驚きの現役復帰!「引退を撤回した世界のレジェンド選手」ベスト10

近年サッカー界ではケアの精度が高まっており、40代になってもプレーし続ける選手が多くなっている。

今回は一度現役を引退しながらも「プレーに復帰することを決めたレジェンドたち」をご紹介する。

ポール・スコールズ

やはり最も有名なのはマンチェスター・ユナイテッドのレジェンド、ポール・スコールズであろう。36歳となった2010-11シーズン、チームの中心的な選手として活躍を続けながら、終了後の引退を表明。コーチに就任していた。

ところがそれから半年が経った2012年1月、怪我人の続出から中盤が手薄になったこともあり、突然選手としてピッチに復帰することを宣言。当初はそのあたりのショップで買った市販のスパイクでプレーしていたとか。

さらに2012-13シーズンもプレーを続け、38歳で再度現役を離れている。無口な選手として知られていたが、引退後はなんと毒舌解説者になるのだから才能というのはわからない。

ヘンリク・ラーション

同じくマンチェスター・ユナイテッドに所属したことで知られるスウェーデンの英雄ラーションも、長いキャリアを楽しんだ選手の1人だ。バルセロナでプレーした後、2006年に古巣でもあるヘルシンボリに復帰。上記のようにユナイテッドへの短期ローンも経験し、2009年に現役を引退。

その後は指導者に転身していたが、2012年夏に下部リーグのロオIFで現役に復帰。次年度には息子が所属していたヘーガボリのアシスタントコーチとなり、42歳でピッチにも立っている。

イェンス・レーマン

時々見せるクレイジーな振る舞いとスーパーセーブで知られるレーマン。ボルシア・ドルトムントとアーセナルで長くプレーし、2010年にシュトゥットガルトで現役を離れた。

しかし、古巣アーセナルがゴールキーパーの怪我人に悩まされていた2011年、かつての守護神レーマンに目をつけた。連絡を受けた彼はそれを快諾し、現役復帰を決断。1試合だけの出場であったが、アーセナルの危機を救っている。

ヨハン・クライフ

1978年に現役引退したヨハン・クライフ。それからしばらくして、彼はそれを撤回してアメリカに渡った。そして、ロサンゼルス・アステカズというクラブでスパイクを履き直した。その理由はなかなか興味深いものだった。

彼はスペインで養豚事業に関する投資を行ったものの、それは詐欺だったという。そのために多くの財産を失ってしまい、それをカバーするためにアメリカへと渡ることを決めたのだ。

復帰したクライフはそれからもスペイン、オランダでプレー。再び現役引退を引退するのは実に6年後のことだった。

アリエン・ロッベン

チェルシー、レアル・マドリー、そしてバイエルン・ミュンヘンで長く活躍したオランダ代表の名ウインガー。右サイドからカットインしてシュートを狙うプレーは「誰もが分かっているが止められない」代名詞であった。

キャリアを通して怪我に悩まされた彼は2019年夏に現役引退を表明し、スパイクを脱ぐ。しかしながらそれから1年後、自身が少年時代を過ごしたフローニンゲンがコロナの影響で経営難になったこともあり、現役復帰を決断した。

1年の休息によって体の状態は回復していたと言われるが、ただ開幕から数試合後に再び負傷。残念ながらそれほど出場機会は掴めなかったものの、6試合に出場して再び引退している。

ロジェ・ミラ

カメルーンの伝説的ストライカーであるロジェ・ミラは、42歳でワールドカップに出場して当時の最年長記録を更新したことで知られる。2014年にファリド・モンドラゴンに破られたものの、フィールドプレーヤーとしては現在も記録を保持している。

1989年に現役を引退した彼は、インド洋の島レユニオンに移住してアマチュアサッカーを楽しんでいた。しかしカメルーンのポール・ビヤ大統領から要請を受けて代表に復帰し、1990年のイタリアワールドカップに出場。

それに飽き足らず、結局ロジェ・ミラはカメルーンとインドネシアでプレーして1994年のアメリカ大会にも出場。引退してから2回のワールドカップに出場した選手は、今となってもさすがに彼だけである。

マルク・オーフェルマルス

一時期は世界最高クラスのウイングとして名を馳せたものの、晩年は怪我に苦しみ本領を発揮できなかったオーフェルマルス。2004年に31歳という若さで現役を離れざるを得なくなってしまった。

その後彼はデビューしたクラブでもあるゴー・アヘッド・イーグルスの株主となり、技術的な問題に対処するために監査役に就任した。

そして2008年7月、ヤープ・スタムらとのOBマッチに出場した彼のプレーが多くのクラブの目に留まった。現役復帰のオファーがいくつも舞い込んだというが、愛するゴー・アヘッド・イーグルスでのプレーを選択。膝が再び悪化するまでの1シーズン、ピッチで24試合出場した。

ロマーリオ

何度も何度も引退を示唆しながらなかなか辞めず、「これで最後」と言った後にも戻ってきたロマーリオ。まさに巨匠である。

2007年にヴァスコ・ダ・ガマで通算1000ゴールという記録を達成し、翌年3月に42歳で現役を引退すると宣言。4月発売のDVDでもその決断をフォローした。

ところが2009年8月、父親の希望を叶えるためとしてアメリカに入団。リオデジャネイロ州選手権2部のチームに所属し、1試合に出場した。現在はもちろん政治家として活躍している。

ジーコ

もちろん日本人としては外すことができない神様ジーコ。1989年にフラメンゴで現役を引退し、ブラジル政府のスポーツ大臣として働いていた。

しかし1991年、Jリーグへの参入を表明していた住友金属(鹿島アントラーズ)と契約し、38歳でピッチに復帰した。

1993年に開幕したJリーグでは、既に40歳という年齢となっていたものの素晴らしいテクニックで会場を沸かせ、日本にサッカーブームをもたらした。次年度に再び現役を引退し、後に鹿島のアドバイザーに就任している。

アントニオ・カッサーノ

イタリアのお騒がせ男アントニオ・カッサーノは、引退に関してもお騒がせだった。2017年7月10日にエラス・ヴェローナと契約したが、その次の週には現役引退を表明。家族との時間を大切にしたいと退団した。

ところがそれからすぐに彼は引退を撤回し、ヴェローナでプレーを続けると宣言。そして7月27日、引退の撤回を撤回し、改めてピッチを離れることを宣言した。

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そして7月31日には引退の撤回の撤回を撤回し、新しいクラブを探していると宣言したものの、いいオファーがなかったことから引退を決めた。そして1年後、現役復帰を宣言してヴィルトゥス・エンテッラで練習したが、その数日後に現役引退した。

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