が出てくるのだ。
たとえば、ママ友間のいじめでしばしば見られる「LINEはずし」。LINEグループからひとりだけ除外し仲間外れにするといったことは、その行為自体が違法だとは言えないと笹山弁護士は言う。
裁判よりも「和解」を目指す理由
実際に、これまで見てきたようないじめの事案が、笹山弁護士のもとに持ち込まれた場合にどうするか尋ねてみた。すると、こうしたケースのおよそ8割は、裁判ではなく和解を目指すという。
そこには、裁判に勝てるかどうかという視点に加えて、紛争が終わったあと、いじめ被害者自身がどのような生活を望むかという点についても考慮することが重要だという。
たとえば相手が会社の場合、裁判に勝ったとしても、すべてが解決し元通りの職場環境になるとは限らない。中には、裁判では勝ったものの、その後、周囲の人から腫れ物に触るように距離を置かれ、かえって働きづらい状況になってしまうこともある。
あるいは、裁判所で認定された「嫌がらせ行為」よりも、さらに陰湿で証拠も残らないような行為へとエスカレートするようなケースもあるというのだ。
裁判を行なった被害者のその後がどうなるか、その運命を握っているのが会社の経営層の考え方だ。職場内でのいじめについて、被害者が声を上げるまで経営層がまったく知らず、いじめ事案が顕在化したことで「これは問題だ」と受け止め、改善に乗り出してくれるというケースもある。
しかし、そうなるのは幸運なケースで、いじめがあったことを知りながらも見て見ぬふりを続けるケースも少なくない。
こうした場合には、仮に裁判で被害者側の訴えが認められたとしても、会社側が「面倒くさい社員だ」「余計なことをして」と考え、その後、様々な圧力をかけられる場合もある。
実際に裁判が始まると、会社側が原告(いじめの被害者)について、「いかに職務態度に問題があったか」「ミスも多く、能力的にも問題があり、厳しい指導が必要だった」というような主張を行なってくることも少なくない。
そうしたやりとりは、原告にとっても大きな精神的負担となる。膨大な時間をかけ、多額の費用をかけ、その結果、裁判には勝ったが仕事を失う。理不尽だが、そういうこともなくはないのだ。
いじめとは何か?
改めて、笹山弁護士に自身が考える「いじめ」とは何かを問うた。
すると、
・人格を傷つける行為があった(被害者側の主観で、傷ついたと感じた)
・ある程度の力関係を背景に行なわれた
ことを前提とする、「違法行為の枠の中には入りきらない加害行為」、「違法行為の周辺にグレーゾーンのように広がる人権侵害のこと」だという。
残念ながらこうした行為に該当するものすべてが「違法」になるわけではない。その理由については、法の理念が「ある程度の社会的摩擦はある」ことを前提にしているからであるという。
たとえば、「個人のプライバシーなどの権利」と「表現の自由」がしばしば衝突するように、法律によって保障されるべきすべての権利が矛盾なく保障されることは不可能であり、そうした衝突が起きることを前提として、法は運営されているというのだ。
その上で、笹山弁護士は、相談にきた依頼人に対して「裁判に勝てるかどうか」ということの見立てと併せて確認することがあるそうだ。
裁判に勝つよりも大事なこと
ひとつは、「裁判をしてでも、この職場に居続けたいのか」ということ。もうひとつは、「この問題に決着をつけることが、人生にとってどれほど大事なことか」ということだ。私はこのふたつの問いかけを、とても重要な視点だと感じた。
「裁判をしてでも、この職場に居続けたいのか」という問いかけは、いじめに耐え続ける必要はない、無理して仕事を続ける必要はない、逃げてもいいのだということ。
いじめ被害の渦中にいると、つい、このことに目が向かない場合がある。「子どものいじめ」が転校や卒業、クラス替えなどをきっかけに終わるのと比べると、「大人のいじめ」が長期化する背景には、自分の被害に向き合えないという場合も少なくない。
今回、取材をしたいじめの被害者の中でも、特に男性には、「自分がいじめられている」という事実をなかなか受け入れられない人が多いと感じることがあった。
教師だった山下さん(40代男性・仮名)も、1年にわたるいじめの被害に遭い、メンタルの不調から通院が欠かせないような状況になってしまった。それでも、未だにいじめられていた事実を同居している父親に言えないという。その理由について山下さんは、「男なんだから、弱音を吐くな」「情けない、お前にも悪いところがあった」と責められるに違いないと思ったからだという。
我慢強いことを美徳とすることや、弱音を吐かないことが「男らしい」と受け止められること。こうした風潮に対して近年は、少しずつ疑問が投げかけられるようになってはきたが、まだまだ私たちの基本的な価値観の中に根付いている。
こうした価値観と、私たちの社会でいじめが見えづらく長期化することは無縁ではないのかもしれない。
また、「この問題に決着をつけることが、人生にとってどれほど大事なことか」と自分に問うことも、とても重要だ。
生活のためには仕事を続けなければならない。今よりも条件のよい職場は近所にはない。そうした事情もたしかにある。しかし、人生を構成するものは、お金だけではない。時間や心身の健康もまた、私たちの人生の貴重な財産だ。
辛い時ほど、目下の悩みや苦痛に目がいきがちだが、ふっと自らを客観視し、人生の幸せについて、トータルで考えることの大切さを考えるきっかけをくれる問いかけだと感じた。
(了)