ジョン・ランダウが企てた【ブルース・スプリングスティーン】の映像戦略とは?  ブルース・スプリングスティーンの真骨頂はライブパフォーマンス!

担当ディレクターとして、初めてアルバム発売時から関わった「ボーン・イン・ザ・U.S.A.」

ブルース・スプリングスティーンの担当ディレクターとして、私が初めてアルバム発売時から関われたのは『ボーン・イン・ザ・U.S.A.』からです。彼のデビュー50周年を記念してリリースされる『ジャパニーズ・シングル・コレクション -グレイテスト・ヒッツ-』DISC3、DISC4のDVDに収められているミュージック・ビデオの映像については、この時代に自分が当事者として経験したことや感じたことを以前このサイトにアップした『スプリングスティーン伝説のライブ「ノー・ニュークス」の映像がついに蔵出し!』にも書いているので、合わせて読んで頂きたい。

動の「ロザリータ」、静の「ザ・リバー」

実は、ブルースの動いている立ち姿、というものを我々が初めて観たのは、「ロザリータ」のライブ映像で、メディアはビデオではなく16ミリのフィルムでした。これは1978年にシューティングされたもので、この年の末か1979年に日本へ到着していたのではないかと思います。ブル-スの新譜的には『ダークネス』とか『ザ・リバー』にあたりますが、その時、どのシングル曲をプッシュしていようが構わずに、ポータブルな再生機を持ち歩き、この映像を音楽関係者にみせて回ったことを思い出します。

百聞は一見にしかず、とはまさにこのことで、この数分間の映像を観てもらえるだけで、ブルースのアーティストプロモーション効果は抜群でした。映像はたった1曲だけでしたが、その破壊力たるやすごいものありました。特にライブアクトとしての傑出した姿を理解してもらえたようです。この後に到着したものが、“ノー・ニュークス” のマジソンスクエアでのライブからの映像で “ザ・リバー“。こちらは大人しく静かに歌いあげているだけのものでしたが、動の「ロザリータ」、静の「ザ・リバー」の映像は我々の大きな力になってくれました。

「ダンシン・イン・ザ・ダーク」の映像が届いた時の喜び

アルバム『ボーン・イン・ザ・U.S.A.』からのファーストシングル曲「ダンシン・イン・ザ・ダーク」の映像が届いた時の喜びは、マスターテープが届いた時の、シングルカット候補数曲の存在確認ができた安堵とは、また別もので、これでやっと最低限必要な武器が手に入ったという安心感のものでした。

それまで届いていたブルースの映像は、前述のようにシングルヒットを狙うためのものではなく、アーティストプロモーションやイメージ的なものでしかなかったのですが、この映像でアルバム・セールスに必要な “シングルヒット” を狙う準備が整ったのです。

実は、MTV初期には、「自分の楽曲が映像で固定され、聴くもののイメージを狭くしてしまうから映像はつくりたくない」といってこれを嫌うアーティストもいました。ブルースにしても、“俺のライブにくれば、分かるだろ。俺にはビデオクリップは必要ない” なんて言い出しそうな気配もあったので、この我々にとって重要な武器が存在するのかどうなのかは、本当に心配してました。映像制作はやるのか、そしてやったとしたら、それはいつ到着するのか、毎日のように部内の海外渉外担当の女子に本国に問い合わせてしてもらっていたことを思い出します。

この映像制作にはマネージャーでもあるジョン・ランダウのサジェッションが大きな役割を果たしているはずです。映像監督に彼の友人でもあるブライアン・デ・パルマという超一流の監督を起用。“ボーン・イン・ザ・U.S.A. 全米ツアー” の初日公演終了後にビデオ撮影の為に観客に残ってもらって撮影された、とのこと(本人の自叙伝によれば、初日の午後にシューティングした、と。いずれにしても、撮影は初日に行われています)。

ある種のカルチャーショックを感じた「ダンシン・イン・ザ・ダーク」のプロモ映像

アルバムのレコーディングが終わって、速攻でツアーの準備に突入。しかもレコーディング途中で盟友のマイアミ・スティーブがバンドを抜けるという緊急事態もあり、急遽ニルス・ロフグレンの加入と特訓。そしてEストリートバンド初めての女性メンバー、パティ・スキャルファの加入もあり、リハなどを考慮すると、プロモ映像をシューティングする時間的余裕はあまりなかったはず。と言いつつも、ツアースタート時にはアルバムもシングルも既に発売されているので、CBSレコーズとしても大至急作り上げてMTVにサプライしたいはずです。

ブルースのプロモ映像がライブ仕立てということは、喜ばしいことで極めて自然なことだと思いましたが、映像が到着してみると、いわゆる演出されたライブということもありますが、ギターをかかえずに可愛い女子とダンスをしているブルースのにやけた姿には、違和感があったし、ある種のカルチャーショックを感じたことも覚えています。とは言え、今あらためて振り返ると、色々な考えが頭に浮かびます。

「ダンシン・イン・ザ・ダーク」は、ジョン・ランダウの狙い通りに、ラジオフレンドリィなアレンジとメロディで大成功。アルバムからの第1弾シングルとして、ヒットチャートの2位にまで上昇したことで、その後のアルバムのモンスターセールスのきっかけとなり、世界的に社会現象化した巨大ツアーのロケットダッシュをさらに加速させたはずです。

ブルースのイメージを一気にポップスターのような印象に変えたプロモ映像

そしてこのプロモ映像はMTVに流れたブルースの初姿だったはずです。つまり彼のことをよく知らない全米中の若いユーザー達に、この曲調とダンスしている姿をみせることによって “ロックンロールの権化” かのような、ちょっと熱すぎるブルースのイメージを一気にポップスターのような印象に変えて、親しみ易くすること成功したのではないかと思います。

また時はカルチャークラブやデュラン・デュランたちがMTVの力を借りてヒットを飛ばしていた、第2次ブリティッシュ・インベイジョン、いわゆるニューロマンティックの時代でもありました。元祖ヴィジュアル系で派手な格好した連中相手に、こちらはジーンズにTシャツ。汗と涙のロックンロールの熱血漢を如何にシーンに出していくか、若いユーザーにどう売っていくか、マーケティング担当者としては宣伝戦略を真剣に考えてましたが、全て杞憂に終わりました。

この映像が届き、全米ツアーがスタートすると同時に猛烈なスピードでチャートを快進撃。アメリカの勢いをリアルタイムに日本に持ち込むだけで充分でした。

真剣勝負のライブ映像が一番似合っているブルース・スプリングスティーン

このシングルと映像の存在は、野球の例えで恐縮ですが、こんな感じです。

期待されているとは言え、久しぶりのスタメン。先頭打者として打席に入った直後、初球をいきなりホームラン。それもスコアボードの遥か上を通過する大場外ホームラン。ファンもチームメイトも初っ端から大盛り上がりし、そのままの勢いで毎イニング得点を重ね、終わってみればとんでもない大差で大勝利した、といった具合でしょうか。

この曲で大当たりし、実際この後にカットされた7曲が全てトップテン入りし、全世界でアルバムセールスもライブ動員数もモンスター級のサクセスになったわけですから、ブルースとしてもプロモ映像に対してなんら疑問をもつこともなく、演技でもなんでもやりますよ、という具合になったのではないかと思います。

久しぶりに、「ロザリータ」や「明日なき暴走」の映像を観ました。何度観ても、映像が始まる前のドキドキ感はあの頃と変わらず、初めて観た時の感動が蘇ります。

当然ですが、彼の真骨頂はライブでのパフォーマンスです。演出された作品も悪くはないですが、彼にはやはり真剣勝負のライブ映像が一番似合っていると思います。

カタリベ: 喜久野俊和

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