「もうお父さんダメかもしれん…」道は冠水、原付バイクを乗り捨て…土石流に襲われた浄水場にただ1人【前編】

浄水場喪失からのドキュメント…。西日本豪雨から5年。関係者たちの証言から災害の記憶を辿った。(前編・)のうち前編

『叩きつけるような雨の音で目が覚めたのは平成30年(2018年)7月7日の土曜日、確か午前6時過ぎ頃だったと思います。(中略)家の前の市道はまるで川です。これまで見たことが無い光景です。』

2022年11月に出版された1冊の本。『手記 ちいさな道標 平成30年7月豪雨 浄水場喪失からのドキュメント』(水道産業新聞社)

“平成最悪の豪雨災害”とも言われる2018年の「西日本豪雨」。災害関連死を含めて13人が亡くなった愛媛県宇和島市では、大雨による土石流で浄水場が壊滅的な被害を受け、住民たちは1か月余りにわたる大規模な断水に苦しめられた。

突然の電話は“最悪の知らせ”だった

本を手掛けたのは、当時、市の水道局長だった石丸孔士さん(63)。断水発生から解消までの記録を水道局内部の動きと共に綴っている。

『テレビを点けて各地の情報を寝ぼけ眼で見ていたら、突然携帯電話が鳴りました。この上無い不吉な予感を覚えながら応答すると、相手は同い年で気の置けない仲ながらも、めったに電話で話すことは無い水道局給水課の植光課長補佐です。心の中のザワザワ感が更に膨れ上がっていきました。』

「浄水場が駄目みたい」砂防ダム全てを乗り越え…

2018年7月7日の早朝、石丸さんは電話越しに“最悪の知らせ”を聞いた。

『落ち着いた話し方の植光から出た最初の言葉は「どうも吉田浄水場が駄目みたい」でした。駄目?意味が分かりません。』

話の内容は、遠隔で監視している水道施設の運転状況を知らせるデータが届かなくなったこと、浄水場を管理する南予水道企業団の職員から、浄水場が土砂災害で壊滅的な被害を受けたと連絡が入ったことだった。

急いで支度を済ませて水道局へと向かった石丸さんは、その後、復旧対応に奔走することとなった。

断水となったのは、被災した「吉田浄水場」から水を供給している市内吉田町・三間町の2つの地域。

最大で約6,600戸、1万5,000人あまりが水道のない生活を強いられた。

2018年7月7日の朝、浄水場がある吉田地域では1時間に74ミリの非常に激しい雨を記録。浄水場は谷にあり、崩れた土砂や流木は周辺に整備された4つの砂防ダム全てを乗り越えて襲ってきた。

「バチバチと根を引きちぎる音…」原付バイクを乗り捨て、浄水場へ

浄水場が土石流に襲われたとき、ただ1人、施設を訪れていた人物がいた。吉田浄水場を管理する南予水道企業団の川上真二さん(52)。

あの日、大雨によって浄水場に流れ込むダムの原水が濁ったため、浄化操作を行うために早朝から施設へと向かったという。しかし浄水場へと続く道はすでに冠水。普段は自宅から10分程度の道のりだが、川上さんは乗っていた原付バイクを乗り捨て、大きく迂回しながら1時間半ほどかけて浄水場に辿り着いた。

(南予水道企業団 川上真二さん)
「到着すると、バチバチと雷みたいな音が聞こえました。山の木が根を引きちぎる音だったんです」

「もうお父さんダメかもしれん」浄水場にただ1人

浄水場には、大量の水が流れ込み、すでに操作・管理できる状態ではなかった。命の危険を感じた川上さんは、施設内にある電気室の2階へと避難した。

停電で暗い室内で1人、座り込んだ。その直後に土石流が押し寄せて浄水場を飲み込んだ。建物は大きく揺れていたという。

(南予水道企業団 川上真二さん)
『「命はないな」と覚悟を決めた感じですね。それで子どもたちに電話をせんといけんと思って。「もうお父さんダメかもしれんけん」「じいちゃんとばあちゃんのことよろしく頼まい」と言った』

衝撃と恐怖に耐えた1時間…。

水によって“命の水”が奪われた5年前の西日本豪雨。では、引き続き当時の惨状と復旧に奔走した記憶と記録をお伝えします。


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