タレント「なすび」に “2つの大事件”がもたらしたもの… 「全裸男の残像」と「誹謗中傷」に翻弄される中で見出した使命

福島の復興支援に全力を注ぐなすびさん。秘めた想いは誰よりも強い(10月都内/撮影:天倉 悠喜)

25年前の『進ぬ!電波少年』(日本テレビ系)内の企画「電波少年的懸賞生活」で重い十字架を背負うことになったなすびさん。あの”全裸のピン芸人”の残像が視聴者の脳裏から消えることはないかもしれない。

一方で、福島出身のご当地タレントとして、誰よりも被災地・福島の復興支援に尽力していることはあまり知られていない。いわゆるアンバサダー系の肩書はなんと7つ。その活動を「売名行為だ」と誹謗中傷を浴びせられても、スタンスは一切ブレない――。

現在のなすびさんが全身全霊を注ぐ、故郷・福島の支援活動に秘めた思いに迫る(インタビュー・全2回 後編 ※【前編】「日本では「笑い者」、世界は「驚愕」! 全裸で1年以上 “公開軟禁”で有名になった男の現在地」 )。

「懸賞生活」後、なすびさんはそのイメージ払しょくのため、舞台を軸にもがき続けた。

なかなか歯車がかみ合わない中で2011年3月11日、東日本大震災が発生。故郷・福島も甚大な被害を受ける。なすびさんは、「自分の無力さがあまりにも情けなく、でもなにかサポートはしたかった」と当時を振り返り、とにかくできることにはなににでも取り組んでいった。

いてもたってもいられなかったのは、福島県民から応援され続けた”恩”を感じていたからだ。全裸姿をさらされていただけだった「懸賞生活」。それでも、国民は応援してくれた。特に故郷・福島県民の声は大きかった。それなのに、いざ故郷が窮地に陥ると、自分には空虚な知名度こそあれ、声援にこたえるだけの技量はない。お金もない…。

「生まれ育った福島が、震災と原発で大変な状況になった。それによって、(原発)補償という特殊な事情もできて、県民の分断まで起こってしまった…。僕はそのことにとても心が痛くて。自分にはほかの芸能人のように資金があるわけじゃない。でも、せめて”心の栄養”になるものでなにか支援できないかなと」(なすびさん)。

復興支援のエベレスト登頂に “誹謗中傷”のやるせなさ

考え抜いて形にしたひとつがエベレスト登頂だった。ところが、復興支援との直接的な関係がなく、おまけに登頂には大きな資金も必要となる。そのため、「売名行為だ」「必要な資金を寄付する方がよほど復興支援になる」など、誹謗中傷も多数浴びせられた。

確かに、福島県民が震災の爪痕や風評被害に苦しむ中で、世界最高峰への登頂で支援というのは荒唐無稽だ。だが、その意図は想像の域をはるかに超越するものだった。

「例えば僕が登山家で山登りが得意なら頼まれなくても必死でできると思うんです。でも、僕は登山初心者。そんな僕が世界最高峰に挑戦するからこそ、成功したら福島県民に勇気を届けられると。よく無謀なことに向かうとき、『死ぬ気で』といいますが、僕は本当に本気で命を懸けてエベレストにチャレンジしたんです」となすびさん。

とことんやり切る。驚異的な行動力に裏打ちされた発言には説得力が宿る(10月都内/撮影:天倉 悠喜)

結局、4度目の挑戦でエベレスト登頂に成功している。3回目には雪崩に遭遇し、本当に命を落としかけた。「普通なら、3回目で諦めているでしょうね。でも、僕は本当に命がけだったんです。無謀と思われようが成功するまでやるつもりでした。首都カトマンズからベースキャンプまで空路を使わず、陸路のみで挑んだのも、決死の覚悟を示すためでした」(なすびさん)。

「汚染物の処理を『自分事』として捉えてほしい」

残念ながら、ネット上ではこうした背景はバッサリ切り取られ、「なすびがエベレスト挑戦」だけが拡散され、「売名だ」など心無い批判が大量に書き込まれた。「懸賞生活」後になすびさんが感じた、”実状を知らない空虚な評価”が生まれた構図と、非常に似通っている。

「ある意味、僕はあの番組で”風評被害”を受けた。ただ、結果、それを払しょくするんだという原動力にもつながっている。だから、いまは番組に出たことを後悔していません。一度貼られたレッテルを剥がすのは本当に困難。でも、諦めず、逃げずに努力しつづけるしか、道はない。僕自身がそこに向き合い、挑戦し続ける。そのことで、もしかしたら誰かの勇気につながるかもしれない」となすびさんは力を込める。

社会にネットが浸透し、なにをするのも劇的に便利になった。一方でその”副産物”として、自身の存在を隠したまま、事象の表層だけを見て、誹謗中傷を浴びせる人が激増している。真実なら仕方ない。だが、そのほとんどは真意とは程遠い、ピント外れのクレームのような類いだ。

「悲しいことですけど、やっぱり事の全体を分からずに発言するから心がなく、ピントがずれたおかしなことになるんでしょうね。あとは誹謗中傷している人たちにとっては、対象となるテーマや事案はしょせん他人事なんでしょう」となすびさんは、ネット上に心無い書き込みがあふれる元凶を、体験も踏まえて推測する。

その上で、少し語気を強め、福島が受けている風評被害について口を開いた。

「原発処理水等の問題で、どうしても福島が悪者にされてしまう様に感じます。まずいえることは2045年までに県外で最終処分することは、法律で決まっているんです。そもそも、福島第一原発は東京電力であり、東北電力ではありません。僕ら福島県人はあそこで発電された電気は一切使っていないんです。首都圏に送電するために電源を供給している。不満を感じている県外の人は、その事実を踏まえて改めて汚染物の処理を『自分事』として捉えてほしいです」。

できるだけ現場に足を運び、自分の五感で確認するのが信条(2023年台風13号被災を伝える公式Xより)

福島の親善大使として頻繁に現場に足を運び、自分の目と耳と鼻と口で情報を確認。”事実”として、情報発信を続けるなすびさん。それだけに切り取られた情報や一度も現場に足を運んだことのない人が無責任に発言することには、身を切られるような思いを抱くことも。せめて、「自分事」として考え、その上で発信してほしい。人になにかを押し付けるタイプでないなすびさんがいま、唯一、願うことだ。

胸を張って生きていくためにトコトンやり抜く

なにをするにも一切の手抜きはしない。福島の復興支援に尽力するなすびさんの行動指針はシンプルだ。徹底的にやり抜く、やり切る――。そうした姿勢にしか、説得力はなく、当事者としての発言権もない。そのことを身に染みて理解している。

「後ろ指をさされず、胸を張って生きていくためには、恥ずかしくない行動をし続けるしかないんです。もちろん誰しも失敗することはあります。ただ、失敗も成功のための肥し。そう考えればマイナスじゃない。僕にとっての喜びは、人が喜ぶこと。福島を元気にする活動は生涯続けていくつもりです。子どもたちが福島出身であることに誇りを持ってもらえるよう、ちゃんとした情報発信も続けていきたい」

25年前、事後的に「売名」に成功したなすびさん。その後、その重さに苦しめられ、あがき続ける人生を歩むことになった。そしていま、多くを求めず、純粋に故郷の笑顔を願い、動き続けている。

懸賞生活と故郷の被災。2つの大事件は、なすびさんに苦しみを与えると同時に、前を向くエネルギーも与えてくれた。そしてその姿が、多くの人に元気をもたらしている。「福島といえば『なすび』といわれるように頑張りたい」と目標を定め、先だけを見据えるなすびさん。その視線の先にはもう、一点の曇りもない。

【なすび】
俳優・タレント。日本テレビバラエティー番組「電波少年的懸賞生活」にて日本・韓国を舞台に1998~1999年の1年3か月間を懸賞のみで生活しブレイク。その後、元々志していた喜劇俳優を目指し俳優としての活動を本格化。2002年に劇団「なす我儘」を立上げ座長を務める中、東日本大震災が発生。以降、エベレスト登頂を4度目の挑戦で実現するなど、被災した故郷福島の復興再生を祈願し、全力で支援活動を続ける。2023年9月トロント国際映画祭、11月にはニューヨーク・ドキュメンタリー映画祭にて、なすびの半生を追ったドキュメンタリー作品「THE Contestant」が公開予定。福島関連では、福島環境・未来アンバサダー、あったかふくしま観光交流大使など7つのアンバサダーを兼務する。なすびX @hamatsutomoaki

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