天皇陛下 衆院議長の前代未聞ミスにも笑顔だが…生涯たった一度だけ怒らせた「雅子さまへの非難」

10月20日、額賀衆議院議長から天皇陛下に式辞書が手渡されるハプニングが(写真:共同通信)

10月20日に国会の開会式で生じたハプニングは、自民党に大きな衝撃を与えたという。

「新たに衆議院議長に就任した額賀福志郎氏が、自分が読んだ式辞書を間違えて天皇陛下にお渡ししてしまったのです。緊張していたのでしょうが、前代未聞のミスです。額賀議長が近づいてきたとき、陛下は一瞬、西村泰彦宮内庁長官に視線を向けましたが、落ち着いた表情で式辞書を受け取られ、ほほ笑みさえ浮かべられました」(皇室担当記者)

額賀議長は開会式後、西村長官を通じて陛下に謝罪。それに対して西村長官は、「陛下はお気になさっていません」と、伝えた。

「自民党総裁である岸田文雄首相ら政権幹部も宮内庁に謝意を伝えたそうです。陛下のハプニング発生時のお姿、そしてその後に明かされたお気持ちに、ネット上でも称賛の声が上がっています。

《やはり、陛下はさすがだと思った。一瞬「ん?」って表情が見て取れたけど、笑顔で何事もなかったようにやり過ごされるところが人柄があらわれている》《流石は天皇陛下。優しさは天井知らず》といったものです」(前出・皇室担当記者)

天皇陛下を知る人たちは口をそろえて、“怒ったお姿を見たことがない”と証言した。陛下の同級生はこう話す。

「私は学習院幼稚園時代から存じ上げていますが、陛下が怒られた場面は、1度も拝見した記憶がありません。校則違反を犯したクラスメートに対してでも、『そういうことは、ちょっと』と、静かにたしなめられていました」

学習院関係者は陛下の学習院中等科時代のエピソードを明かす。

「修学旅行の際、部屋で枕投げが始まったのです。年ごろの男の子たちですから、次第にヒートアップしていきました。あるクラスメートが、思いっきり枕を投げたところ、陛下の顔面に当たってしまい……。鼻血が出たほどで、投げた当人は顔面蒼白になったそうですが、その後も特に先生からのお咎めもなく、陛下も何事もなかったように接してくださったそうです」

元宮内庁職員で皇室解説者の山下晋司さんは、

「皇太子時代を含め、職員が陛下から叱責されたという話を私は聞いたことがありません。

’91年、陛下のモロッコ・英国ご訪問に報道担当として同行しました。夜遅い時間の帰国でしたが、本庁勤務の私は東宮職職員に挨拶をして帰ろうと事務室に伺いました。そこにたまたま陛下がおいでになり、『山下さん、お疲れさまでした。ちょっと飲みますか』と声をかけていただき、二人で少し飲みながらお話をしました。

職員にも常にそういった気遣いをされる方ですから、感情に任せて怒りをあらわにされるようなことはないと思います」

■陛下は小学生時代から論語を素読されていた

陛下の穏やかさ・お優しさはどのように培われたものなのか。ある宮内庁関係者はこう語る。

「東宮侍従としてお仕えした故・浜尾実さんは著書『浩宮さまの肖像・愛』でアサガオのエピソードを紹介しています。

幼稚園でアサガオの苗を育てていたとき、ほかの園児が次第に飽きてしまったなか、陛下だけは毎朝水やりをお忘れにならず、いつもアサガオの成長ぶりを見守っていらしたそうです。先生も『優しいお心は、生まれつきなのでしょうか』と、驚いていたとか。

浜尾さんの著書では、陛下が小学生時代から『論語』を素読されていたことも明かされています」

『論語』とは孔子とその弟子たちの問答をまとめたもの。孔子が説く「仁(なさけ深い心)」を実践する人は“仁者”と 呼ばれている。

「陛下は50歳の誕生日でも論語の言葉を引用し、《「忠恕(ちゅうじょ)」のうちの「恕(じょ)」、すなわち他人への思いやりの心を持つことが、これからの世の中でますます大切になってくると思えてなりません》と、お話しになっています」(前出・宮内庁関係者)

上皇さまの恩師だった小泉信三氏も、「皇室の伝統的精神は仁慈(思いやりがあって情け深いこと)にある」と説いていた。

「しかし歴代天皇がけっして“怒らなかった”わけではありません。二・二六事件の際、信頼する重臣たちが反乱兵に殺されたことに、昭和天皇が激怒したという話は有名です。

また上皇さまは、お子さま方のしつけに関しては非常に厳しかったのです。幼いころの秋篠宮さまがテンジクネズミを池で溺死させてしまったことがありました。泳げるかどうか試されたそうですが、そのことを知った上皇さまは、秋篠宮さまを池に投げ込まれたそうです。

その秋篠宮さまについては、眞子さんや佳子さまも『かつてはよく怒る父親でございました』『導火線が短い』などと証言しています。確かに’19年の『即位礼正殿の儀』では、秋篠宮ご一家を先導する役目だった皇嗣職の宮務官長が動線を間違えてしまい、それに気づかれた秋篠宮さまが一瞬にらみつけるような形相を見せられたこともありました。

いっぽう天皇陛下は愛子さまの教育について“けっして叱らない”ことをモットーとされていました。皇室のなかでは、際立って仁慈の精神を実践されていると言えます」(前出・宮内庁関係者)

しかし“仁者の誓い”を幼少期から守り続けてきた陛下が、それを破られたことがあった。

「’04年5月の記者会見で、『外交官の仕事を断念して皇室に入り、国際親善が皇太子妃の大切な役目と思いながらも、外国訪問がなかなか許されなかったことに大変苦悩していました。雅子のキャリアや、そのことに基づいた雅子の人格を否定するような動きがあったことも事実です』などと発言されたのです。

前年の12月に雅子さまはお倒れになりましたが、原因の1つが男子を産まなければならないという重圧だったと言われています。会見での厳しいご表情とお言葉には“状況を改善し、雅子を救わなければ”という決意が秘められていたのです」(前出・宮内庁関係者)

天皇陛下のご生涯ただ1度のお怒りは、雅子さまをお守りするためだった。

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