夏越(なごし)の祓 茅輪神事【駅ぶら】06京王電鉄 京王線106

※2023年6月撮影

トップ画像は、調布「天神通り商店街」を北に抜けて甲州街道を渡った「天神通り」。北に歩いています。

とても美しい山門がありました。このお寺は、山門前の調布市教育委員会の案内板に拠れば、元は栄法寺。大正4年に小島の不動院、下布田の宝性寺を合併して元号から大正寺と改名。この素晴らしい山門は、本堂とともに北側にあった栄法寺のものを移築しています。「常行院」の扁額がかかっています。

※2023年6月撮影

美しいお寺です。調布市観光協会のサイトに拠れば境内には旧三寺からの老木や庚申塔、石仏があるとのこと。庚申塔、石仏を見たいのですが、残念ながら気楽に入れる雰囲気ではありませんでした。

※2023年6月撮影

大正寺山門前、お地蔵さんの間に「布田郷学校跡」の碑。

※2023年6月撮影

右背後に立つ「調布市教育委員会案内板」の内容は以下です。

「郷学校とは、江戸時代中期ごろから明治時代前期にかけての教育機関のことで、寺子屋や私塾より公共性が高く、近隣でも数校を数えるにすぎない特色ある教育施設であった。

布田郷学校はそのなかの一つで、上布田の住人 原豊穣の設立した育英学校を、明治4年(1871)栄法寺を校舎として開設された。〈中略〉

布田郷学校は、発足するにあたり、原豊穣等五宿※の有力者たちが中心となって、近隣の村々の協力を得て開校したものであるが、この郷学校は養豚所を経営することによって得た収益を学校の運営費にあて、授業料等一切とらなかったという特色のある学校であった。養豚所の経営不振から明治7年閉鎖し、公立布田学校(現在の第一小学校の前身)となるまで、公立学校に代わる重要な役割を果たしてきた。

平成2年 3月26日 調布市教育委員会」

※国領宿・下布田宿・上布田宿・下石原宿・上石原宿の宿場を合わせて布田五宿

北に歩いて「布多天神」です。

※2023年6月撮影

これは2006年(平成18年)2月に来た時の写真。「布多天神」境内で「大骨董市」が開かれていました。

※2006年2月撮影

筆者に骨董趣味があるワケではありません。散歩の際にお詣りに来たら開催されていたのです。

しかし、門外漢にも面白いものでした。フリマと似た雰囲気もありますが、お店を出している方に「これは何ですか」と訊くと「さあ、何だろうねぇ」という不思議なモノも売られていました。(笑)

※2006年2月撮影

しかし平日の昼下がり、この日の境内は静寂そのものでした。

※2023年6月撮影

神様にご挨拶する前に手水舎で手と口を浄めます。

※2023年6月撮影

ありゃ、新しい橋があります。社務所でうかがったら2022年(令和4年)に作られたそうです。橋を渡れば御神域。この辺りに大きな木があったのですが・・・。

※2023年6月撮影

御神木。参道の入口に立っていた巨木(御神木)は、樹齢約500年。寿命で伐採されたとのことでした。新たな御神木が植えられています。

※2023年6月撮影

訪れたのが6月「水無月の夏越しの祓する人は千年の命のぶといふなり」と書かれた茅輪神事(夏越の祓)があります。ちゃんとお祓いしました。

※2023年6月撮影

拝殿にお詣りします。

(写真・文/住田至朗)

※駅構内などは京王電鉄さんの許可をいただいて撮影しています。

※鉄道撮影は鉄道会社と利用者・関係者等のご厚意で撮らせていただいているものです。ありがとうございます。

※参照資料

・『京王ハンドブック2022』(京王電鉄株式会社広報部/2022)

・京王グループホームページ「京王電鉄50年史」他

下記の2冊は主に古い写真など「時代の空気感」を参考にいたしました

・『京王電鉄昭和~平成の記録』(辻良樹/アルファベータブックス/2023)

・『京王線 井の頭線 街と駅の1世紀』(矢嶋秀一/アルファベータブックス/2016)

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