前歯と厚い唇、先生が描いた似顔絵にショック 娘に遺伝、整形… 見た目で悩んだ母が今思うこと

話すとき、いつも無意識に口元に手を添えていた。「昔よりはましになりましたけど」=兵庫県内

 「私の母方の家系は前歯が大きく出ている、いわゆる出っ歯です。その上たらこ唇で、私もしっかりその血筋を受け継ぎ、私の娘2人もやはり後継者です」

 兵庫県内で教員として働く野田あおいさん(仮名、50歳)は、自分の口元が嫌い。特徴は娘にも遺伝し、特に歯並びが悪かった長女には歯列矯正を受けさせました。その長女が大学生になり、美容整形でまぶたを二重にしたそうです。親として複雑な心境になる。一方、娘にまだ話せていないことがあるといいます。

■似顔絵

 前歯が気になり始めたのは、小学生の頃だった。永久歯に生え替わり、成長に連れて歯も大きくなった。

 小学校の図画工作の授業が、いつまでも忘れられずにいる。当時4年生だった。2人一組で似顔絵を描くことになり、人数の兼ね合いで担任の先生がパートナーになった。

 先生は特徴を的確にとらえていた。前歯や唇が目立つように強調された自分の似顔絵。見た瞬間、体が固まった。「人から見た私は、やっぱりそうなんだ」。かわいがってくれて、好きな先生だった。悪意はなくて、きっと見たままを描いただけ。だからこそ、ショックだった。

 それから、笑うのが怖くなった。前歯があらわになるから。不意にカメラを向けられるのも嫌いだ。修学旅行や遠足の写真が学校に張り出されると、さらされているような気がした。自分の容姿を形に残してほしくなかった。

 中学生のとき、小さい子どもに「出っ歯」と指を差されたことがある。同級生の妹か弟だったと思う。「その一瞬で、子どもが嫌いになりました」。直接、口元をばかにしてくるような同級生はいなかったが、「みんな言わないだけで、心の中では思ってるんだろうな」と感じていた。

■母の隣

 「お母さんに似てる」と言われるのが嫌だった。口元以外の顔のパーツや輪郭は父に近いのに、いつも似ていると言われるのは母だった。

 「やっぱり、口元が特徴的だから。みんな、そこに目がいくんですよ」

 いつも母と並んで街を歩くときは「できれば誰にも会いませんように」と願った。ご近所さんに出会えば「どんどんお母さんに似てきたね」とほほ笑まれ、学校に行くと「昨日、お母さんと歩いてたね」と言われた。そのたび、冷や汗が出た。母のことは好きだ。地元から遠い街なら、なんとも思わなかった。知ってる人に見られるのがとにかく怖かった。

 母も子どものころ、歯並びをからかわれたことがあったらしい。「ばかにされるような人間じゃなくて、中身がしっかりしとけばいいんや」と母はよく言っていた。

 「母も悔しかったはず。勉強をがんばるとか、そういうことで見返していたんだと思います」

■下品じゃない

 高校、大学と進み、からかわれることはなくなった。女子大で仲良くなった友だちは、容姿のことなんて気にもしていないようで、口を大きく開けて笑うことができた。それでも、学外に出ると緊張した。

 「合コンに参加すれば口元を隠して話しますし、ばか笑いも、ようしませんでしたね」

 この頃には「もしかしたら過剰に気にしてるのは自分だけなのかな」と思うこともあったけれど、コンプレックスが消えることはなかった。

 社会人になって学校で働き始め、また現実を突きつけられた。赴任した中学校の生徒たちがこちらを見て、ひそひそと笑った。視線の先は口元だった。「やっぱり、そうやんね」

 一度だけ、歯並びを直したいとお願いしたことがある。小学生の頃だった。母は「いとこが歯列矯正をしようとして、余計にガタガタになったから」と、許してくれなかった。

 「将来、自分のお金で」と言い聞かせ、それ以上はねだらなかった。テレビに映るアイドルを眺めながら、つるんとした歯並びに憧れた。

 「だって、すっごい大きな口で笑っても、下品じゃないから」

 いつか、いつかと思いながら、歯列矯正は結局していない。矯正器具を歯につけると、コンプレックスに感じていることが周りにばれる。それも恥ずかしくて、一歩が踏み出せなかった。

■遺伝

 「私のせいで。私が産んだからこんなんになっちゃった」

 20代で結婚し、2人の娘を授かった。自分と同じように歯がせり出してきたわが子を育てながら、申し訳なさがこみ上げた。

 「遺伝ってすごいんです。ずっと代々、娘たちが子どもを産んでも続くんだろうなって」

 特に長女は歯並びが悪かった。小学生になってから歯医者へ連れて行き、歯列矯正を受けさせた。100万円近い費用も高いとは思わなかった。同級生から「出っ歯」とからかわれ始め、さらにいじめられないか心配だった。

 「これで一生、コンプレックスを感じず、嫌な思いをしないんだったら。私と同じような目に遭わせたくなかったから」

 夜、矯正器具をつけて眠る前、長女は痛がった。「つけたくない」と泣いた。その隣で「痛いね。これが終わったら歯並びがきれいになるよ」と声をかけ続けた。

 長女は大学生になった。今も矯正は続いているが、見た目にはほとんど整った。長女からは「きれいにしてもらって本当によかった」と感謝される。

 今年、次女も大学に進学した。長女と比べるとましだったから、歯列矯正は先送りになっていた。外出するときはマスクを欠かさない。「なんでお姉ちゃんだけ」という気持ちが伝わってくる。

 次女に言われたことがある。「ほんとは、高校や中学で思いっきり笑えるようになっていたかった」。これから次女も歯列矯正を始めるため、準備を進めている。

■娘の整形

 少し前に長女が整形手術を受けた。バイト代をため、一重まぶたを二重にした。それから長女は「鼻も高くしたい」「エラも削りたい」と口にするようになった。

 「彼女の整形欲は、どんどんエスカレートするんです。まぶただけに収まらない。怖いくらいに」。長女には、夫と2人で「もうこれくらいで止めとかないと。やり出したら、果てがないから」と伝えた。

 そこでふと、小学生で歯列矯正を受けさせたことを思い返し、複雑な心境になる。あれは間違いなく親心だった。同時に、口元が自分に似た娘をふびんにも思ってしまっていた。

 「あなたの歯並びは直さないといけないようなもの、というメッセージになってしまったのではないか」「彼女のルッキズムに拍車をかけてしまったのではないか」

 何度も自問した。ただ、整形手術を受けてから長女の表情は見違えた。「やっぱ二重にしたらちがうわ」「メークも楽しくなるわ」と、鏡の前でうれしそうに話す。

 以前は化粧をしていても、憂鬱そうだった。もうアイプチで二重をつくらなくてもいい。朝、目覚めた瞬間から二重でいられることで、どれほど彼女の心は軽くなったか。

 「これは矛盾するんですけど、そんな長女を見ていると、整形手術をくだらないことだなんて私には言えない」

■私の整形

 実は、自身も整形手術を受けたことがある。30代の頃、初めて担任を受け持つことになり、下の唇を数ミリ薄くした。教壇に立ち、クラス全員の視線を浴びるのが怖かった。

 内心は半分くらいの薄さにしたかった。医師に「顔のバランスが崩れる」と止められ、それほど変わっていないような気もしたが、整形手術を受けたという事実だけでも、児童の前に立つ上での勇気になった。

 「私はやってよかったと思っています。あのときはとにかく仕事が不安で仕方なくて。自分を振るい立たせるために必要なことでした」

 術後、唇はひどく腫れた。まだ幼い娘たちを驚かせないよう家の中でもマスクを着け、別の部屋で食事をした。整形手術を受けたことは、娘にまだ話していない。

 「母が率先して整形したと知ったら余計拍車をかけかねないので、まだちょっと言えないですね。そのうち話しますけど。もう少し大人になったら」

 これまで生きてきて、実感している。社会では外見が一つのステータスのようになっていて、見た目で得をすることがあれば損をすることだってある。それは職場の学校でも同じ。

 「もちろん性格もですけど、やっぱり顔がいい子が人気になる。見た目のジャッジは子どもの頃から始まるんです」

 過剰な外見至上主義には違和感を抱く。娘が「整形沼」にはまらないか、心配でならない。しかし現実を見つめると、長女の気持ちも理解はできる。

 「だって、社会ってそうじゃないですか。ルッキズムがすごいまん延している。そんな現実の中で生きるのなら、長女の整形も真っ正面から否定はできなくて」

■せめて、できれば

 今は小学校で働いている。最近は児童たちの前で冗談を言うようになった。「先生の大きな口で食べちゃうぞー」とか「前歯が出てるから打ってもうたわ」とか。

 「全く気にならないわけではないけど、私もまあ、ずぶとくなったというか。昔なら絶対に触れたくなかったですよ」

 教員として経験を重ね、考えることがある。本当に、見た目だけが全てなのだろうか-。

 日々、クラスの子どもたちが「先生大好き」と慕ってくれて、同僚からは頼られるようになった。後輩の人生相談に乗ることもある。

 「子どもはある意味で残酷ですけど、正直なんです。私のことを好きと言ってくれているのは、本心なんだなと思える」

 口元が似ているから、母の隣を歩きたくなかったし、娘をふびんだと思った。振り返ると、自身もルッキズムにがんじがらめになっていたのかもしれない。だから、娘には実体験を踏まえて伝える。

 「結局のところは、見た目じゃない。いろんな経験を重ね、お母さんは今、そう思えています」

 そして娘や教え子が、容姿への劣等感で思い詰めたり、誰かをさげすんだりしないよう、願いたい。

 「見た目ばかりにとらわれている人より、そうじゃないよねって言える人が多数であってほしい。せめて、そういう風潮であってほしい。できれば、ですけど」(大田将之)

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 神戸新聞のシリーズ「すがたかたち ルッキズムを考える」では、容姿を巡る体験談やルッキズムに対する意見を随時募集しています。私たちはなぜ、人の容姿にあれこれと口を出してしまうのか。なぜ、見た目がこんなにも気になるのか。どうすれば傷つけてしまう前に立ち止まることができるのか-。そんな問いについて考えながら、外見にコンプレックスを抱く人や専門家にお話をうかがいました。

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