[食の履歴書]柳憂怜さん(俳優)偏食激しい少年時代 克服し国産食材派に

子どもの頃の食の記憶を思い出してみたんですが、あまりいいものはないんですね。

僕が住んでいたアパートの1階に、喫茶店と中華料理屋が入っていたんですよ。そこの中華料理屋のギョーザが非常においしくて、行くたびに2皿か3皿食べていました。小学生の頃の僕は偏食で、おいしいと思ったものはずっと食べ続けていたんです。1週間だったか2週間だったか連続して毎日食べたら、最後は鼻血が出ました。ギョーザを食べてる最中に血がポタポタッと落ちてきて。親から食べ過ぎだと言われ、それでちょっと節制するようになりました。

田舎でしたから、外食する店なんてそんなに無かったんです。喫茶店か中華料理屋か焼き肉屋くらい。

父親は焼き肉が好きでした。でも僕は子どもの頃、肉があまり好きじゃなかったんですよ。

うちは月に1回、家族で外食をしました。父親は仕事が忙しく、普段はあまり接する機会がなかったんです。そういうこともあって、家族との外食を楽しみにしていたようです。でもそれが焼き肉屋で……。

一人っ子の僕は、月に1回の楽しみの場を壊したくないと思ったんですね。一応、そういう気を使う子どもでした。普段、父親とあまり話すこともなかったので、余計そう感じたんでしょう。本音を言えず、一生懸命我慢して食べていました。だから父親は、僕が肉嫌いだと知らなかったと思います。

僕は好き嫌いが激しかったし、食は細い。しかも食べるのが遅かったので、給食の時間が嫌でしたね。牛乳も嫌いだったし。

でも、お調子者の小学生だったから、牛乳が嫌いで飲まない子がいると「おお、俺が飲む」とその子の牛乳をもらって飲んだんです。好きでもないのに2本も3本も飲んだ。目立ちたい!受け狙いのためなら嫌いな牛乳でも飲んでみせる。そんなガキでした。おかげでいつの間にか牛乳が好きになりましたけど。

今では好き嫌いもなくなりましたが、仕事の現場に入ると、おなかがすきませんね。緊張だと思います。やらなきゃいけないこと、考えなきゃいけないことがあると、食事をしようという気になれないんですね。頭の中は、役のイメージだったりセリフだったりで、もういっぱいいっぱい。食事に意識がいかないという感じです。不安なんですね。40年やってもまだ慣れません。

食については、こんな思い出しかないんです……。

これまでで一番おいしかった料理ですか? うちの奥さん(女優の川田あつ子さん)に初めて作ってもらったロールキャベツ。おいしくて、調子にのって3杯お代わりをしたんですよ。もう25年くらい前のことですが、今でも奥さんには「初めて家に来て、3杯もお代わりする。そんなずうずうしいやつはいないよ」と言われます。

5年くらい前“事件”が起きました。ロールキャベツをほとんど食べ終わって、最後のを持ち上げたら、スープの中に白いものが浮いてたんですよ。よく見たら芋虫でした。たぶんキャベツの中にいたんですね。そのビジュアルがすごくて、見た瞬間、戦慄(せんりつ)が走りました。

それ以来、うちの食卓にはロールキャベツは出ていません。奥さんの中でメニューから削除したみたい。でも虫が食べるということは、農薬を使っていないおいしいキャベツだからでしょう。

僕は国産の食材が一番だと思っています。それを食べることは、最高のぜいたく。例えば僕にとって理想の朝食は、炊きたてのご飯、みそ汁、焼き魚、のり、漬物で、食材すべて国産。そういう考えですから、芋虫が食べるキャベツは素晴らしいと思うんです。 (聞き手・菊地武顕)

やなぎ・ゆうれい 1963年、広島県生まれ。83年、ビートたけし氏に師事。柳ユーレイ名義でテレビを主に芸能活動を始める。北野武監督作「3―4X10月」にて映画デビュー。同監督作品「アキレスと亀」公開時、監督のアドバイスにより改名。出演映画「人生に詰んだ元アイドルは、赤の他人のおっさんと住む選択をした」が全国公開中。主演映画「そして、優子II」をはじめ数作品が公開待機中。

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