駅弁食中毒100人超、業界半世紀ぶり 全国販売のビジネスモデルに警鐘 基準緩和で延びる消費期限

酒田駅で販売された弁当による食中毒発生を報じる1975年9月19日の東奥日報の朝刊

 患者が29都道府県の521人に上った駅弁製造・販売業「吉田屋」(青森県八戸市)の集団食中毒。駅弁による集団食中毒は1975年に酒田駅(山形県酒田市)で発生、3人が死亡した例があるが、駅弁業界は厳しい基準を設けており、患者100人超の食中毒は約半世紀ぶり。駅弁は全国の百貨店などに流通する時代になったが、今回の事態を受け、吉田屋を代表とする駅弁のビジネスモデルに警鐘を鳴らす人もいる。

 当時の東奥日報や食品衛生学雑誌によると、75年9月18日、酒田駅で販売された幕の内弁当を列車内で食べた12都道府県の130人が発症。腸炎ビブリオ、ブドウ球菌、セレウス菌が検出され、調製業者が外部から仕入れた卵焼きなど総菜が原因とされた。

 患者のうち、北海道観光のため大阪発青森行きの特急に乗車していた徳島県の団体客51人の大半が、事前予約した弁当を酒田駅で受け取り、車内で食べた数時間後に下痢などの症状を訴えた。全員途中の弘前駅で下車。弘前市立病院など4カ所の病院に入院し、1人が亡くなった。

 駅弁愛好家の堀田勝彦さん(埼玉県所沢市)は「この事件で駅弁業界は深刻な影響を受けた。だが、駅弁は元々、衛生面で非常に厳しい自主基準を制定していた」と指摘する。

 79年の厚生省(現厚生労働省)の通知では、弁当は「盛り付け後、喫食まで7時間」を期限の目安としたが、駅弁業界はJR発足の87年時点でも「4時間」だったという。

 その後、基準緩和や保存料の多用により、駅弁の消費期限は延びる傾向に。それに伴い、全国の百貨店やスーパーで駅弁を販売する吉田屋のようなビジネスモデルが成立したという。

 吉田屋は2013年、首都圏や西日本向けの供給体制強化のため、東京・新木場に製造工場を設立。だが、人件費高騰や八戸の本社工場との管理の両立が難しくなり、約3年で撤退した。21日の記者会見で吉田広城社長は「駅弁で重要なのは郷愁と旅の友。八戸でしっかり作るべきだと認識している」と述べた。

 一方、会見時の資料によると、八戸市保健所の改善指示の一つに「製品が48時間常温保管可能である科学的根拠の提出」があり、八戸から全国に配送するため、同社が長い消費期限を設定していることも明らかになった。

 堀田さんは「グルメ志向を目指す駅弁が、海鮮にもかかわらず消費期限が長く、スーパーの店頭に常温で置かれているのは本来の姿ではない」と指摘。消費地近くの同業他社に製造を委託するなど、食品の安全性と味わいの両立を図るべきだとしている。

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