「自分だけは捕まらない…」 交通事故発生後“当事者”でも「現場から逃げてしまう人」の思考回路

「FUJIWARA」藤本さんが当て逃げ事故を起こした渋谷区の交差点(SEKIGUCCI / PIXTA)

10月4日、お笑いコンビ「FUJIWARA」の藤本敏史さん(52)が当て逃げをした事故が報道され、大きな話題となった――。

藤本さんの芸人・仕事仲間らからは「お酒を飲まないから逃げる必要がないのに」「ビビリで逃げるなんて考えられない」など“なぜ逃げたのか”を疑問視する声が多く上がるとともに、後輩である「NON STYLE」の井上裕介さん(43)が当て逃げ事故を起こした際、「なんで車から出て謝罪せえへんかったんやろ」などとインターネット番組上で行った過去の発言についてもが図らずもクローズアップされてしまった……。

通常時であれば「逃げてはいけない」と分かっている人でも、実際に事故を起こした後「逃げる」という選択をしてしまうのは一体どのような心理が働いているのだろうか。

安全に関係する人間の行動と、その背後にある心理について研究する「安全心理学」の専門家・島崎敢氏が解説する。

「逃げる」か「逃げないか」

はじめに断っておくが、事故を起こして逃げるのは絶対に良くない。その場から立ち去ったところで、事故を起こしてしまった事実は変えられない。事態をかえって悪化させるだけだ。冷静に考えればわかることのはずだが、人間はしばしば合理的とは言えない判断をすることがある。この理由について考えてみよう。

事故を起こした時に取りうる選択肢は二つ、逃げるか逃げないかだ。

逃げないという選択肢を取った場合には、事故に対処する必要がある。事態を収拾するためには各種の罰則を受けたり、相手への賠償をしたりする必要があり、事故処理には時間もかかる。事故を起こしたので当たり前だが、事故を起こした人はそのコストを負担する必要があるのだ。事故が重大なほど、また事故を起こした人の落ち度が大きいほど支払うコストは大きくなる。

一方で「逃げる」という選択肢を取った場合、事故を起こしたのが自分だとわかる証拠がなければ、コストを支払わずに済むかもしれない。ただし、当然バレて捕まれば、逃げずにその場にとどまったときよりも大きなコストを負担することになる。

道義的な問題を無視して、事故を起こした人が負担するコストのことだけを考えれば、次の図のような比較が成り立つ。

事故統計に基づいて、ひき逃げの確率を上げる要因を調べた研究によれば、飲酒や信号無視など、事故を起こした人の落ち度が大きい場合(てんびんの左側が大きく知覚される場合)や、時間帯が深夜である場合(目撃者が少なく「捕まる確率」が小さく知覚される場合)には、そうでないときよりもひき逃げが増えるという。

上記のようなコストの比較検討が許されるかどうかはさておき、少なくとも一部の事故当事者は、両者をてんびんにかけて意思決定をしているようだ。

「逃げない方が合理的」だけど…

実際に事故が起きた直後に、上記のような比較を正確に計算できる人は少ないだろう。

たとえば客観的な「捕まる確率」(警察に検挙される確率)は死亡事故で約99%、人身事故全体では71%程度なので、逃げるという選択が合理的になるためには、逃亡によるコストの増大が、1.01倍〜1.41倍よりも小さくなければ割に合わない。

しかし実際には、事故現場から逃走してしまうと救護義務違反などの追加の罰則がある上、保険が使えなくなる可能性や、慰謝料の増額、より強い社会的制裁などがあり、少なく見積もっても、支払うコストは数倍に膨れ上がるだろう。

したがって、逃げることの道義的な問題を考慮に入れなくても、「逃げない方が合理的」なのだが、事故直後はパニックになりやすく、冷静で合理的な判断は期待できない。

合理的な判断ができない理由

合理的判断がされない理由は他にもある。

たとえばてんびんの左側のコストの支払いは逃げないと決めた瞬間に確定する。一方、右側のコストは確率の大小はさておき、逃げると決めた時点では不確定である。

「確実に10万円を支払う」と「50%の確率で20万円を支払う」のどちらを選ぶか尋ねられた時、確率的な期待値はどちらも「マイナス10万円」であるが、多くの人は「50%の確率で20万円を支払う」方を選んでしまう。

つまり私たちは、損害が確定することを嫌い、逃れられる可能性があるなら、そちらに賭けてみようと思いがちなのだ。

さらに、右側の損害は左側の損害よりも時間的に遅れてやってくる。すぐに支払うコストと将来支払うコストの重みは同じではない。やらなければならないことを先延ばしにした経験は誰にでもあると思うが、私たちは将来大変な目に遭うとわかっていても目の前の楽な道を選びがちなのだ。

加えて、私たちは「小さい確率」を実際よりも大きく知覚しがちである。

宝くじの1等が当たる確率は極めて小さいはずだが、多くの人が“自分だけは”当たるつもりで宝くじを購入し、当たったら何に使おうかなどと妄想している。

同様に、逃げた後に捕まらない可能性はとても低いのだが、「“自分だけは”捕まらないだろう」などと思ってしまうのだ。

芸能人は“逃げない時のコスト”が重すぎる?

芸能人には特有の事情もありそうだ。

一般の人が事故を起こした場合に支払うコストは、法律で定められた刑事責任や行政責任、金銭的な部分を保険がカバーしてくれる民事責任だけだ。

しかし芸能人が事故を起こしたことが世間に知れると、ニュースに取り上げられ、コメント欄でバッシングされ、バラエティー番組では他の芸能人に好き勝手なことを言われる。

事故の相手ではない「お騒がせした社会の皆さま」に対して謝罪文を発表させられたり、活動停止に追い込まれたりもする。挙げ句の果てには「事故を起こした芸能人一覧」のようなまとめサイトに記録が残され、未来永劫(えいごう)その情報が公開され続ける。

つまり芸能人にとって、逃げるかどうかの判断に使われるてんびんの左側の重みは、一般の人に比べて著しく重く感じられる可能性がある。同様に、芸能人であれば、逃げた場合に支払うてんびんの右側のコストも重たくなるのだが、コストの支払いを少し後に引き伸ばせるし、運が良ければチャラになるかもしれないのだ。

繰り返しになるが、芸能人だろうと一般人だろうと事故現場から逃げてはいけない。選択肢は最初から「逃げない」一択で、逃げる逃げないをてんびんにかけるべきではない。

しかしその一方で、何かと騒ぎ立てる社会全体が、芸能人を「逃げる」という選択肢に追い込んでいる可能性も考えなければならない。逃げてしまった芸能人に対して社会的制裁があるのは仕方ないにしても、逃げずに適切な対応をした芸能人の事故を、いちいちニュースにしたり騒いだりする必要はないのではないか。

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