10月、広島市で開催されたフィギュアスケートの西日本選手権。織田信成選手が優勝しながら全日本出場がかなわず涙を流し、島田真央選手がトリプルアクセルを見せた。
19年ぶりに広島県唯一の競技用スケートリンク「ひろしんビッグウェーブ」で開かれたこの大会に地元からただ一人、シニア女子に田村綾音さん(広島文化学園大・3年)が出場を果たした。
国内最高峰の大会とされる全日本選手権に出場するには、シードされている選手を除き、東日本・西日本選手権で上位に入る必要がある。東日本・西日本に進むには、各地区で開かれるブロック大会で上位の結果を残さなければならない。
今年の西日本の舞台、ビッグウェーブは田村さんにとってのホームリンク。ところが田村さんはこのリンクで西日本への準備どころかブロック大会に向けた調整はほぼできなかった。
それもそのはず、ビッグウェーブのリンクが使えるのは半年ほど。今季の営業再開は西日本の1日前だった。彼女の練習の場は主に広島から遠く離れた岡山県倉敷市のリンクだった。
「週に3回くらいしか練習に行けていなくて、移動時間も長くてちょっと大変です」
◆ビッグウェーブで憧れて
「ビッグウェーブは初めてスケートをした場所で、始めてもう10年以上通っているので自分のリンクというか地元のリンクなので」
田村さんがスケートを始めたきっかけは、家族とよく遊びに行ったというビッグウェーブ。メインリンクで「クルクル回っている選手」を見て憧れを抱いた。
高校生になり頭角を現すと、インターハイで個人8位入賞。国体でも県別6位入賞を果たすなど結果を残してきた。
「大学に行くときに県外に行くか悩みましたが、ずっと教えてくださった先生のもとでずっとやりたいという気持ちがあったので広島に残りました」
しかしビッグウェーブは夏になると50mプールへと姿を変える。田村さんのような広島県のスケーターはこの期間中、県外や遊戯用のリンクに練習の場を求めることになる。
◆「選手育成には時間がかかる」
広島スケートクラブはこの夏、岡山県倉敷市のリンクを週3回貸し切り、練習を続けた。片道140km、約2時間の道のりではコーチもボランティアでハンドルを握る。
「仕事の延長線上ではありますが、滑らせたいという気持ちの上で(選手を)乗せて連れてきています。大きな試合の前にちゃんとした調整をし切れないというのが、環境が整っていないことで一番苦労するところ」
広島のベテランインストラクター、仲行恵美コーチは苦悩を語る。
環境の過酷さなどから進学時に限らず、競技をやめる人や、他県に移籍する選手も少なくない。新型コロナの影響も多く受けてきた。
「選手を育てていくのって、すごい時間がかかることなのです。通年リンクがあったら土台ができやすいと思うので、通年リンクがあったらいい」
広島のフィギュアスケーターは現在約20人。存続の危機を迎えかねない状況にある。
◆町田樹さん「広島県のスケート環境は非常に厳しい状況にある」
元フィギュアスケーターで國學院大學助教の町田樹さんは少年時代を広島で過ごした。
「広島県で氷上スポーツをするのは本当に大変なこと。広島県のスケート環境は非常に厳しい状況にあると、一研究者としては分析しています」
2014年ソチ五輪で5位、世界選手権では準優勝に輝いた“氷上の哲学者”は今、フィギュアスケートなどのスポーツについて様々な角度から研究を行っている
町田さんは、現在のスケート環境をこう分析する。
「フィギュアスケートの公式競技で使えるようなスケートリンクというのは、大体100あるかないかくらいだと思います。通年型のリンクというのは、日本全国で30あるかないかくらいになってしまいます。つまり、1都道府県に1つない状況なのです。全国的にスケートリンクというのは減少の一途を辿っています。なぜかと言うと『するスケート』です」
「スケート見ること」に対しては隆盛を極めた一方で、「スケートをする」人は1980年代をピークに減り始め、同時に市場規模も縮小している。つまり、需要と供給のバランスによりリンクの数も減っていったのだ。
◆競技人口に5倍の開き。広島が岡山に勝てない理由
「リンク減少の時代」にあって、広島県の隣、岡山県には岡山市と倉敷市に通年リンクがある。フィギュアスケートの競技人口は約100人。広島の5倍だ。なぜ、これほど差がついたのか。
「岡山県というのは高橋大輔選手を筆頭に、有名なスケート選手を数多く輩出されておりまして、県としてフィギュアスケート競技というものに対する理解が深いというものがあると思います。つまり、これは名古屋にも言えることだと思いますが、フィギュアスケートをその地域のブランドにしているということですね。だからこそエリアをあげてスケート文化を守ろうという意識が強いのではないかなというふうに考えています」と町田さんは言う。
それでも町田さんは、広島のスケーターへのエールを忘れなかった。
「上達の度合いっていうのは練習時間に比例しないのです。1時間~1時間半に全力投球すれば必ず成果って出ると思っています。移動しながら、リンクを転々としながらやっていくのは本当に大変ですけど、ポジティブにその状況を考えるならば、色々な世界が見られるということです。このようなポジティブな姿勢があれば、たとえ広島県内に通年リンクがなかったとしても、日本や世界で活躍できるスケーターになれるチャンスは大いにあると私は考えています」
◆慣れ親しんだビッグウェーブで
田村さんは福岡市で行われたブロック大会で3位に入り、広島勢でただ一人、地元で開催される西日本への出場を決めた。
迎えた西日本本番、いつもより緊張したというショートプログラムではミスもなく高得点をマークした。10位だったが、笑顔を見せた。
「いつも滑っているのと同じ景色で練習と同じようにできたのでよかったです」
ところがフリースケーティングで落とし穴が待っていた。勝負どころのジャンプをことごとく失敗し失速。総合15位に沈み、肩を落とした。
「うまくいったとしても全日本は無理だったけど、ベストを尽くせるように頑張りたいと思ったけどだめでした」
全日本につながる挑戦は来年が最後になる。大学3年生の田村さんは、スケートは大学卒業までと決めているからだ。
「通年リンクだったら自分たちのレベルももっと上がると思うし、やってみたいと思う人も増えて競技人口も増えると思うので、通年リンクがほしいなって思います」
後輩たちが地元広島で通年リンクを利用できる日を夢見ながら、田村さんは慣れ親しんだ半年だけのホームリンクに立つ。