ハンセン病で“強制退学”の男性 75年ぶり母校へ 静岡・御前崎市

小学6年生でハンセン病と診断され、小学校の退学を余儀なくされた静岡・御前崎市出身の男性が、先週、母校を75年ぶりに訪れました。

この日、御前崎市立第一小学校を訪れたのは御前崎市出身の石山春平さん87歳です。現在、川崎市に住む石山さんが母校を訪れるのは実に75年ぶり。2人の同級生とともに校内に入ると…教職員が石山さんを拍手で出迎えました。石山さんが案内されたのは、小学1年生の教室。教室に大先輩が来ると聞いた1年生。この日のために、指で編んだ手作りのたわしと手紙を用意していました。

(御前崎市立第一小学校 仁平 美和子 校長)

「授業でずっと作ってるんですよ」

(石山 春平さん)

「話を聞いて涙が出ちゃう」

さらに…

(御前崎市立第一小学校 仁平 美和子 校長)

「黒板にも、1年生が、こういう人が来るよって言ったら(書いた)」

(石山 春平さん)

「あそこで一枚撮りたいな」

子どもたちから思いがけないサプライズを受けとった石山さんは。

(石山 春平さん)

「やっぱり生まれたところの学校は、どこに行っていても忘れられない」

ようやく実現した母校への訪問。しかし、ここまでには長い道のりがありました。今から75年前、当時小学6年生だった石山さんは「ハンセン病」と診断されました。

(石山 春平さん)

「いつも朗らかな父が首をうなだれて診察室から出てきた『お前は人には言えない病気になってしまった』と言われた」

2学期の初日、担任に診断書を渡すと、突然、教室から追い出され、小学校を強制退学させられたのです。

(石山 春平さん)

「教室に入ったらきのうまであった机といすがない。(担任に)後ろから蹴られて体が宙にとんだ」

当時は、ハンセン病に対する理解は進んでいなかったため、家族や友人と離れ離れになっただけでなく「日常」から突然切り離されてしまったのです。石山さんは自宅の納屋で暮らしたのち、16歳から15年間御殿場市の「神山復生病院」で療養生活を送りました。退所後は、運転免許を取り、障がい者の移動を介助するヘルパーとして働き、結婚して3人の子宝にも恵まれました。2023年6月には支援者の働きかけで、75年越しに小学校の卒業証書を受け取ることができました。そして、学校側の計らいで母校への訪問が実現したのです。訪問を終えた石山さんは。

(石山 春平さん)

「歯を食いしばって立ち上がり、校門を出たことが今でも忘れられない、こうして温かく迎えていただき、よく頑張ってきたなと自分をほめたいです」

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