チャールトン氏にいただいたプレゼント/六川亨の日本サッカーの歩み

86歳で他界したサッカー界のレジェンド・チャールトン氏[写真:Getty Images]

10月22日のJ2リーグ第39節は、首位の町田が熊本に3-0と快勝して初のJ1リーグ昇格を決めた。その一方で、金沢は山形に0-1で敗れてJ3リーグへの降格がほぼ決定した(J3の上位2チームがクラブライセンスを保持していない場合に限り残留)。

ただ、J2リーグ残り3試合でプレーオフ進出チームと降格圏内にいるチームは複数あるため予断を許さない状況に変わりはない。意外だったのは東京Vが千葉との“オリジナル10対決"で0-2から2-2に追いつき、さらに後半アディショナルタイムに決勝点を奪って3-2の逆転勝利を収めたことだ。

さらにタイトロープ状態の続く大宮も、藤枝に0-2とリードを許しながら、試合終了間際に同点に追いつくと、後半アディショナルタイム6分に袴田裕太郎がこの日2点目を決めて逆転勝利に導いた。これで大宮は4連勝となり、18位・熊本、19位・栃木、20位・山口との勝点差は4まで縮まった。次節で大宮が勝ち、山口(対仙台)、栃木(対岡山)、熊本(対千葉)が敗れればその差はさらに勝点差1となる。

ところが大宮の相手は7位でプレーオフ進出を争っている甲府で、その後も清水(アウェー)、東京V(ホーム)と、自動昇格の2位争いを演じている強敵との連戦が待っている。かつてJ1在籍時は「落ちそうで落ちない」ことから大宮のグッズは受験生のお守りにもなったが、もしも今シーズンJ2に残留したら、それこそ『奇跡』と言ってもいいだろう。

そんなJリーグの興奮から一夜明け、残念な知らせが届いた。66年イングランドW杯で初優勝の原動力となったMFのサー・ボビー・チャールトン氏の訃報である。享年86歳だった。

チャールトン氏のプレーを初めて見たのは、今年8月20日に亡くなられた名アナウンサーの金子勝彦さんがナビゲーターを務めた「三菱ダイヤモンドサッカー」のメキシコW杯だった。当時のシステムは4-3-3か4-4-2が一般的で、チャールトン氏は巧みなキープ力からサイドに展開し、ウイング攻撃の起点となった。

70~80年代のイングランド・サッカーは、とにかくヘディングが強かった。サイドからライナー性のセンタリングやえぐってからのマイナスの折り返しにFWは勇猛果敢に飛び込んでいく(当時はセンタリングが一般的で、後方から山なりのボールをクロスと呼んでいた。現在はクロスで統一され、センタリングは使用しない)。さらにチャールトン氏は左右両足での強シュートも得意とし、「キャノン・シュート」(大砲の一種であるキャノン砲から名付けられた)と恐れられていた。

「ミュンヘンの悲劇」からの生還と、イングランド勢初となるマンチェスター・ユナイテッドの欧州チャンピオンズカップ(現チャンピオンズリーグ)優勝など、生き様そのものが伝説の名選手だった。

現役引退後は2002年のW杯招致にも尽力され、02年3月のW杯トロフィーツアーで来日された際にはテレビ局の企画でお会いすることができて、お土産にマンチェスター・ユナイテッドのネクタイを頂いた。温厚で謙虚、かつ物静かな方で、「ジェントルマン」という言葉がぴったりの紳士だった。


【文・六川亨】

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