「謎の密偵」正体は熊本の地侍 細川家から薩摩に派遣

熊本藩細川家から鹿児島藩領薩摩に派遣された密偵の正体について、記者会見する熊本大の稲葉継陽教授(左)=27日午前、熊本市

 1651年に熊本藩細川家から鹿児島藩領薩摩に派遣された密偵の正体は、細川家中の侍ではなく、熊本県南部の芦北郡の「地侍」だったと熊本大が27日、発表した。熊本大の稲葉継陽教授は「細川家による薩摩の動向把握は、薩摩との関係が深い芦北郡の地侍に依存してこそ可能だったとみられる」と指摘する。

 報告書の原本は、大学が所蔵する熊本藩筆頭家老松井家の文書に含まれていた。薩摩の島津家の情報収集に「村田門左衛門」という密偵が活躍したことが分かったが、細川家臣団の名簿に名前がなく正体は謎だった。

 熊本大が5月、報告書について発表したところ、熊本県水俣市の男性が6月、「自分の先祖ではないか」と申し出た。男性の家に伝わる、先祖の事績を記した古文書を解読し、村田が初代熊本藩主の加藤清正に仕えた地侍だったと判明した。

 村田は褒美として領地を与えられたことも分かった。

 稲葉教授は「当時の九州の秩序、さらに幕藩制国家の安定は、大名領を越えた地侍らによる地域間のつながりによって支えられていた面がある」と分析している。

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