バロンドールは「世界最高のサッカー選手」、今年は誰に? 混同されやすい二つの年間最優秀選手賞、その歴史をひもといてみた

2019年12月2日、バロンドール受賞後に取材に応じるメッシ=パリ(共同)

 サッカー専門誌フランス・フットボールが選定する2022~23年シーズンの世界最優秀選手賞「バロンドール」の表彰式が10月30日にパリで行われる。サッカー界で最も権威ある個人賞として知られ、近年は日本で「将来はバロンドールを取りたい」と公言する選手も少なくない。国際サッカー連盟(FIFA)が選出する世界最優秀選手賞も併存するため二つの賞は混同されやすいが、フランス・フットボール誌のバンサン・ガルシア編集長(44)は「FIFAの賞について言えることは特にないが、長い歴史と伝統を誇るバロンドールがスポーツの枠を超えた美しい賞であることは間違いない」と語る。今は世界最高の選手をたたえる称号として定着しているが、この30年余りでさまざまな紆余曲折を経て現在の形に至った。(共同通信ロンドン支局=田丸英生)

 ▽90年代から伝統に変化

 賞の始まりは67年前に遡る。フランスのスポーツ紙レキップの記者が提唱した欧州チャンピオンズカップ(現欧州チャンピオンズリーグ)が1955~56年シーズンに創設されたタイミングに合わせて、レキップ紙と同じグループの傘下にあるフランス・フットボール誌が欧州最優秀選手の表彰を考案した。16人の記者投票で選ばれた56年の初代受賞者は50歳までプレーしたことで有名なイングランドのスタンリー・マシューズで、その後は70年代にオランダのヨハン・クライフ、80年代にフランスのミシェル・プラティニがそれぞれ3度選ばれるなど多くの名選手が賞の歴史を彩ってきた。

フランス・フットボール誌のオフィスにあるバロンドール=10月9日、パリ(共同)

 その一方で選考が欧州の選手に限られたため、ワールドカップ(W杯)で伝説的な活躍を見せたブラジルのペレやアルゼンチンのディエゴ・マラドーナは対象外でバロンドールとは縁がなかった。
 長い伝統が変わるきっかけとなったのが、91年にFIFAが世界最優秀選手賞を新設したことだった。60年代から世界のサッカーを取材する英国人ジャーナリストのキア・ラドネッジ氏(75)は「マラドーナら欧州以外の選手も対象としたFIFAの新たな個人賞は、フランス・フットボール誌にとってバロンドールの立場を脅かす存在となった」と当時の情勢を解説する。90年代にサッカー界のグローバル化が進み、バロンドールも対象を「欧州のクラブでプレーする選手」に広げると、95年にACミラン(イタリア)のリベリア代表FWジョージ・ウェアがアフリカ出身選手として初めて受賞。97年にはインテル・ミラノ(イタリア)のブラジル代表FWロナウドが南米初の栄誉に輝いた。

フランス・フットボール誌のバンサン・ガルシア編集長=10月9日、パリの同誌オフィス(共同)

 ▽FIFAと併存から統合、そして提携解消

 2007年に対象を全世界に広げたことで、フランス・フットボール誌とFIFAが主催する二つの「世界最優秀選手賞」が併存することになった。前者が記者投票、後者が代表チームの監督と主将の投票で決まるという違いはあったものの、05~09年は5年連続で受賞者が同じだったこともあり10年から両賞が統合して「FIFAバロンドール」が誕生した。これによりFIFAが01年から設けていた女子の最優秀選手にもバロンドール(黄金のボール)が授与されることになり、11年に澤穂希が日本人で初めて受賞して大きな話題となった。

2019年12月2日、バロンドール受賞後に報道陣に囲まれるメッシ(中央)=パリ(共同)

 世界中の代表チームの監督、主将、記者の投票で選ぶ大規模なイベントとして6年間続いたが、16年に提携関係を解消して再び「世界一の選手」の称号が二つ並び立つ状況に戻った。FIFAは「ザ・ベスト」という呼称で再出発し、バロンドールは従来の形式に。ラドネッジ氏は「フランス・フットボール誌は自分たちのつくりあげた賞が、FIFAという巨大組織に吸い込まれていくことを恐れた」と読み解く。そして、11年に欧州連盟(UEFA)が昔のバロンドールを再現する狙いで、従来とは形式を変えた欧州最優秀選手賞を創設していたことも踏まえ、「バロンドールがさまざまな理由で元の形に戻ることができず、本来の姿を失ってしまったことは個人的に残念に思う」と続けた。
 それでも乱立する個人賞の中でバロンドールが唯一無二の存在とされる理由は何か―。今春までフランス・フットボール誌の編集長を務めたパスカル・フェレ氏(55)は、以前「それは私ではなく、選手に聞けば分かるだろう。傲慢と思われたくないが、選手が欲しいのはバロンドールだ。半世紀以上も常に特別な賞であり続けたのだから」と語っていた。編集長時代にはインターネット上に流れた投票結果の偽情報を巡り、フランス代表FWキリアン・エムバペから真偽を確かめる連絡を受けたこともあったという。このように毎年ファンやメディアだけでなく、選手も注目する一大行事として確固たる地位を築いている。

2018年12月3日、バロンドール表彰式でレッドカーペットに登場したエムバペ=パリ(共同)

 ▽記者らがノミネート、「人気投票」ではなくプロの視点で

 バロンドールの式典の準備は夏に候補選手30人をノミネートする作業から始まる。今年はフランス・フットボール誌の記者ら8人、レキップ紙のサッカー担当記者3人を中心にリストアップ。アンバサダーを務める元コートジボワール代表FWのディディエ・ドログバ氏も参加し、昨年の投票で1~5位が最終結果と一致したアイルランドの記者も招いたという。ガルシア編集長は「20人くらいはすんなり決まるが、残りの10人ほどをどうするかで議論が始まる。例えば今年はアルゼンチン代表FWフリアン・アルバレスやフランス代表FWランダル・コロムアニを巡って意見が分かれた」と明かす。一方でアルナスル(サウジアラビア)に移籍したポルトガル代表FWクリスティアノ・ロナルドを20年ぶりに候補から外すことに異論はなかったという。

2022年10月17日、バロンドールを初受賞し、ジダン氏(右)と笑顔を見せるサッカーフランス代表のFWベンゼマ=パリ(ロイター=共同)

 投票基準は(1)個人のパフォーマンス(2)所属チームの成績やタイトル(3)フェアプレー、と定められている。FIFAランキング上位100カ国・地域から1人ずつ選ばれた記者が候補の30選手の中から1~5位に順位をつけて投票。自国選手にひいき目な票を入れる記者も珍しくないが、プロフェッショナルな視点が求められ、ガルシア編集長は「誰に投票するかは自由だが、基準と照らし合わせて一貫性がなければ翌年は投票者を変えるかもしれない」とくぎを刺す。以前は170人以上いた投票者を昨年から100人に絞ったのもそのような理由からだ。世界中の代表監督、主将、記者、ファンが選ぶFIFAの最優秀選手は「人気投票」の色が濃くなることもあり、バロンドールの格式を保つためにも厳格な条件を設けて差別化を図っている。
 昨季はシーズン途中にW杯カタール大会が開催される異例の日程だったため、選定の焦点は期間にして1カ月足らずのW杯での活躍に重きを置くか、年間を通してのプレーをより評価するかに集まる。シーズン全体を見れば欧州チャンピオンズリーグ(CL)など主要3冠を達成したマンチェスター・シティー(イングランド)で、公式戦53試合52ゴールという驚異的な数字を残したノルウェー代表FWアーリン・ハーランドが飛び抜けている。「怪物」と形容される23歳のストライカーはフランス・フットボール誌のインタビューで「今年はチャンスがあると思う」とバロンドールへの意欲をのぞかせるが、ノルウェーがW杯に出場していないというマイナス材料もある。今年のFIFA最優秀選手の選考対象期間はW杯カタール大会後の昨年12月19日からの8か月間と変則的でハーランドの受賞が有力視される。

マンチェスターCのハーランド=英マンチェスター(ゲッティ=共同)

一方、バロンドールは昨年8月からの1年間が対象。カタールで抜群の輝きを放ってアルゼンチン代表を優勝に導いたFWリオネル・メッシのインパクトが強く、一部の欧州メディアでは2年ぶりの受賞が既に決まったとも報じられている。
 表彰式はより多くの選手が参加できるよう、欧州CLが行われない週の月曜日に設定。米プロリーグMLSのマイアミに所属するメッシも、プレーオフ進出を逃してシーズンが終了したため出席できる見通しという。うわさ通りに受賞すれば欧州以外のクラブ所属選手としては初めての栄誉。自身が持つ最多記録を更新する8度目の栄冠となり、36歳のスーパースターがまた一つ歴史を塗り替える夜となる。

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