北海道佐呂間町長、足尾を視察 鉱毒「今も続く問題」 二つの“栃木”の歴史継承へ

松木地区で行われている植林活動の様子を視察する武田町長(右から2人目)=29日午前、日光市足尾町

 足尾銅山鉱毒事件で強制廃村に追い込まれた旧谷中村(現栃木市)住民らの移住先となった北海道佐呂間町の武田温友(たけだはるとも)町長(61)が29日、日光市足尾地域を初めて視察した。武田町長は「現場を見て鉱毒は過去のことではなく、今も続く終わりのない問題だと痛感した。佐呂間の人たちにしっかりと伝えていきたい」と語った。

 足尾や佐呂間を題材にした作品を多数残した小山市出身の版画家小口一郎(こぐちいちろう)(1914〜79年)の研究会代表で、同町栃木地区の町民らと交流を続けている小山市三拝川岸、篠崎清次(しのざきせいじ)さん(76)らが案内。武田町長は「二つの栃木」をキーワードに歴史継承や町づくりに取り組んでおり、東京出張の合間を利用して来訪した。

 この日は、足尾地域で植林活動などに取り組む住民らから説明を受けながら、煙害の影響が今も残る松木地区を視察。さらに坑夫らの墓地や、戦時中に強制労働で亡くなった中国人や朝鮮人の慰霊塔、鉱さいの堆積場なども見て回った。

 谷中村だけでなく、松木地区にもかつて村があり移住を余儀なくされた歴史などを聞いた武田町長は「経済を優先し住民を追いやるのではなく、人権を尊重する社会をつくっていかなければならない」と思いを新たにしていた。

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