水責め、睡眠妨害…テロ組織幹部への拷問で問われた米国の「正義」 愛用のG-SHOCKを外して入った機密だらけの軍事法廷には独特のルールが【グアンタナモ報告・後編】

左は2012年に公開されたハリド・シェイク・モハメド被告(弁護団提供、共同)、右は2003年3月の同被告(AP=共同)

 民主主義や人権の擁護を掲げる米国はかつて中央情報局(CIA)による拷問を容認していた。2001年の米中枢同時テロ後に拘束した国際テロ組織アルカイダ幹部らから情報を聞き出すため、水責めや睡眠妨害といった手法を駆使した。米国の「正義」が問われ、今も同時テロで訴追された主犯格ら被告5人を裁く特別軍事法廷に影を落とす。弁護団は拷問後の自白調書の信用性を争うが、対テロ作戦に関わる機密だらけで公判前手続きは遅々として進まず、正式な裁判の見通しは立っていない。(共同通信ニューヨーク支局=稲葉俊之)
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 ▽40秒ルール

 キューバにあるグアンタナモ米海軍基地の空港跡地に建てられた平屋の軍事法廷では、厳戒態勢が敷かれていた。有刺鉄線を張り巡らせた2層の金網に囲まれ、一部は黒い幕で覆われ「撮影不可」と大書された看板が設置されている。
 電子機器は持ち込めず、法廷の建屋に入るまで2回、金属探知機で身体検査する徹底ぶりだ。普段、愛用しているカシオ計算機の腕時計「G―SHOCK(ジーショック)」も、長年取材している米紙記者から「スマートウオッチと疑われるから外したほうがいい」と言われた。

グアンタナモ米海軍基地の特別軍事法廷がある区画。有刺鉄線の奥に法廷の建屋があるが撮影は許されない=10月1日(共同)

 遺族や記者のための傍聴席は法廷の隣室と言ったほうが適当かもしれない。3重のガラスで仕切られ、法廷でのやりとりを見られるものの、ほとんど何も聞こえない。法廷の音声は40秒遅れでスピーカーを通じて流れ、傍聴席前の天井近くに設置されたモニターも目の前の光景とはタイムラグのある映像が映る。
 「裁判官席の隣に赤色灯があるだろう」。公判前手続きを追うオンラインメディアの記者が教えてくれた。検察側が関係者の発言に機密情報があると判断した際には赤色灯が点滅し、傍聴席の音声とモニターの映像が遮断されるという。20年以上たったのに機密が含まれる話が多いのかと疑問に感じた。

グアンタナモ米海軍基地で特別軍事法廷の事務局が入る建物。元は空港の管制塔だった=10月1日(共同)

 ▽軍服姿とベール

 「全員起立!」。マシュー・マコール裁判官の入廷に合わせた守衛の米兵の声がスピーカーから響く頃には、傍聴席の記者たちは既に着席していた。40秒前にガラス越しに入廷を確認して起立したからだ。目の前の光景とモニターの映像、音声がずれる違和感に最初は戸惑い、40秒が長く感じた。
 裁判官席に向かって左手の弁護団側には6列の長机に5席前後、右手の検察側は4列の長机に2~3席が並ぶ。各席にモニターがあり、オフィスのようにも見えるが、弁護団も検察側も3~4人に1人は米軍の制服姿で、空軍大佐のマコール裁判官も法服の下は制服だ。
 軍事法廷では米軍の法務関係者が被告の弁護に入り、死刑が適用される罪の場合は公費で民間の弁護士を雇える。他にも人権団体の全米市民自由連合(ACLU)が弁護費用を拠出するなどして弁護団は大規模で、出廷する女性数人はイスラム教徒の被告に配慮し、スカーフやベールで頭と体を覆っていた。

グアンタナモ米海軍基地の特別軍事法廷がある区画。キャンプ・ジャスティス(正義)と名付けられている=10月1日(共同)

 ▽拷問の実態

 守衛らが弁護団脇の出入り口を気にし始めた。ドアが開き、最前列に座ったのはハリド・シェイク・モハメド被告。アルカイダ幹部として、航空機をハイジャックしてニューヨークの世界貿易センターや米国防総省に突っ込ませるという恐るべき計画を立案したとされる人物だ。
 2003年3月にパスキスタンで拘束された際の写真は、白い肌着にがっちりとした体格だった。ガラスの向こうにいる男はやせこけ、当時の面影はない。オレンジ色のあごひげに、イスラム文化圏の伝統衣装を身にまとい、身長は150センチほど。法廷の中でもひときわ小柄だった。
 被告5人は2002~03年の拘束後、CIAの秘密施設に移送された。米上院の報告書によると、モハメド被告は手足の自由を奪われ、顔に大量の水を注いで自白を迫る水責めを約2週間に183回受けた。その間、眠らせないように約180時間にわたって立ったままの状態にもさせられた。

グアンタナモ米海軍基地で、被告らが当初収容された施設の跡地=10月1日(共同)

 「心を折るための工程だった」と弁護団のアルカ・プラダン氏は嫌悪感をあらわにする。事実、5人のうち、アルカイダ幹部とテロ実行犯の仲介役とされるラムジ・ビナルシブ被告は精神を病み、現在も「政府に攻撃されている」との妄想にとらわれている。
 当時の拷問の計画書は、睡眠を許さないため「白い光で照らした白い部屋を不快なほど寒くして騒音を響かせ、衣服を着けさせずに立たせる」ことを提案していた。マコール裁判官は今年9月、ビルナシブ被告が自身を弁護できる状態にないとして、他4人の公判との分離を決定した。

 ▽進行阻む赤色灯

 公判前手続きの争点はモハメド被告らが2006年にグアンタナモ基地に移された後、連邦捜査局(FBI)が作成した自白調書の証拠能力だ。問題となるのは、やはり拷問の影響だ。
 検察側はCIAの拷問とは無関係で、被告らが自発的に供述したと主張。弁護団はFBIとCIAが連携し、取り調べは「拷問の一部だった」として調書を証拠と認めるべきでないと訴える。
 取材した1週間の審理では、モハメド被告の取り調べに立ち会ったFBIの元情報分析官の証人尋問が中心となった。「被告が『アルカイダに入れば新品のパソコンがもらえるぞ』と冗談を言う良好な雰囲気だった」と証言する一方、CIAのパソコンで調書を作成したとも認めた。
 弁護団が核心に迫ろうとCIAとの連携に関する質問に入ると突然音声が途絶えた。モニターの映像も静止画に切り替わっている。裁判官席脇の赤色灯が点滅していた。弁護団の質問か証人の回答が機密に触れると検察側が判断したためだ。
 機密に関してマコール裁判官に裁量はなく、弁護団との協議で解決するしかない。検察側が捜査関係者の氏名などが機密に指定されていると勘違いしたようで休憩後に再開したが、重要な質疑応答を議事録に残す必要があり、弁護団も簡単には引き下がれない。
 毎日1~2回は赤色灯がともり、両手を広げて抗議の意思を示す弁護士もいた。モハメド被告を弁護するゲイリー・ソワーズ氏は検察側に機密を守る義務があるのは当然だとしながらも「自分たちに都合の良い筋書きを描くために機密の扱いを乱用している」とけん制する一幕もあった。

グアンタナモ米海軍基地の特別軍事法廷がある区画=10月1日(共同)

 ▽遺族の思い

 2012年に被告らの罪状認否が実施されてから10年余り。機密の壁などで弁護団への証拠開示が進まないことに加え、裁判官が交代するたびに方針が変わり、裁判は長期化してきた。4人目の裁判官であるマコール氏は来年4月に退任する意向を表明している。
 わずかな光明が見えたこともあった。米メディアによると、検察側は昨年3月に被告らが罪を認める代わりに死刑を求刑しない司法取引を提案。弁護団は被告らを独房に入れず、必要な医療サービスを提供するなどの条件を出した。
 しかし今年9月、バイデン大統領がそうした条件の受け入れを拒否したと報じられた。正式な裁判での死刑判決を求める遺族への配慮と、「テロリストと取引した」との批判を招く政治的決断を避けたいとの思惑があったのだろう。いずれにせよ、長いトンネルを抜けることはできなかった。

グアンタナモ米海軍基地で特別軍事法廷がある区画に掲げられた星条旗=10月1日(共同)

 弁護団によると、遺族の思いはさまざまで、公判前手続きを熱心に追い続ける人もいれば、ほとんど興味を抱いていない人もいる。
 テリー・ロックフェラーさんは前者だ。世界貿易センタービルにいた妹のローラさんを失った。これまでグアンタナモ基地に10回以上足を運んだほか、自宅に近い米東部ボストン近郊の軍施設で法廷の中継映像を見守ることも少なくない。
 「誰がなぜ、どのようにテロを起こしたのか」との疑問への答えを待ち続けている。テロの責任追及を求めるとともに「米政府は大きな間違いを犯した」として、被告の拷問や長期勾留、軍事法廷の設置を批判。「いつか政府の権限のある人物がこの20年間の過ちを認めなければならない」と訴えた。

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