「高岡発ニッポン再興」その108 トップ自ら住民に引っ越しをお願い

出町譲(高岡市議会議員・作家)

【まとめ】

・高岡市は「コンパクト・アンド・ネットワーク」を打ち出している。

・交通機関を整備し、広がりすぎた郊外に住む人を中心部に誘導するもの。

・鈴木直道夕張市長は、住民を粘り強く説得し12棟の市営住宅を6棟に集約した。

私が高岡市議会議員になって2年、高岡市に絶えず訴えてきたのは、住民への丁寧な説明です。民主主義はプロセスが大事なのです。時間がかかっても、住民の皆様に納得してもらう努力をしなければなりません。高岡市では時に、過程をすっ飛ばします。例えば空き校舎問題。結論ありきで、住民に突きつけたりしました。

対話の重要性を教えてくれたのは、鈴木直道さんです。夕張市長に就任して以来、熱心に取り組んだのはコンパクトシティー構想でした。

「人口が減ったのに、町の景色はかつてのままでした。町をダウンサイズする必要があったのです。しかし、将来的には住めないところを指定する作業です。自分の住んでいる地域の将来性を否定されると、住民たちは反発するのです」。

コンパクトシティー構想は、全国各地で取り組みが始まっています。それはつまるところ、中心部の活性化です。交通機関を整備し、広がりすぎた郊外に住む人を中心部に誘導するものです。高岡市も「コンパクト・アンド・ネットワーク」を打ち出しています。しかし、夕張市は、それをはるかに踏み込みました。行政が切り捨てる場所を選んだのです。もちろん破たんした市だから実現できた面もありますが、それでも市長の強い意志がないと、進みません。住民の反発は必至だからです。

夕張市は炭鉱で栄え、1960年のピーク時には人口が12万人でした。多くの映画館があり、百貨店は賑わったのです。しかし、炭鉱閉山で人口が急減しました。

旧炭鉱ごとに集落がありますが、ある集落では、かつて5000人いましたが、150人ほどに減少しました。

集落にある市営住宅は元々、炭鉱会社の社員寮でしたが、閉山後、市が引き取りました。そこに住んでいるのは、炭鉱で働いていた人たちです。7割が空いているガラガラの状態です。それでも維持管理費を負担しなければならないのは、市なのです。

集約化は不可欠です。市は風呂のない12棟の市営住宅を6棟に集約する計画を打ち出しました。つまり、住民に引っ越してもらう政策です。政策的に6棟を空き家にしました。しかし、財政の論理で、強引に引越しさせる権限は、政治にも行政にもありません。粘り強い説得が大事となります。市の担当職員は2012年9月から、手分けして戸別訪問し説明しました。想定通り強い反発が出ました。

「当初はすべてのことで住民と衝突しました。住民は総論賛成、各論反対だったのです。人口が減少していることから、住宅を集約する必要がある。そんな総論については賛成してくれます。しかし、いざ自分が引っ越しという各論になると、話は別なのです。思い出の詰まった部屋から離れるのは嫌だという声が出てくるのです」。

途中から、鈴木は自ら現場に出向き、説明しました。しかし、住民の中からは、「亡くなったおじいちゃんとの思い出がある」「子どもの身長を測った柱の傷がある」などという声も出る。交渉にはじっくり長い時間をかけたのです。

市の担当職員は、一人一人に丁寧に説明しました。少しずつ事態は動き出します。翌13年から引っ越しが始まり、14年には集約が完了したのです。

行政が一軒一軒に説明して引っ越してもらう。大変な作業です。しかし、民主主義の原点は、対話なのです。

トップ写真:夕張市の中心街(執筆者提供)

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