ビワ農家に2人で転職 長崎の西島さん 「物好き夫婦」を地域が応援 厳しい現実も、産地守る奮闘

収穫したビワを箱詰めして出荷する西島純一郎さん(右)と純子さん=長崎市千々町

 ビワ農家にそろって転職した夫妻が特産地の長崎県長崎市千々町にいる。昨年6月から1年間の研修と並行して園地を購入。寒害の洗礼を受けたが、地域の農家に支えられながら今年5月、出荷までこぎ着けた。「苦労して作ったビワは今までで一番おいしかった。日本一の産地を次の世代へつなげたい」と奮闘している。
 国土交通省職員だった西島純一郎さん(51)は雲仙復興事務所(島原市)に約10年間勤務。火山灰に埋もれた土地に砂防ダムができ、再び畑が広がっていく様子を見てきた。そこで葉タバコやホウレンソウ、ダイコンなどを作る農家と知り合った。何もない場所から丹精込めて育てる姿に憧れた。「みんな笑顔がすてきだった。こういう人生っていいなと思った」。2021年の同事務所の閉所を機に転職を決めた。
 金融機関に勤めていた妻純子さん(49)も農業に興味を持っていた。「何かするなら体力があるうちにやりたいね」。夫妻で話し合い、退職した。

■研修と実践
 昨年6月から県の新規就農技術習得研修を受けた。2カ月の基礎研修を経て、受け入れ農家を探す際、約15年前に収穫を手伝ったビワ農家との縁を頼った。長崎市茂木町のベテラン生産者、峰庄吉さん(66)を紹介され、東長崎地区の自宅から通い始めた。
 県によると、本県のビワ農家数は20年度で542経営体。10年前は988経営体あったが、高齢化や後継者不足で約4割減。規模縮小に悩む産地にとって、西島夫妻は貴重な存在だ。
 樹の成長を待つ間は十分な収益を得られない。JA長崎せいひ長崎びわ部会の濵口理(おさむ)前部会長(73)から「早いうちに自分の園地を持った方がいい」と助言を受け、千々町の耕作放棄地を退職金で購入した。4500平方メートルの作業小屋付きで、道具も一式そろっていた。橘湾を挟み雲仙岳を望める景色も気に入った。
 昨年8月、畑の手入れから始めた。夏場の炎天下で「4~5キロやせながら」(純一郎さん)、伸び放題の雑草を刈った。実習先で学んだ剪定(せんてい)や芽かきなどの管理法を自園でも実践。次第に「修業しよる物好きな夫婦がおる」と評判に。困った時は周囲の「師匠たち」を頼った。近くの園や北浦町の簡易ハウスも借り受け、計3カ所約8千平方メートルに広げた。

■豊かな人生
 されど現実は甘くない。寒害にさらされ、簡易ハウスがまだ足りないと痛感。収穫のタイミングが判別できず、4割が熟れすぎて廃棄せざるを得なかった。箱詰めの人手も「いつ何人必要か」の判断が難しかった。1年目の収穫は530キロで目標の800キロに届かず、初期投資もかさんで赤字だった。
 こうした失敗や反省を糧に成長していると思う。収穫時期が異なる、かんきつ類の栽培にも挑戦しようと考えている。5月、畑近くの古民家を買って、本腰を入れた。お裾分けの野菜をもらうなど近所付き合いも良好だ。
 夫妻は「今までよりも豊かな人生になった。私たちの姿を見て、ビワを育てたいと思う人が増えてくれたらうれしい」と屈託なく笑う。「師匠たち」が築いてきた日本一の産地を引き継ぐ気概もある。初心を忘れないように雲仙岳を眺めながら。

晴れた日は畑から雲仙岳を望める(西島さん提供)

© 株式会社長崎新聞社