“人々の生き方”を可視化する「計量社会学」の活用と展望、人工知能との共生~同志社大学 文化情報学部~同志社大学 文化情報学部 連載コラム第3回

「皆さんは、生まれ変わっても今の性別のままでと思いますか。それとも異性に生まれ変わりたいですか?」文化情報学部の鄭教授が投げたこの質問は1953年から続く“日本人の国民性調査”の項目の一つだ。データを見ると、ここ50年頃から回答の状況に変化が生じている。“男に生まれ変わりたい”と答える女性の割合が、当初の7割から年々減少し、最新の調査では3割に逆転した。女性の社会進出の影響だと誰もが答えるだろう。では、実感として日本は女性が本当に活躍できる・生きやすい社会になっているのか。鄭教授は疑問を投げかける。「賃金格差、夫婦別姓問題など、まだまだ改善を指摘される部分が多いのが現状です。回答者の年齢層、居住地域、職業など数字化できないデータを分析しながら、回答の“パターン”を見つけることが計量社会学の役割です。」

人間社会を分析し、より良くするための助けとなる計量社会学とはどのような学問なのか。今後ますます需要が見込まれるデータサイエンスについて、鄭教授に話を聞いた。

確かなデータと分析が「こころ」を捉える

「解決するべき社会問題があったとして、個人の主観的な判断では多岐にわたる諸問題を客観的に読み解くことはできません。データをもとにした科学的な検証が求められます。私が取り組んでいる計量社会学は人間社会の仕組み、人々の意識、さらに行動様式をデータにより捉え、社会における物事の関連性、因果関係あるいは内部構造などを量的に探索する方法の開発と、それに基づいた実証的な研究を行う学問です」と鄭教授は語る。

では、実際に計量社会学が用いられるのはどのような場面なのか。鄭教授が挙げたのは「宗教」のデータを使ったマーケティングの例だ。企業が海外事業を展開する際に、現地の宗教と信仰者の割合などを調査する。得られるデータは宗教観による性差であったり、消費行動であったりを読み解く客観的・科学的な根拠となる。「日本で成功した運営システムがそのまま海外で受け入れられるとは限りません。では、なにをもってマーケティングを展開するべきですか。宗教観だけでなく、性別や世代でも変わってきます。品質重視なのか、デザインが大切なのか、データをもとに企業の戦略を練っていくんです」。人々のフィーリングに訴えるためには、ロジカルな切り口を見つける必要がある。まさに「文理融合」を掲げる文化情報学部らしい学問だと言える。

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図1 アジア太平洋地域の宗教信仰事情[/caption]

環境問題の国際比較から見えた日本人の性格

もともとの専門分野は森林科学であった鄭教授が、計量社会学に至った経緯をこう語る。「“森林社会学”という考え方があります。森は一本一本の木から成り、木々には個体差があり、競り合います。個を測定して、集団である森を読み解くという発想は、人間社会の分析と全く同じです。人間社会は森林社会に生かされてきました。また、人間も木材資源のための森林を管理したり、育成したりしてきました。今、森林と人間の相互関係が崩れ、環境問題への対策が急がれています。その根底には、人間の活動があります。気候変動、自然破壊、そういった問題を少しでも改善させるためには、人々の生き方を分析して見直さなければいけないと考えています」。

環境問題を対象にすると、世界各国の取り組みが研究データとして集まってくる。自ずと国際比較の考察へと展開が進んでいく。鄭教授が取り上げたのは、環境先進国・ドイツの例だ。ドイツでは子どもたちが学校や地域の中での木工体験などを通して自然環境と人間生活の関わりを学んでいく。彼らが大人になっても、日常生活の中に自然を大切にする行動が伴ってくるのだという。では、こういったデータを参考に、日本の学校教育を改革すれば問題を解決するのではないか。そう単純ではないのが人間社会の面白さだ。

「ドイツと同じことをすれば日本も環境先進国になれるのでしょうか。残念ながら、次にぶつかるのが“国民性”の壁です。ほとんどの日本人が環境問題をどうにかしなければと考えているというデータがあります。しかし、実際に生活の中で対策や工夫をしていると答える人はその三分の一にもならないんです。この理由を一言で説明するのは難しいですが、その1つはそれぞれが利己的な思考をするからと言っても過言ではありません。つまり「自分一人が動いてもなにも変わらないし、みんながしていないのだから自分だけ頑張るなんていやです」という意識の現れだと考えています」。

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図2 日本人の環境への関心度と環境保全行動の現状[/caption]

鄭教授がデータから読み解いた日本人の国民性は、本音と建前という日本の特有の文化につながっていく。日本人の“曖昧さを美徳とする姿勢”が、問題に取り組むスピードを下げているのだと指摘する。「日本人にもそれぞれの中で明確な答えはあるんです。ただ、周りの様子を伺って行動するので、結果、行動が遅くなります。空気を読んでいるうちにその問題が風化してしまったり、施策を打ち出したときには的外れになっていたりするんです。皆さんにも心当たりがあるはずです」。

統計データの収集・分析により、日本人の国民性を理解した上で、日本人に合った仕組みを作っていくことが重要だ。鄭教授の見解では、日本人は強制されるよりも大多数を動かして、個人に働きかけていく手法が有効だという。たとえば、日常の様々な場面で環境にやさしい行動ができ、それを実感して自分自身の満足感が得られるような施設設備を整えていくと行動者が増えるだろう。具体的に呼びかけるよりも、自然と誘導させる方法が望ましいと鄭教授は考えている。ゴミの分別などをとっても、まだまだ改善の余地はありそうだ。私たちが日頃からなんとなく感じていることが、データによる裏付けで確信へと変わっていく。

→様々な分野と掛け合わせられるデータサイエンスの魅力

様々な分野と掛け合わせられるデータサイエンスの魅力

鄭教授のゼミで学生たちが取り組むテーマは多岐にわたる。メーカーに就職した卒業生は、消費者が食品を選ぶ際の決定的な要素について研究した。現在のトレンドでもあり、社会問題にもなりつつある地方移住を取り上げた学生は、地元住民と移住者の意識と行動の違いを調査し、両者がどのように共生していけるかを考察している。卒業生の就職先はメーカー、金融機関、コンサルタント、公務員などが多いが、データを扱う能力を活かしてIT関係に進む学生も増えている。どのようなキャリアに就くとしても、統計を読む力は武器になると鄭教授は考える。

「文化情報学部は文理融合を掲げて2005年に開設されました。統計学だけでなく、他の分野に関心があることがこの学びに意義を与えます。私の場合はそれが環境問題です。他分野同士のかけあわせがこの学問の魅力です。自分は文系だから、と頭ごなしに拒否をしていては、新しい扉は開かないのです。理系文系は学びのアプローチが違うだけで、実は思考に大きなギャップがないということを伝えています」。

人工知能に支配させない、これからの情報のあり方

現在、計量社会学は大きな変化の渦中にある。人工知能という新たな“文化”に影響されたデータの揺らぎが深刻な問題となっているのだ。近年多くの企業が実施するインターネットでのアンケート調査だが、回答報酬を目当てにしたAIによる回答が増えてきていると報告されている。今後はこれら信憑性の低い情報のさらなる氾濫に対応できる人材が各所で求められる。

鄭教授らはこのような急速に変化している社会環境に適応した社会調査の企画・設計及びデータ収集の諸方法を科学的に考案するとともに、データサイエンスの視点から調査データの特有の性質に対応する統計解析方法を開発している。「回答者だけが問題なのではありません。最初から設問が間違っていれば、正しいデータは集まりません。対象者の選定や回答の選択肢作成に主観、つまりバイアスがかかっていることを「調査バイアス」と呼びます。これを回避するための対象者の抽出方法や、各種の調査モードの実践的検証を主に行っています。それと同時に社会現象に関する質的データ(四則演算には意味がないデータ)の関連、類型、内部構造などの解明を目的とする分析方法を開発しています」。

文化は人間の営みの中で作られてきたものであり、社会現象の中で文化以外のものが存在するかは明確ではないと鄭教授は考える。人間社会が繰り返される中で消える文化もあるのだから、それらを情報というデータに残す意義はあるだろう。これからのデータサイエンスは、人工知能という新たな文化とも上手く付き合っていかなければならない。AIを効率的に取り入れながらも、膨大なデータの中から的確に情報を抽出するための目が必要となる。文化情報学部が輩出する総合的視点を持った人たちがその一翼を担うことを大いに期待したい。

同志社大学 文化情報学部 計量社会学研究室

鄭 躍軍教授

1995年に東京大学大学院農学生命科学研究科博士課程修了後、統計数理研究所助手、総合地球環境学研究所准教授などを経て、2009年より現職。森林の収量予測や成長管理などを扱う森林科学の研究から発展し、現在は統計学を用いた人間社会とそれに影響される環境問題の幅広い研究を行う。

同志社大学 文化情報学部 連載コラム

第1回 言語コミュニケーションのメカニズムを探り、人と自然に話せるコンピュータを研究開発

https://univ-journal.jp/column/2023232766/

第2回 デジタル・ヒストリー、歴史への新たな視座に向けて 〜同志社大学「総合知」の創出〜

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