「ZOZO」からメキシコへ 石川遼の視線は今もPGAツアーに

石川遼はZOZOチャンピオンシップで4位に入った(Getty Images)

2週前の「ZOZOチャンピオンシップ」で石川遼が日本勢最高の4位でフィニッシュした。直近大会のトップ10入りにより、今週の「ワールドワイドテクノロジー選手権」に出場。かつて5年に渡って米国で戦い、カムバックを目指す32歳の過去と今についてPGAツアーのChuah Choo Chiang氏が記した。

2009年にはプレジデンツカップに出場した(Getty Images)

米国であろうが、日本であろうが、彼の全てのショットはテレビカメラに収められた。ラウンド後のインタビューには必ずや大勢のゴルフライターが集まり、ときにマネジャーが持ってきたイスに座って、メディアの質問に一つひとつ丁寧に答える。

この光景こそが、10年以上前の石川遼の人生だった。

当時、熱狂的なゴルフファンに捧げるヒーローを長らく渇望していた日本のメディアにとって、石川は最愛の人と言えた。少なくとも、現在PGAツアーで8勝をマークしている松山英樹が登場するまでは。

15歳だった2007年、石川は日本男子ツアーで最年少優勝という歴史を刻んだ。爽やかでチャーミングな風貌から、Bashful Prince(ハニカミ王子)というニックネームが付き、20歳になる頃にはツアーで9勝。世界ランキングで50位以内に入り、2009年と11年には「ザ・プレジデンツカップ」に世界選抜の一員として出場した。

石川はさらなる成功のため米国に渡り、2013年から5年にわたってPGAツアーに在籍。タイガー・ウッズやアーニー・エルス(南アフリカ)、ビジェイ・シン(フィジー)らともプレーし、キャリアで2度、2位に入る活躍を見せた。だがその後、腰の故障もあって“アメリカンドリーム”を結局はつかめなかった。

ZOZOチャンピオンシップ最終日。ホールアウト後に多くの報道陣が集まった

長らくプロ生活を送っているが、石川はまだ32歳。松山よりも5カ月早く生まれただけだ。スイングスピードは遅くなったように見えて、ここ4年、彼は体の動きを再構築し日本で4勝を挙げてきた。もう一度、PGAツアーでプレーする時に備えて。

そして「ZOZOチャンピオンシップ」で、石川は“ホーム”の選手として最高位の4位で大会を終えた。日本国内ではコリン・モリカワの6打差圧勝よりも大きく取り上げられたのである。

試合後、石川は2016年以来のトップ10入りにより、出場資格を得た今週の「ワールドワイドテクノロジー選手権」への参戦を躊躇(ちゅうちょ)しなかった。多くの日本のメディアの輪の中で、「いつもPGAツアーに戻りたいと思っている」と語った。「日本に帰って5年が経った今も、(PGAツアーに)戻るために自分を磨いている。遅すぎることはないと思うし、そのために一生懸命やってきた。トップ10に入れて本当にうれしい」

現在、石川のノンメンバーのフェデックスポイントは127ptで、来季のPGAツアー出場権獲得となるポイントを積み上げるためには事実上、メキシコで単独2位以上の成績が必要。もちろん再びトップ10入りすれば、翌週の「バターフィールド バミューダ選手権」への出場もできる。シーズンは佳境だが、積み重ねで、可能性は広がっていく。

ZOZOでは22歳の平田憲聖、21歳の久常涼が6位に入り、大会史上初めて日本人選手が3人トップ10に入った。石川は若手の台頭と、彼らの姿勢も喜んでいる。「今は本当に勢いがある。特に20代前半の選手の活躍は2019年の大会初年度には見られなかったこと。変化がある時期で、彼らにとっても素晴らしいチャンスがある。PGAツアーが日本で開催され、彼らがここでプレーしているという事実だけでも、いかにレベルが高くなったかを示している。自分のモチベーションも高くなる」。まだまだ、老け込む時ではない。

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