「Let's Go Beat Caravan! vol.3」ザ・ファントムギフト(杉村ルイ・チャーリー森田)× GO-BANG'S(森若香織)SPECIAL対談

(写真)左からザ・ファントムギフト(チャーリー森田、杉村ルイ)、GO-BANG'S(森若香織、WIKA)

清志郎さんの存在はめちゃくちゃデカイ

──11月2日開催「Let’s Go Beat Caravan! vol.3」では久しぶりの対バンですか?

チャーリー森田(以下、チャーリー) 昔、学習院大学の学祭で共演しましたよね。ゴーバンズの後に自分達の出番だったんだけど、ドラムが使い回しだったから、椅子に座ったら足が届かなかった(笑) 森若香織(以下、香織) ゴーバンズのドラムの子(斉藤光子)はめちゃ身長高かったから(笑)。私はLa.mamaで対バンしたのをよく憶えていて、ファントムギフトに合わせて自分達も衣装をサイケにしようって盛り上がった。かといって楽屋で仲良く話した記憶はないんだけど… ──香織さんはファントムギフトにどんな印象を持ってましたか?

香織 カッコいいバンドだし音楽センスが自分と合うなと思ってました。私もオールディーズが好きだったから。 チャーリー ゴーバンズのルーツはどんな音楽でした? 香織 やっぱりパンクですね。ラモーンズ、ブロンディとか。 チャーリー 当時、アメリカで人気だったガールズバンドのGo-Go'sとBanglesを足したような名前だしみんなで観に行ってましたよ。 香織 ガールズバンドはまだめずらしい時代でした。 サミー前田(以下、サミー) もう伝説になってる話ですが、札幌のバンドだったゴーバンズのデモテープを忌野清志郎さんが見つけてデビューにつながったんですよね? 香織 そうです。スタジオミルクという昔からある喫茶店兼レコーディングスタジオがあって、そこに地元のバンドが集まってたんです。そのお店はアマチュアバンドのテープを店で流してくれていて、そこにたまたま来ていた清志郎さんが聴いて「いいじゃん!!」って気に入ってくれたんです。その後、RCサクセションのGee2woさんからベースの美砂ちゃんに電話がかかってきてもう大騒ぎになりました。私は親の転勤でその時は東京に住んでたんですが、清志郎さんがベースとドラムの2人も東京に呼んでくれて1週間毎日一緒に過ごしたんです。そんな夢の様なことが。 杉村ルイ(以下、ルイ) 清志郎さんはどんな感じだったんですか? 香織 妖精みたいな人でした。ふわーとした感じで「君たちいいいからさぁ、やりなよ〜」って言ってくれて。「はい!やります」みたいな感じ。私は最初ギターだったんですが、清志郎さんが「君は、ボーカルだよ」って。それで歌うようになったんです。 ルイ それはやるしかないね。 香織 その1週間は夢のような日々で、RCのメンバーがみんな集まって私たちのデモテープを録ったりしたんです。ある日、北の丸公園を一緒に散歩していて、武道館の屋根が見えた時に清志郎さんが「今度あそこでやるから観においで。君たちもいつかあそこでやりたまえ」って言って、「はい!」って無邪気に答えました。 ──その数年後、本当にゴーバンズの武道館公演が実現しましたからね。

ルイ すごい話だ。 チャーリー 俺らの世代にとって清志郎さんの存在はめちゃくちゃデカイですよ。当時、僕の家の近くに国立で唯一輸入盤とブート盤が買える「レコード・プラント」って店があって、そこには清志郎さんも来てたし、あと『シングル・マン』の再発署名運動をその店でやってて、俺もサインしました。 サミー RCのサードアルバムの『シングル・マン』が廃盤になってたから、「こんないいレコードが何で買えないんだ」ってファンの署名運動があって、その後ポリドールから再発されたんですよね。 チャーリー 20歳頃、RCの曲名にもなってる「多摩蘭坂」の坂の上のボロアパートに住んでたんですが、土日にはRCのファンが多摩蘭坂に聖地巡礼にたくさん来てたんです。それで当時一緒にバンドやってたメンバーとRCっぽい格好して一緒に坂を歩いてました(笑) 香織 青春ですね!

森若香織(GO-BANG'S)

一回バラけても結局また再会する運命

香織 ファントムギフトは東京のバンドですよね? チャーリー でも結成は多摩地区。俺が10代の頃、福生にKMスタジオっていうのがあったんですが、高校卒業してすぐにそこのスタジオで働くようになったんです。そこにある日、「ここにジャックスのレコード持ってる人がいるって聞いたんだけど」って突然訪ねてきた奴がいたんです。それがピンキー青木だった。ジャックスのレコードは当時ほとんど出回ってなかったんですが、俺はたまたま持ってたんですね。それで「ああ、俺持ってるよ」って言ったら「貸してくれ」って。なんで見も知らぬ奴に貸さないといけないんだって思ったんだけど(笑)。ただ青木は多摩美に通ってて、すごくカッコいい服を着てた。いろいろ話したらいまバンドもやってると。それでレコードも貸し借りするような仲になってバンドに誘われたんで、まあこいつだったらいいかなと。俺の方が年下なのに完全上から目線(笑)。ある時、スタジオに行ったらギターのナポレオン山岸がいて、ベースが彼の弟だったのかな。話したら彼は俺の働いてたスタジオの裏に住んでたんです。 香織 それはもう運命ですよ。そういう人って一回バラけても結局また再会するんですよ。今度のライブのメンツもそうだけど。 チャーリー そう言われると確かに。 香織 ところで、その時から名前はナポレオンとかチャーリーだったんですか? チャーリー 最初は遊びでスタジオに入る程度だったんだけど、多摩美関係の人から渋谷でライブを企画してるからバンドで出てくれって言われて、じゃあバンド名考えようかって。 香織 まだバンド名も決まってなかったんだ。 チャーリー 最初、ゴーストギフトって案もあったんだけど、結局、ファントムギフトという名前でそのライブに出たのがデビューですね。そのライブの後、山岸君の弟が受験で辞めることになり、久保田君が入ることになった。 香織 メンバーの名前は? チャーリー 自主制作盤で『ジェニーは嘘つき』を出す時に、370円という60年代のGSの頃のレコードの値段にしたんです。その頃はDAMNEDの覆面バンドNAZ NOMAD AND THE NIGHTMARESやFUZZTONESなどネオ・ガレージのバンドが出てきた時代で、パンクの人たちが60sに原点回帰するシーンの流れがあった。Banglesもそうだったけど。それで、じゃあ日本はGSだな、という話になって、サリー、ナポレオン、ピンキー、チャーリーという名前を付けたんです。そこが始まりですね。 香織 そこに本名がルイというボーカリストが入るっていうのも運命的!

ザ・ファントムギフト

そこにいるだけでみんなが幸せになる存在

サミー ルイ君はザ・ヘアーでのデビューの時は何歳なんだっけ? ルイ 1987年ぐらいだったのかな。17、18歳ぐらいだったと思うけど。 香織 勝手なイメージだけど、ザ・ヘアーは東京のすごいオシャレな「ザ・東京」のバンドって感じで見てた。その中心人物だったルイ君がファントムギフトに入ったのも驚きでした。 チャーリー 去年、ロフトのイベントHALLOWEEN BALLに呼ばれたんです。ピンキーが脱退してからも時々3人でやってたんですが、そうなると俺が歌うことになるんで、誰か他にボーカルいないかなあとずっと探してた。ルイとはその前からよく遊んでる仲だったんで、まあパーティーだし、ちょっと誘ってみようかって。それで声掛けたらすぐOKの返事で「王子様の格好しますよ!」って。 香織 似合いそう! 王子様に抵抗なかったの? ルイ ファントムギフトはすごいバンドだし、自分が手伝うことでもっとやってくれたらいいなと。俺、ここ数年はモッズ・シーンのテコ入れをやってたんです。 香織 テコ入れ!? この村を盛り上げないとみたいな? ルイ そう。それでJAMES TAYLOR QUARTETを呼んだりとかして、集客もロフトも満員になるぐらいにはなったんですが、だんだん嫌になってきて(笑)。根底にパンクな気持ち—D.I.Y.で音楽を通じて世の中変えたいみたいな気持ちがみんなあんまりないのかなって思えてきて。モッズってもともと不良のカウンターカルチャーなはずなのに日本はそれが弱いんです。不良の文化になってない。それで一生懸命テコ入れしてたんだけど。それがファントムギフトならできるんじゃないかって。実際、俺がファントムに入ることになって、ガレージシーンからの期待度をすごく感じるんです。ただ俺がスーツ着ても普通の杉村ルイなだけで誰も喜ばない。やっぱり王子様の格好でみんなに喜んでもらいたいなと。 香織 やっぱりルイ君は、俺が俺がじゃなくて、みんなに喜んで欲しいっていう目線が最初からあったんだと思う。それがファントムギフトで王子様になることなんだって。 チャーリー ルイが入った時に「好き勝手にやってくれ」って言ったんです。テンプターズのショーケンさんみたいにGSの不良で行けって。 香織 ああ、そういう雰囲気ある。でもがんばってテコ入れしなくても、これからは王子様としてそこにいるだけでみんなが幸せになる存在になるんだと思うんです。幸せな人って人を攻撃しないし、他人のことが気にならなくなる。 チャーリー ファントムギフトは杉村ルイにテコ入れされて今があるんです。 香織 テコ入れの着地点が王子だった! チャーリー 自由と愛です。

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