獄中からの叫び「なぜ世界は我々を無視するのか」|石井英俊 アメリカ・ニューヨークに本部を置く南モンゴル人権情報センターに送られた一通の手紙。ある刑務所に面会に訪れた「囚人」の家族と弁護士に手渡されたものだった。そこに綴られていた悲痛な叫びとは。

重大な欠陥

支持率低迷にあえぐ岸田政権だが、この1年で最も支持率が高かったのは5月に岸田総理の地元広島においてG7サミットを開いたときだった。世界の首脳を集めて原爆資料館、平和記念公園を訪れ、リーダーシップを強く国民に印象付けることに成功した瞬間だった。さらにはウクライナのゼレンスキー大統領の来日も実現し、サプライズ効果もあって、外交の岸田という演出効果があったことが当時の支持率アップにつながったことは間違いないだろう。岸田総理自身も様々な外交成果を確信していることだろうが、実は、中国の人権問題に取り組んでいるものとしては決して見逃せない課題があった。

それは取りまとめられた「G7広島首脳コミュニケ」のある部分についてだ。外務省ホームページに原文と仮訳があるので、全文確認できる。日本語仮訳で39ページ、66項目まである文書だが、問題は<地域情勢>と題されているカテゴリーにある51番目の項目のところだ。

51項目は「我々は、G7のパートナーとして、それぞれの中国との関係を支える以下の要素について結束する」として、9点を列記している。その9点の内の7番目には、次のように記されている。

「我々は、強制労働が我々にとって大きな懸念事項となっているチベットや新疆ウイグルにおけるものを含め、中国の人権状況について懸念を表明し続ける。我々は、中国に対し、香港における権利、自由及び高度な自治権を規定する英中共同声明及び基本法の下での自らのコミットメントを果たすよう求める」

一見すると良い内容が盛り込まれていると見えるのだが、重大な欠落がある。チベット、ウイグル、香港しか書かれていない。つまり、南モンゴルがすっぽり抜け落ちているのだ。

これまでも様々な外交文書ではウイグルと香港のみが言及されるなど、4地域がそろっていたわけではない。しかし今回は事情が違ったはずである。なぜならば、昨年(2022年)2月の衆議院、同12月の参議院において「新疆ウイグル等における深刻な人権状況に対する決議」が圧倒的賛成多数で成立しているからだ。

この国会決議においては、「新疆ウイグル、チベット、南モンゴル、香港等における深刻な人権状況」と4地域の名前が全て明記された。公明党への譲歩が大きすぎて余りにも骨抜きにされ過ぎた国会決議だったが、この4地域の名前を一つも削らずに列記することだけは、最後まで守り抜いた。特に筆者がこだわった部分でもあった。

議長国としてコミュニケの原文を書いたであろう外務省は、この国会決議に4地域の名前が列記されたことをどれほど重く考えていたのだろうかと甚だ疑問に感じざるを得ない。日本は南モンゴルについても書き込むように主張したが、他国の賛同を得られなかったのか、それともそもそも念頭になかったのか。残念ながら、チベット、ウイグル、香港に比べると、南モンゴルに対する認識は世界に広がっているとはまだまだ言えない状況だ。その意味でも、モンゴルと歴史的に深いつながりを持つ日本こそが、南モンゴル問題を世界に訴える使命があると筆者は考えている。G7広島首脳コミュニケから南モンゴルが抜け落ちていたことは、まさに現在の状況を端的に表していると言えるだろう。

中国の南モンゴル問題を長年訴えてきたモンゴル人ジャーナリストであり、モンゴル国民のムンヘバヤル・チョローンドルジ氏が、モンゴル国において不当逮捕され懲役10年もの判決を受けて現在服役中であることについて、度々レポートしてきた。「中華人民共和国に対するスパイ活動に従事した」として、ムンヘバヤルはモンゴル国によって逮捕投獄されたのだ。中国と戦っていたところ、中国政府の代わりに、中国政府の意向を受けたモンゴル国政府が不当逮捕するという異常事態であることや、それに対して日本の南モンゴルを支援する国会議員連盟(会長高市早苗衆議院議員)が対応して動いていること、さらには世界の人権団体が多くの釈放要求の声をあげていることを解説してきた。

一連の経緯について未読の方は、「国民栄誉賞受賞ジャーナリストの不当逮捕に習近平の影(2023年2月17日公開)」「不当逮捕された国民栄誉賞受賞ジャーナリストの獄中記(2023年3月31日公開)」をぜひご一読いただきたい。

下記において紹介する「なぜ世界は南モンゴルを無視するのか」は、今年8月ごろにムンヘバヤルが獄中において書いた記事である。「アメリカ・ニューヨークに本部を置く南モンゴル人権情報センターに送ってモンゴル語の原文を英訳し、同センターから全世界に向けて発表してほしい」とのムンヘバヤルからの強い希望によって、今月(10月)刑務所に面会に訪れたムンヘバヤルの家族と弁護士に手渡されたものだ。英語版は同センターのウェブサイトにおいて10月25日に発表されている。筆者は、家族と同センターの了解を得て、英語版からの再翻訳によって日本語版を作成した。

以下、モンゴル国の首都ウランバートルにある421番刑務所内の、ムンヘバヤルの獄中からの訴えである。

中国共産党の同化政策と大量虐殺の犠牲者

一度は統一された私の国モンゴルは、現在も分割された国家のままである。モンゴル人の大部分を占める南モンゴルのモンゴル人は、中国共産党の同化政策と大量虐殺の犠牲者として苦しんできた。

南モンゴルのモンゴル人は中華人民共和国の国境内に住む先住民のモンゴル人であり、北モンゴルのモンゴル人は独立国モンゴルの領土内に住む先住民である。南モンゴルは “内モンゴル”とも呼ばれている。

モンゴル人は、中国人が独立を宣言した1912年までは、どの中国人国家の臣民でもなく、中国人に支配されたこともなかった。唯一そのとき以来、中国人国家は1911年に独立を回復したモンゴル民族の一部を侵略し始めた。

1912年以前、中国人は清帝国(満州清)の臣民だった。世界的に誤解されているが、清帝国は中国人の国家ではなかった。清の時代、中国人は自国の国家を持たず、外国の支配下にあったのだ。

したがって、「モンゴルは中国の一部であるべきだ」という主張は無効であり、根拠がない。インドが「かつて大英帝国に支配されたすべての国家と領土は、インドの国家と領土の一部であるべきだ」と主張したら、どれほどナンセンスだろうか。

清という多国籍帝国は、満州人が侵略と占領を繰り返して築いたものだ。モンゴル人が満州人の支配下に置かれたのは、欺瞞、分割統治、侵略によってのみである。それ以前、西モンゴルのモンゴル人は北モンゴルと南モンゴルの統一国家のほかに、「ジュンガル帝国」という強大な帝国を維持していたが、後に満州人による大規模な虐殺作戦によって滅ぼされた。

確かに、清帝国の支配エリートは満州人であった。この帝国の臣民、特にモンゴル人の境遇は悲惨だった。1911年、中国が清からの独立を模索し始める以前から、北モンゴルと南モンゴルのモンゴル人はすでに清からの独立回復を宣言し、独自の主権国家を樹立していた。その直後、このモンゴル人国家は歴史的なモンゴル全土を統一するための一連の政策を実施し、占領された領土を奪還するための軍事作戦にまで乗り出した。しかし、ロシアと中国の介入により、これらの任務は達成されなかった。

どんな困難があろうとも、南モンゴルのモンゴル人はモンゴル独立国家との統合を決してあきらめなかった。彼らは中国の侵略と圧政に対して、武力抵抗を含むあらゆる可能な手段で不断に戦った。中国の新体制は結局、南モンゴルのモンゴル人を支配下に置くことはできなかった。

閉ざされたモンゴル人の夢

日本が満州国を樹立すると、南モンゴルの東部はその一部となった。南モンゴル西部のモンゴル人は、徳王の率いるモンゴル民族主義者の指導の下で民族独立運動を続けた。

日本は秘密条約に基づき、「外モンゴル」の現状維持を決定したが、南モンゴルのモンゴル人が北のモンゴル国との統一を望むことは断固拒否した。いわゆる「外モンゴル」はモンゴルの事実上の独立国家であり、正式にはモンゴル人民共和国または現代のモンゴル国として知られている。同様に、モンゴル人自身が「ウブル・モンゴル」と呼ぶ南モンゴルも、西欧諸国では「内モンゴル」と呼ばれていた。

秘密条約の存在すら知らなかったモンゴル人民共和国は、弾薬と人員を提供して日本人と戦い、南モンゴルを解放するために、第二次世界大戦に積極的に参戦した。南モンゴルの人々は、この参戦を再統一の絶好の機会として歓迎した。しかし、モンゴル人民共和国が第二次世界大戦終結時に世界の超大国が下した秘密決定(筆者注:ヤルタ協定)を覆すことができなかったため、南モンゴルのモンゴル人のこの夢は閉ざされた。

毛沢東率いる中国共産党の犯罪、新たな苦難の時代の始まり

毛沢東率いる中国共産党は、南モンゴルの自決権と完全な独立を約束しながら、民族浄化、欺瞞、軍事占領という犯罪的手段によって、不法に南モンゴルを共産中国の支配下に置いた。この時期から、南モンゴルのモンゴル人の新たな苦難の時代が始まった。

毛沢東政権は、南モンゴルのモンゴル人に対して前代未聞の範囲と規模の暴力を行った。特に、南モンゴルで最初に始まった中国の文化大革命では、南モンゴルのモンゴル人は他のいわゆる "少数民族 "の中で最大の犠牲者となった。言語に絶する拷問と殺戮が南モンゴル全土を巻き込んだ。この間、何十万人もの南モンゴルのモンゴル人が拷問で殺され、あるいは永久に障害を負った。こうした人道に対する恐るべき犯罪はすべて、中国が "内モンゴル人民革命党 "の党員を粛清するという名目で行ったものだった。

文化大革命後、中国は市場経済への移行を開始し、その結果、中国政府は南モンゴルの牧畜民が放牧地と家畜を所有できると発表した。その後、中国から南モンゴルへの人口移動を加速させることを決定した。この決定に対し、1981年、南モンゴル全土のモンゴル人学生が地域全体の大規模な抗議行動を起こし、中国中央政府は一時的に計画を中止せざるを得なくなった。

土着の知識や伝統的な生活様式を奪われた最も抑圧された民族である南モンゴルのモンゴル人にとって、市場経済への移行は大量虐殺的なものだった。家畜を囲い込み、遊牧民の移動を制限するだけでなく、中国政府は「土地使用期限が切れた」「鉱業と観光業を発展させる」「牧畜業は生態系を破壊している」「生産性の高い土地は国家が使用しなければならない」「荒廃した土地は回復させなければならない」など、さまざまな口実を用いて牧畜民の土地を奪い、家畜の放牧を禁止した。

止むことのない南モンゴル牧畜民による抗議とデモ

2011年、中国人のトラック運転手が、中国人の鉱山労働者から自分の土地を守ろうとしたモンゴル人の牧夫メルゲンを残忍にも殺害した事件を受けて、南モンゴルのモンゴル人たちは街頭で大規模な抗議行動を起こした。この抗議行動は瞬く間に地域全体に広がり、1981年以来、南モンゴルで最大の抗議行動となった。

それ以来、南モンゴルの牧畜民による抗議とデモは止むことがない。ほぼ毎年、英雄的な牧民たちが自分たちの土地を守るために命を落としている。2017年、中国政府は牧畜民の抗議活動を禁止し取り締まるため、より厳しい措置を採用し、牧畜民を一斉に犯罪者とした。同年、新疆ウイグル自治区のモンゴル語地域ではモンゴル語の使用が禁止された。

2020年、中国共産党政権は南モンゴルでモンゴルの言語と文化に対する新たな攻撃を開始した。そのため、南モンゴル全土のモンゴル人学校ではモンゴル語の授業が激減した。これに対し、南モンゴルの親たちは立ち上がった。街頭で抗議行動を起こし、ストライキを行い、当局に嘆願書を送った。新政策に抗議して自殺する者さえいた。

世界よ!

ムンヘバヤル氏近影(2023年4月6日 ウランバートル421刑務所にて) 写真提供:南モンゴル人権情報センター

香港の抗議活動を鎮圧し、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)対策の名の下に全人口を封鎖することに成功し、他の抗議活動を阻止するという自信を高めていた中国当局は準備が整っていなかったため、南モンゴルの抗議活動にパニックに陥った。それでも、中国当局は南モンゴルのモンゴル人の抗議活動を鎮圧するために迅速に行動し、その後、南モンゴルで新疆ウイグル自治区式の過酷な政策を採用し、モンゴル語とモンゴル人の完全な抹殺を目指した。南モンゴル一帯もチベットや新疆のように事実上の戒厳令下に置かれている。

世界よ!なぜ鉄のカーテンの向こうで苦しんでいる南モンゴルのモンゴル人の声に耳を貸さないのか? 南モンゴルのモンゴル人の苦しみは、まだあなた方の注意を引くには十分ではないのか? あと何人の命が失われなければならないのか? あとどれだけの血を流さなければならないのか? あとどれだけの生活を破壊しなければならないのか? あとどれだけモンゴル文化を抹殺しなければならないのか? あとどれだけモンゴル文化の抹殺が起きるのか?あとどれだけの弾圧をすれば十分だと言えるのか? 世界は今、これまで無視されてきたクルド人、ウイグル人、ロヒンギャ族に注目している。しかし、南モンゴルのモンゴル人はいまだに無視されている。

なぜ世界は南モンゴルに注目しないのか?独立国であるモンゴルとその国民でさえも注目していない。南モンゴルの同胞を擁護したモンゴル市民が、モンゴルの裁判所から「反中活動に従事した」として懲役10年の判決を受けたからだろうか?(筆者注:ムンヘバヤル自身のこと)南モンゴルのモンゴル人は自由と人権を享受するに値しないのか?南モンゴルのモンゴル人は地球上から抹殺されるべきなのか?

すでに中国当局から十分な差別を受けている南モンゴルのモンゴル人を差別することを、なぜ世界は、特に西側民主世界は恥と思わないのか?

私はこの「なぜ」という問いに対する答えを求める!

石井英俊

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