キューバに広大な米軍基地、同盟関係でもない国になぜ? テロの被告らを長期勾留、「汚点」と批判される現場は今【グアンタナモ報告・前編】

グアンタナモ米海軍基地で国歌に合わせた国旗掲揚の準備をする海軍の兵士。毎日午前8時に行われる=10月4日(共同)

 中米のカリブ海にある島国、キューバ東部の沿岸部に奇妙な一画がある。キューバ人は通常入れず、区画内にいる人々も陸路で外には出られない。キューバの同盟国でないにもかかわらず、米軍が駐留するグアンタナモ海軍基地だ。2001年9月11日の米中枢同時テロで訴追された被告らを超法規的措置として長期勾留し、米国の「汚点」と批判されてきた。テロの主犯格とされる被告らの公判前手続きが続く基地内での特別軍事法廷を傍聴するため、9月30日から1週間の滞在を許可された。(共同通信ニューヨーク支局=稲葉俊之)

 ▽米メディアでも関心低く

 一般の航空便ではグアンタナモ基地にはたどり着けない。米軍が手配したチャーター機に搭乗するため、午前6時半にワシントン近郊のアンドルーズ基地に集合するよう指示を受けた。航空機代は往復で800ドル(約12万円)。少し高めだが他に選択肢はない。
 米大統領や訪米する各国首脳も利用するアンドルーズ基地で、軍事法廷関連の広報担当を務める海軍のアダム・コール少佐が出迎えてくれた。5年前、沖縄県に駐留していて取材で1度お世話になった。長崎県の佐世保基地にもいたことがあるらしい。
 コール氏と共に搭乗するメディア関係者は私とドイツ誌の記者だけ。他に米紙などの記者2人が2週間前から現地入りして軍事法廷を取材していた。同時テロから20年以上が経過し、遠隔地でもあり、米メディアの関心は必ずしも高くない。

グアンタナモ米海軍基地にある灯台。現在は使われていないが、敷地内の建物が資料館になっている=10月1日(共同)

 ▽迂回の真意は…

 他の搭乗者は弁護団ら軍事法廷の関係者や基地の施設で働く関係者。事前に渡航許可を得ている人しかいないためか、搭乗ゲートへの荷物と身体検査を担当する米兵は1人だけで、空港より簡易だ。ラミネート加工され、マジックで出発時間などが書かれた搭乗券を受け取った。
 駐機場で乗ったバスは数機の米政府専用機の脇を通り過ぎ、全体は白く、尾翼とエンジンが赤く塗装された中型機ボーイング767の前で止まった。機体に書いてある「オムニ・エアー・インターナショナル」がチャーター機運航会社らしい。
 搭乗者は数十人で座席指定はなく、ビジネスクラス席は早い者勝ちだったが、出遅れてエコノミー席に座った。飛行経路や映画が見られるモニターがあり、午前9時20分ごろに離陸すると軽食も出て、普通の航空便と変わらない。到着まで3時間29分と案内があった。
 2時間を過ぎたころに違和感を覚えた。あと1時間以上あるのに米フロリダ半島を通過し、既にキューバに近づいていた。だが機体はいったん東にあるハイチの方角に向かい、ぐるりと迂回してグアンタナモ基地南方の海上から着陸態勢に入った。米国と緊張関係にあるキューバの上空を避けるためだった。

グアンタナモ米海軍基地に向かう機内のモニターに表示された飛行経路。キューバ上空を迂回しているのが分かる=9月30日(共同)

 ▽自給自足

 スペインの支配下にあったキューバでの独立運動をきっかけに1898年に米国とスペインの間で戦争が起き、米国が勝利してキューバが1902年に独立。米国は翌年にキューバと合意を結び、グアンタナモの土地と海域の計約120平方キロの貸与を受け、基地を置いた。1934年の条約でも貸与を再確認した。
 両国関係は1959年のキューバ革命後に急速に悪化する。この2年後に国交が断絶し、キューバのカストロ政権は1964年にグアンタナモ基地への水の供給を遮断した。その後、米国は基地内に給水・発電施設を整備して自給自足を可能にしている。

グアンタナモ米海軍基地の「ダウンタウン」と呼ばれる地区に設置された看板=10月1日(共同)

 条約の規定で基地返還には両国の合意が必要なため、米国が条約を盾に半永久的に居座っているのが実情だ。日本のような同盟国にある基地と異なり、外の世界とは隔絶され、米軍関係者は空路で基地に入り、物資は主に船で運ばれる。所属する艦艇はなく、補給拠点の役割が中心だった。
 一躍その名が知られるようになったのは2001年の同時テロ以降。米国は「テロとの戦い」を掲げて世界各地で拘束した容疑者約780人をグアンタナモ基地内に収容した。キューバにあり、米国内法が適用されないと主張して長期勾留を正当化した。
 訴追をされなかった人もおり、大半が出身国や第三国に送還・移送され、現在は30人が残っている。人権団体の全米市民自由連合(ACLU)は「収容所は米国の汚点で不正義の象徴だ」と批判し、早期の閉鎖を求めている。

 ▽基地の中にはマクドナルドも

 歴史的背景に思いをはせていると、航空機の窓には海岸線と砂っぽい茶色が混じる緑の平原が広がっていた。基地はグアンタナモ湾の西岸と東岸に分かれている。西岸の空港に着陸し、フェリーに20分ほど乗って主要な施設が集中する東岸へと渡った。

グアンタナモ米海軍基地の住宅街。「沖縄にある基地内と同じだね」とアダム・コール少佐=10月1日(共同)

 航空便は週に往復1便だけなので、最低1週間は基地に滞在することになる。船着き場でワゴン車に乗り、基地内にある宿泊施設に向かった。米軍が車両と運転手を手配していて、滞在中は4人の記者で連絡を取り合い、法廷への行き来や食事、買い出しに利用できる。
 車で約3キロ走ると繁華街を意味する「ダウンタウン」と呼ばれる地区に差しかかった。そうは言っても建物の間は100メートル以上離れ、車での往来ばかりで歩いている人はほとんどおらず、街中という雰囲気はない。

グアンタナモ米海軍基地の野外映画館。ポップコーンや飲み物を販売する売店も併設されている=10月1日(共同)

 食料品から衣料品や家電まで何でもそろうスーパーがあり、ファストフード大手マクドナルドの店舗もある。他にも野外映画館に運動施設、学校と教会も整備され、レストランとバーは数店舗あった。米本土並みの生活を送れるようになっているが、最低限であって選択肢は少ない。
 ダウンタウンから約1キロ離れた宿泊施設は一般的なビジネスホテルと変わらない。ベッドが大半を占める小さな部屋で1泊60ドル。キッチン付きで90ドルとお手頃だ。毎日、午前8時に米国旗掲揚のセレモニーとともに国歌が基地内に流れ、日没の時間には一日の終わりを告げるラッパの音が鳴り響いた。

グアンタナモ米海軍基地のマクドナルド。味も米本土と変わらない=10月1日(共同)

 ▽検閲

 グアンタナモの最高気温は年間を通じて30度を超え、日差しが刺すように強い。それでも真夏の東京に比べれば湿度は低く、日陰に入れば耐えられない暑さではなかった。イグアナが道路をわが物顔で歩き、車が進めなくなることもあった。

グアンタナモ米海軍基地にいるイグアナ。保護種に指定されている=10月4日(共同)

 「全てを写真に収めたい衝動に駆られるよね」。ドイツ誌の記者が苦笑を浮かべた。同感だ。だがそれは許されない。基地内で撮影ができる場所は限定され、取材には必ず米軍関係者の同行が必要だ。「グリーンゾーン」として一人で行けるスーパーや飲食店でも記者証の着用を求められる。
 撮影した写真は基地関係者に提示し、検閲される。できる限り記者の要望に応えたい広報担当のコール少佐は人物の顔を写さず、丘の上のレーダーや燃料タンク、発電施設を避け「背景に写る物が少なくなるように、ズームして撮影したほうが良いよ」と助言してくれた。

グアンタナモ米海軍基地に所属する海軍兵士の肩章。イグアナが描かれている=10月4日(共同)

 結論を言えば警備上の懸念を説明され、理不尽ではなく必要最低限の検閲だった。削除やトリミングを求められたのは部隊の拠点、目隠しで黒い布が張られた金網、風力発電の風車が写り込んだ写真だけだった。
 約6千人が生活する基地内の住宅地やダウンタウンの牧歌的な雰囲気とは対照的に、特別軍事法廷がある地区は金網と有刺鉄線に囲まれ、厳重に警備されていた。その一画にある事務所で、法廷の傍聴席への立ち入りに必要な許可証を受け取った。歴史に残る大規模テロを起こしたとされる被告らを目の当たりにすると思うと否が応でも緊張が高まった。(後編へ続く)

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