教養としてのポップミュージック【デュエットソング TOP10】多様性の時代が始まった!  80年代は洋楽多様性の時代に突入!黒人と白人のデュエットソング TOP10

デュエットの面白さはイレギュラーな形で共演するという「非日常感」

今回のテーマは「デュエット」である。デュエットとは、辞書的に言うと「2人のパフォーマーのために作曲された音楽の一形態」ということになるだろうが、ここではボーカルのデュエットだけに絞って見ていこうと思う。一方で、デュエットには個人と個人の共演だけでなく、個人とグループ、あるいは2つのグループの共演という形もあるので、その辺はゆるく幅広く捉えていきたい。

デュエットの面白さは、普段は別々に活動している2組のアーティストが、イレギュラーな形で共演するという「非日常感」にあるだろう。また、特にビッグネームどうしのデュエットには、プロスポーツのオールスターゲームにも繋がる、独特な「華やかさ」がある。それだけに、普段の活動の中でリリースされる楽曲以上に、僕たちの記憶に強く残っているのではないだろうか。

実はデュエットの歴史はとても古く、1950年代以降、多くのヒット曲が生み出され続けている。当初の代表曲としては、ビング・クロスビー&グレース・ケリー「トゥルー・ラヴ」やポールとポーラ「ヘイ・ポーラ」あたりが挙げられるが、きっと皆さんも聴いたことがあるのではないだろうか。これらは僕が生まれる前のヒット曲なのに、何故かとても印象に残っている。これもデュエットの魅力(魔力)と言えるかもしれない。

デュエット曲を最も多くヒットさせたのは、おそらくマーヴィン・ゲイだろう。彼は1960年代から70年代にかけて、メリー・ウェルズ、キム・ウェストン、タミー・テレル、ダイアナ・ロスと組んで、なんと17曲を全米シングルチャート(Billboard 100)に送り込んだ。

デュエットの構図が大きく変化した80年代

さて、ここまで来ると、賢明な読者の皆さんはお気づきかもしれないが、1970年代までデュエットの多くは白人同士、あるいは黒人同士の男女の組合せであった。つまり、白人と黒人が人種を超えて組んだり、同性同士で組むことは極端に少なかったのだ。そして、その構図が大きく変化したのが80年代である。

変化のきっかけは、皆さんの想像通り、ポール・マッカートニーとスティーヴィー・ワンダーが共演した「エボニー・アンド・アイボリー」だ。それまで別々の市場を形成していた「白人音楽」と「黒人音楽」が、それぞれのトップアーティストどうしのコラボレーションによって融合したことで、その後の道筋が示された。これ以降、まるでダムが決壊したかのように、黒人と白人のデュエットが量産されるようになった。

ということで、黒人と白人のデュエットに絞って今回もTOP10を決めようと思うのだが、該当曲があまりにも多すぎるので、大人数が参加しているUSA・フォー・アフリカ「ウィ・アー・ザ・ワールド」やディオンヌ&フレンズ「愛のハーモニー(That's What Friends Are For)」等を外すことにした。なのに、それでも10曲に絞り込めず、最終的には12曲になってしまったことをご了承願いたい。

「3人のゴースト」サウンドトラックに収録されたクリスマスシーズン定番曲

【第10位】アン・レノックス&アル・グリーン「“3人のゴースト”のテーマ~恋をあなたに(Put A Little Love In Your Heart)」
映画『3人のゴースト(Scrooged)』のサウンドトラックに収録。オリジナルはジャッキー・デシャノンの1969年のヒット曲だが、ユーリズミックスのアニー・レノックスとソウル・ミュージック界のレジェンドの一人であるアル・グリーンによるデュエット曲として生まれ変わった。クリスマス・ファンタジー映画のエンディングテーマに使われたせいで、クリスマスシーズンの定番曲のようになってしまった。

【第9位】リンダ・ロンシュタット&ジェイムス・イングラム「アメリカ物語(サムホエア・アウト・ゼア)」
スティーヴン・スピルバーグが初めて製作総指揮を手掛けたアニメ映画『アメリカ物語(An American Tail)』のサウンドトラックに収録。「小悪魔なじゃじゃ馬」なイメージしかなかったリンダ・ロンシュタットが、見事にイメチェン&キャラ替えに成功した。一方のジェイムス・イングラムはそれまで「クインシー・ジョーンズの秘蔵っ子」の印象が強かったが、この曲のプロデュースは、リンダ作品を長年手掛けてきたピーター・アッシャーが務めた。

【第8位】アレサ・フランクリン&ジョージ・マイケル「愛のおとずれ(I Knew You Were Waiting (For Me))」

アレサ・フランクリンのアルバム『ジャンピン・ジャック・フラッシュ(Aretha (II))』に収録。彼女にとって「リスペクト」以来20年振りの全米No.1となったこの曲の胸熱なポイントは、ソニー&シェール、アイク&ティナ・ターナー、マーヴィン・ゲイ&タミー・テレルへのオマージュだろう。この3組はミュージックビデオに登場するだけでなく、歌詞にも各デュオのヒット曲を彷彿させる箇所があるので、チェックしてみて欲しい。

米国を代表する「マルチエンターテイナー」と「ディスコの女王」の組合せ

【第7位】ドナ・サマー&バーブラ・ストライサンド「ノー・モア・ティアーズ(イナフ・イズ・イナフ)」
バーブラ・ストライサンドのアルバム『ウェット』用に制作され、後にドナ・サマー初のベストアルバム『愛の軌跡ドナ・サマー・グレイテスト・ヒッツ(On The Radio:Greatest Hits:Volumes I & II)』にも収録された。米国を代表する「マルチエンターテイナー」と「ディスコの女王」の組合せは異種格闘技の様相を呈していたが、この曲では2人の「らしさ」がマッシュアップ的に組み合わさっているのが素晴らしい。どちらにとっても4曲目の全米No.1となったが、一度もライブ共演がなかったのは残念。

【第6位】マイケル・ジャクソン&ポール・マッカートニー「ガール・イズ・マイン」

ポップス史上最高売上アルバム『スリラー』からの先行シングル。この曲は、かつてポールがマイケルをイメージして書いた「ガールフレンド」(ウイングス『ロンドン・タウン』とマイケル・ジャクソン『オフ・ザ・ウォール』に収録)に雰囲気が似ているが、マイケルの単独作である。リリース当初、この曲の「人種の異なる2人が1人の女性を奪い合う」ストーリーを気に入らなかったメディアやファンが、少なからず存在したと言う。ところで、実はこの曲、翌年リリースされた「セイ・セイ・セイ」より後に制作されたのだそうだ。

【第5位】リンダ・ロンシュタット(デュエット:アーロン・ネヴィル)「ドント・ノウ・マッチ」
アルバム『クライ・ライク・ア・レインストーム(Cry Like A Rainstorm, Howl Like The Wind)』に収録。高音質で知られるこのアルバムは、当時CDのチェックディスクとして広く定着し、録音を担当したジョージ・マッセンバーグは本作でグラミーの最優秀アルバム技術賞(Best Engineered Album)を受賞した。80年代半ばから音楽的多様性を発揮し始めたリンダ・ロンシュタットが、この曲ではアーロン・ネヴィルと組んで “ねちっこい”デュエットを聴かせている。

【第4位】フィリップ・ベイリー デュエット フィル・コリンズ「イージー・ラヴァー」

アース・ウインド&ファイアーのフィリップ・ベイリーのソロアルバム『チャイニーズ・ウォール』に収録。プロデュースしたのがジェネシスのフィル・コリンズ。米国の黒人ファンクバンドのボーカリストと英国の白人プログレバンドのドラマーの組み合わせを最初に知った時は本当に驚いた。ちょうどユーロビート時代が到来する直前の時期だったが、生の人間がドラムを叩いている曲が六本木界隈のディスコで流れたのは、これが最後だったのではないだろうか。そういう意味でも、思い出深い1曲である。

数々のヒット曲を生み出してきた最強のコラボレーター

【第3位】パティ・ラベル&マイケル・マクドナルド「オン・マイ・オウン」
パティ・ラベルのアルバム『ウイナー・イン・ユー』に収録。元々は、巨匠バート・バカラックと当時の妻キャロル・ベイヤー・セイガーが、ディオンヌ・ワーウィックのアルバム『フレンズ』のために書き下ろした曲だったが、収録されずにこちらに回ってきたらしい。この曲のレコーディングは米国東海岸と西海岸に分かれて別々に行われ、パティ・ラベルとマイケル・マクドナルドは顔を合わせていないと言うから驚きである。それでもこの曲は、両者のキャリアにおいて最大のヒット曲となった。

【第2位】ポール・マッカートニー (特別参加)スティービー・ワンダー「エボニー・アンド・アイボリー」

ポール・マッカートニーのアルバム『タッグ・オブ・ウォー』に収録。この曲のコンセプトは「ピアノの黒鍵(Ebony)と白鍵(Ivory)が一つのハーモニーを奏でるように、白人と黒人、無色人種と有色人種、即ち人類が調和する」ということで、白人代表を自認するポールが黒人代表としてスティーヴィーを指名して、このデュエットが実現した。ジョン・レノンが凶弾に倒れた数ヵ月後、まだ世の中に喪失感を伴った何とも言えない空気が漂う中でレコーディングされたが、ポールはこの曲によってその空気を払拭してみせた。

【第1位】ポール・マッカートニー&マイケル・ジャクソン「セイ・セイ・セイ」

ポール・マッカートニーのアルバム『パイプス・オブ・ピース』に収録。この曲はポールにとって29曲目の(そしておそらく最後の)、マイケルにとっては10曲目の全米No.1である。ポールはギネスブックから「史上最も成功した作曲家(Most Successful Songwriter)」として認定されているが、同時に、自らが第一人者でありながらジョン・レノン、スティーヴィー・ワンダー、マイケル・ジャクソンと組んで数々のヒット曲を生み出してきた。そんな彼のことを、僕は “最強のコラボレーター” と呼んでもいいと思う。

【次々点】プリンス「ユー・ガット・ザ・ルック」
2枚組アルバム『サイン・オブ・ザ・タイムズ』に収録。プリンスがこの曲でデュエットの相手に選んだのはシーナ・イーストンだったが、何故かどこにもクレジットされていない。ミュージックビデオにも思いっきり出演しているのに何だか気の毒だなぁと思ったりもしたが、2人はこの頃、割と近い関係にあったそうだ。この曲の数年前、彼はアレクサンダー・ネヴァーマインド名義で彼女に楽曲提供している。

【次点】RUN DMC「ウォーク・ディス・ウェイ」
アルバム『レイジング・ヘル』に収録。RUN DMCがこの曲で「ラップとロックの融合」をハイレベルで実現したことは、1980年代を象徴する出来事の1つと言っていいと思う。エアロスミスのヒット曲をそのまま使い、メンバーをレコーディングに参加させ、ミュージックビデオにも出演させた。スティーヴン・タイラーが壁をぶち破って出てくるシーンは、今でも皆さんの脳裏に焼きついているはずだ。

カタリベ: 中川肇

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