人間関係のストレスは「自分を知る」で減らせる!

職場に家族にパートナーにと、生活していれば必ず他人と関わる機会が生まれ、すれ違いや衝突が起こります。

楽しい感情だけで過ごせるのが一番いいけれど、違う人間同士ならそうはいかないのが当たり前、喧嘩しても解決まで持っていけずに悩むなんてこともよくありますよね。

人間関係にはストレスが付きまといますが、少しでもリラックスして人と関わるには「自分を知っておく」ことが欠かせません。

自分の姿や気持ちをどう掴めばいいのか、「知る」について考えてみたいと思います。

人間関係のストレスの理由は「自分を知らない」せい!?

相手の「捉え方」は変えられない

たとえば、自分では「話しかけられたときに一生懸命答えている」と思っていても、相手には「声をかけるといつもテンションが低くて話しづらいな」と受け止められていた。

心に余裕がないから「今はそっとしておいてほしい」と正直に気持ちを伝えたのに、相手にとってはそれが「向き合ってくれない」と否定的に捉えられていた。

こんなすれ違いは、自分が正しいと思う在り方が相手の思惑から離れていたときに起こります。

逆に、自分が否定的に感じていた相手の振る舞いが相手にとっては好意を示す意味だった、なんてことがわかって驚くこともあります。

他人から見た自分の姿は、こちらが抱えている「こう思ってほしい」が叶うかどうかに関係なく、相手の意思で見え方が決まります。

こちらがどれだけ好意的な気持ちを伝えているつもりでも、その意味を決めるのは相手の受け取り方しだいです。

相手の心の状態が悪い、落ち込んでいるときなどは、励ますつもりで「がんばって」と言ったことが「プレッシャーをかけられた」とネガティブに聞こえてしまうのも、こちらの気持ちに関係なく「どう感じるか」において相手の価値観が優先されるためですね。

そう思えば、他人から見た自分の姿とは、コントロールが難しいことがわかります。

「こう思ってほしい」は自分の願いでしかなく、それは等しく「自分も相手の願い通りに感じているかはわからない」という事実があるのですね。

まずは自分の「感じ方」を知る

誰だって自分のことは期待通りに受け止めてほしいし、そこから外れた対応をする相手を見れば「どうしてわかってくれないの」と責めたくなります。

恋愛関係なら、「好きだからこうする」を相手に理解してほしいし、想像と真逆の反応をされたら伝わらないことが苦しくなりますよね。

どれだけ言葉を積んでもこちらの真意をわかってもらえない、なんて場面を経験すると、相手に嫌な感情が湧くし愛情も消えてしまいます。

相手の受け止め方は決められないのが現実であって、それなら、自分にできるのは「まっすぐに気持ちを伝える」ことだけです。

まっすぐに気持ちを伝えるには、どんな思いを抱えているか、どう感じているかをまずは自分がしっかりと掴む必要があります。

本心や本音を自分がわかっていないのに相手に「届け」と思って動いても、真意は伝わりません。

自分の感じ方を知るには、何かあって感情が動いたときに「どうしてこんな気持ちになるのか」の意識をはたらかせることが大事。

自分の感情を客観的に見る、「こんな場面を自分はこう受け止めるのだな」がわかると、だから好きと思ったりこれからは避けたいと考えたり、次の行動を決める一つの指針になります。

好きな人からのLINEの返信が遅くて「寂しくなる」自分を知れば、それを解決するために「すぐ返事ができないときはそれだけでも先に伝えてほしい」とお願いすることができますよね。

本心は「寂しい」なのに、「早く返事をするのがマナーでは」「好きならすぐに返信するのでは」と感情を無視した筋を用意してそれを相手にぶつけてしまうと、前向きなコミュニケーションは生まれません。

自分の「感じ方」ではなく「こうするのが正解」のような考え方で気持ちを伝えても、相手はいつまでもこちらの本音や本心がわかりません。

相手の受け止め方は決められないのが現実なら、こちらにできるのは素直に気持ちを伝えていく、感じ方を知ってもらうのが「こうありたい」を叶える最初です。

それが届けば、相手は自分のやり方をこちらがどう感じるかがわかり、「次からこうする」と具体的な解決を考えることができます。

自分の姿を客観的に見る訓練も必要

よかれと思ってやったことが、相手にとってはまったく別の意味となって映ったような事態は、それをする自分にしか焦点を当てておらず、相手の受け取り方を想像していなかった可能性があります。

それをする前に「相手はどう思うだろうか」と一呼吸入れて考えることは、その後の関係を左右する大切な落ち着きだと筆者は感じます。

自分はこうしたい、と衝動に任せて動いても満足するのは自分だけ。相手が混乱してしまえば、溝を生むだけですよね。

それをする自分を客観的に見るには感情を抑える力が必要です。その一呼吸が慎重を呼び、自分も相手も大切にできる行動を考えられます。

人間関係のストレスは、自分の思惑通りに相手が動いてくれないことや、一方的に考えや価値観を押し付けられることから発生します。

それぞれ「こうあってほしい」と願う方向は別で、叶わないときに相手と感情の摩擦が生まれ、ネガティブな言葉のやり取りにつながります。

それをする自分を客観的に見る力は、相手の受け取り方を想像すること、自分の感じ方を正しく伝えるための思考の整理をすることで叶えられます。

感情を堪えるのは簡単ではなく、また好意的な思いを持つときほどそれを知ってほしい気持ちが優先して動きたくなりますが、どんなときも相手の受け取り方はこちらで決められない現実を、忘れてはいけません。

相手の反応をあらかじめ期待して動くことは、逆になれば自分もプレッシャーを感じるように、スムーズな受け取り方が難しくなります。

また、感情を堪えることと「我慢する」は違います。

我慢は素直な気持ちを抑圧して相手の有り様に従うことですが、「感情を堪える」はその次に自分の思いをまっすぐ伝える行動があります。

本音や本心をしっかりと掴むには、堪えたうえで考える力が欠かせません。

自分の姿を客観的に見る訓練を積んでいくのは、相手を尊重する姿勢も同時に育てることではないでしょうか。

自分を知れば境界線を引ける

好きな人でも、身近な家族や友人でも、心の距離が近い人には甘えが出て「こう受け止めてほしい」という願いが強くなります。

相手からそんな寄りかかり方をされることもあり、関係のバランスが崩れると居心地のよさは生まれません。

人間関係のストレスは、相手と対等でない自分を実感したときに強くなります。

そんなときも、まずは自分の感じ方を知り「何がうれしいか」「何がイヤなのか」を把握しましょう。

「自分はこう思うから、こうしてほしい」と伝えていく姿勢が、相手との間に境界線を引きます。

線を引くという言い方は冷たく感じるかもしれませんが、違う人間同士なら何もかもがぴったりと寄り添うなんてことは不可能で、すべてが同じではなく「違っていて当然」を受け入れる在り方です。

線を引くことで相手を拒絶するのではなく、「私はこう思うけれど、あなたはどう?」と確認する言葉が尊重になります。

お互いの違いを知り、そこを埋めるために歩み寄る余地を作るのが境界線。

健全な境界線には「同じでなければ正解ではない」のような窮屈さがなく、「それぞれの正解を理解しあう」余裕があります。

隙間があるから向き合ったときに相手の目の色を知れるのであって、癒着のように心が貼り付いた状態では、それぞれの姿をまともに掴むことはできないですよね。

自分の感じ方があるのと等しく、相手には相手の思いがある。それを受け入れる器があれば、すれ違いや衝突が起こったときも「まずは相手を理解する」気持ちを忘れません。

自分を知ると同時に「どう思う?」と相手の気持ちも知る姿勢が、愛情と信頼を大きくしていきます。

人との衝突が絶えない、身近な人ほど問題を起こしてしまうという人を見ていると、自分の感じ方を正しく伝えることができていない、と思う瞬間が多々あります。

そもそも「自分はどう在りたいのか」を掴んでいないため、相手とスムーズな気持ちのやり取りが叶わないのですね。

ストレスを減らすのは、相手の在り方ではなく自分の伝え方を考えるのが最初。

「自分はどう感じるか」を客観的に見ていくことで、本心を届ける言葉が生まれます。

(mimot.(ミモット)/ 弘田 香)

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