犬塚弘さんの実直さ感じた電話の沈黙 クレージー前身バンド盟友と過ごした夜に見せた素顔 記者が語る

日本の芸能史に大きな足跡を残したバンド「クレージーキャッツ」のベーシストで、俳優としても活躍した犬塚弘さんが94歳で亡くなった。 7人のメンバーのうち唯一、存命だったことから〝最後のクレージー〟と称された犬塚さん。そのため「全員が鬼籍に」という視点からも報じられたが、前身バンドの同世代メンバーには今も現役の人がいる。記者は、その名サックス奏者と犬塚さんが顔を合わせた場に同席する機会があった。

ちょうど10年前の2013年のこと。この年、犬塚さんの自伝を新聞連載した娯楽映画研究家・オトナの歌謡曲プロデューサー佐藤利明氏の紹介で、犬塚さんにお会いした。場所は都内のライブハウス。日本を代表するジャズピアニスト・前田憲男さん(18年に83歳で死去)のライブで、そこにはクレージーキャッツの前身バンド「キューバン・キャッツ」のメンバーだったサックス奏者・稲垣次郎さんも出演していた。なお、連載は同年に書籍「最後のクレイジー犬塚弘 ホンダラ一代ここにあり!」(講談社)となって世に出た。

当時84歳だった犬塚さんはライブの夜、杖をつきつつも、背筋をピンと伸ばして会場に現れた。おしゃれなジャケット、首から胸元にはスカーフ。180センチ近い長身だが、腰は低く、差し出した記者の名刺を凝視してから、「お会いできて光栄です」と笑顔で挨拶された。

終演後、レストラン形式のテーブルに稲垣さんも合流。犬塚さんは盟友とのキューバン時代の思い出や、その後のクレージー時代の地方巡業先での植木等さんのエピソードなど、軽妙に語ってくれた。

稲垣さんは、クレージーキャッツのメンバーになることなく、自身の音楽を追求した。バンド「稲垣次郎とソウル・メディア」を結成してジャズ・ロック、ジャズ・ファンクのパイオニアとなり、ポップスや歌謡曲の世界でも大滝詠一さん、西城秀樹さん、ピンク・レディーらとコラボ。別々の道を歩んだが、犬塚さんとは〝クレージー前夜〟に同じ釜のメシを食った仲間であり、話は弾んだ。

犬塚さんは「僕は飲めませんから」と記者に言った。酒は飲めないとのことだった。そして、熱海のきれいな空気と海に囲まれ、奧さんと悠々自適の日々を過ごしているという。なるほど、健康で、長寿であることが納得できた。それから10年後の訃報。ここで改めて、クレージーキャッツのメンバーを没年順に振り返ってみよう(かっこ内右側の数字は享年)。

リーダーでドラマーのハナ肇(93年、63)、ピアノの石橋エータロー(94年、66)、テナーサックスの安田伸(96年、64)、ボーカル&ギターの植木等(07年、80)、ボーカル&トロンボーンの谷啓(10年、78)、ピアノの桜井センリ(12年、86)、そして、犬塚さんとなる。一方、稲垣さんは今月3日で90歳の誕生日を迎えた。その音楽はクラブなどでDJにプレイされ、今秋には往年の名盤がレコード(今風に言えば「ヴァイナル」)となって相次いでリリースされている。

ミュージシャンであり続けた稲垣さんに対し、犬塚さんは俳優としての道を歩んだ。

脇役に徹したキャリアの中には主演作もある。例えば、65年公開の松竹映画「素敵な今晩わ」(野村芳太郎監督)。街で見かけた岩下志麻が演じる可憐な美女に妄想の中で恋をし、現実では子犬をいつも抱きしめている自動車教習所の指導員役を演じた。「吹けば飛ぶよな男だが」(山田洋次監督)や「日本ゲリラ時代」(渡辺祐介監督)で虚勢を張っても実は気弱で憎めないヤクザを、山田監督の「男はつらいよ 奮闘編」では路頭に迷った少女を世話する駅前交番の巡査を好演。テレビでは伝説の昼ドラ「愛の嵐」(86年)でヒロインの田中美佐子を気遣う舅(しゅうと)、特撮映画「仮面ライダーZO」(93年)の発明家と役柄は幅広いが、その根底には人柄同様の実直さや優しさが流れていた。

後日談がある。ライブ会場での初対面から約2年後、ある芸能人の消息や接点の有無について本人の携帯電話に直接問い合わせたことがあった。犬塚さんは、しばし考え込んで、「分かりません」と回答。即答ぜずに、「う~ん」と記憶の糸をたぐった沈黙の時間に、あの犬塚さんならではの実直さを感じた。

(デイリースポーツ/よろず~ニュース・北村 泰介)

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