【訃報】二輪、四輪のホンダワークスで活躍した高武富久美が死去。享年78

 1960〜1980年代にかけての二輪、四輪レースでホンダワークスライダー/ドライバーとして活躍した元レーシングドライバーの高武富久美が78歳で亡くなった。タレントの橋本志穂さんが11月6日に自身のSNSで伝えている。

 1944年12月3日に福岡県で生まれた高武は、当時同じ福岡県でバイクショップを経営していた、現在のヨシムラジャパン創業者である吉村秀雄と出会いロードレースデビューを果たす。

 その後19歳でホンダ契約ライダーになると、1965年に当時の本田技研工業のレース部門『RSC(レーシング・サービス・センター/現HRC)』の第一期生として四輪レースにも参戦を開始。1969年には鈴鹿1000kmレースを制し、FJ1300では長谷見昌弘や星野一義らとトップ争いを繰り広げた。

1976年『鈴鹿グレート20ドライバーズレース』での高武富久美(ノバ513無限)

 1987年にホンダワークスライダー/ドライバーとしてのキャリアを終えた高武は、若手ライダーを育成するために『Team高武』を立ち上げ、宇川徹、柳川明、加藤大治郎、玉田誠、中冨伸一、清成龍一、徳留和樹、森脇尚護といったライダーたちを輩出してきた。

 そんな高武の訃報を、叔父の関係である橋本さんが11月6日に自身のSNSで伝えた。「大好きだった冨久美おじさんが天国へ─」と綴った橋本さんのSNS全文は以下のとおり。

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Wikipediaでも検索できる自慢のおじさん
大好きだった冨久美おじさんが天国へ─。
兄弟姉妹の多い父ですが、上はみんな上↑の世界に行ってしまいました。
たったひとりの弟も先立ち、とうとう父ひとりになってしまいました。

訃報が届いた時、『父になんて伝えよう』と悩みました。

でも、少し認知が進んでいることが幸いして、自分の弟が召されたことを深刻に受け止めていないようでした。

一瞬、涙ぐみましたが『誰が亡くなったとや?』と聞いて、『あぁ、そうか』と条件反射的に返事するものの、また1分もたたないうちに『そんで誰が亡くなったとや?』と聞いてくる。

受け入れたくない気持ちの表れなのかもしれませんが、娘としてはきょうだいみんな居なくなってガクっと落ち込むのが心配だったので、少しホっとしました。

昨日の通夜には兄と妹も付き添ってくれたようで、なおさら心強かったでしょう。今日の葬儀は後妻のヒロコさんだけが父を支えてくれてたようです。連日、報告もくださって本当に感謝です。

おじは、元オートレーサーで、ホンダと契約して二輪と四輪で活躍し、熊本にteam高武を作りました。

wikiによると、手のつけられない不良だったと書いてありますが、私が知ってるおじさんは有名人で、スポーツカーに乗せてくれるし、お年玉もたくさんくれる、笑顔が優しいおじさんで、幼少期の私の初恋の相手でした。お正月におじさんに会えるのがドキドキワクワクでした。

高校時代は、部活の練習コースにおじのバイクショップがあり、ちょくちょく顔を出してはおじさんに甘えていたと思います。大学に入学が決まったら、お祝いに〜と原付バイクをプレゼントしてくれました。部活でバイク禁止でしたけどこっそり内緒で乗って行ったこともあります。

体育の授業でゴルフを専攻したときは道具など買うお金がない私に奥様が使っていたクラブを〜とフルセット譲ってくれました。そのおかげもあって、左利きの私ですがゴルフは右! なのです。

どんなときも優しくて力になってくれたおじさん。最後に会えなかったのが悲しいけど、、おじさんの逝去でまたいとこたちが連絡取り合い、つながりを深めました。

いとこたちはときどき父の元を訪ねて一緒にお酒を飲み、手作り料理を振る舞ってくれたり〜と本当に感謝です。

福岡は近いけどこんなときには遠く感じます。

父が、弟であるおじの分も元気で長生きしてくれますように─。元介護士のヒロコさんが居てくれるおかげで、まだまだ長生きしてくれるよね!

おじちゃん、いろいろありがとう。あちらでまたたくさん走ってくださいね!! 私の三輪も見て欲しかったな。

1978年『鈴鹿500マイル自動車レース』で高武富久美が駆った明和シビック

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