「絶望を希望に変えたい」16歳で視力を失った男性、宮古トライアスロンに再挑戦 「3K」を胸に挫折を乗り越えた軌跡

 目の不自由な人がヨットを操る「ブラインドセーリング」で世界初の無寄港太平洋横断に成功した岩本光弘さん(56)=米サンディエゴ在住=が来年4月の全日本トライアスロン宮古島大会完走に向け、沖縄県読谷村内で合宿を行っている。コロナ禍を経て今年を再始動の1年と位置付け、「目が見えないという絶望を希望に変え、夢を実現させたい」と意気込んでいる。(社会部・下里潤)

 岩本さんは熊本県出身。生まれつき弱視で、16歳の時に視力を失った。人生に絶望し自殺すら考えたが、伯父の「目が見えなくなったのには意味がある」との言葉を思い出し、「絶望は希望に変わる」と前を向くことを決意した。

 30代半ばでヨットを始め、東日本大震災後の2013年に福島から太平洋横断を目指したが、クジラとみられる衝突事故で失敗。「無謀な冒険」と批判され、うつ状態になって海が怖くなった。

 恐怖を払拭しようと水泳を始め、その後はトライアスロンにも挑戦。17年に宮古島大会へ初出場したが、残り10キロ地点で伴走者が脱水症状になり、やむなくリタイアとなった。

 19年には太平洋横断に再チャレンジし見事成功。トライアスロンへの挑戦が原動力になったという。コロナ禍の約3年間は感染対策でパートナーとなる健常者の協力が難しく、トレーニングから遠ざかったこともあったが、トライアスロン用ウエットスーツを製作・販売するナチュラルエナジーの長田達也社長と出会い「忘れ物を取りに行こう」と宮古島再挑戦を決めた。

 長田社長が主催する「トライアスロンアカデミー」で28日から11月3日までの1週間、読谷村を拠点に二人三脚で汗を流す。県出身でリオデジャネイロ五輪自転車ロードレース日本代表の内間康平さんもサポートする。

 スイム、バイク、ランの3種目のうち、視覚障がい者に最もハードルが高いのは2人乗り自転車だ。時速50キロ以上で走る場合もあり危険を伴うため、前方に乗る長田社長との信頼関係が鍵となる。

 岩本さんは「感謝と絆、希望の3Kが大切。目が見えないことで逆に見えてくるものがある」と話し「クジラとの衝突や宮古島のリタイアにも意味がある。困難や苦難があるからこそ、成功が100万倍の喜びに変わる」と力を込めた。

トライアスロン完走を目指し、沖縄から再始動する岩本光弘さん(左)とサポートする長田達也社長(中央)、内間康平さん=31日、読谷村・ロイヤルホテル沖縄残波岬

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