日本代表「歴代最高のアウェイユニフォーム」5選

今月から始まる2026年FIFAワールドカップ・アジア2次予選。日本代表は16日にホームでミャンマーと、21日に中立地のサウジアラビアでシリアとそれぞれ対戦する。

ここからはW杯出場をかけて敵地でも真剣勝負の連続となる。そこで、日本代表“SMAURAI BLUE”が敵地で着るアウェイユニフォームから歴代最高の5着を選んでみた。

2004モデル

日本代表 2004 adidas アウェイ ユニフォーム

2006年ドイツW杯予選などで使用したユニフォーム。シャドーで走らせるペンシルストライプがさり気なくオシャレだ。

デザインのコンセプトは「大地と稲穂」。ホワイトに近いベージュ系の色はそれまでの代表ユニフォームには無かったもので、新しい風を吹き込んだ一着となった。

このユニフォームは2004年4月に敵地プラハで行われたチェコ代表戦でお披露目に。試合は久保竜彦のダイナミックなシュートを突き刺して日本が1-0で勝利した。

その1か月後にはマンチェスターでイングランド代表とも対戦。マイケル・オーウェンに先制点を奪われるも小野伸二のゴールで同点に追い付き、1-1で引き分けている。

2001モデル

日本代表 2001 adidas アウェイ ユニフォーム

当時のadidasらしいデザインで、白・赤・青のコントラストがシンプルながらも美しいユニフォーム。

フランス、スペインとの強豪2連戦から使用を開始し、2002年日韓W杯のプレ大会として開催されたコンフェデレーションズカップでも着用。使用期間は約1年間と短めながらも濃密な時間を過ごしたユニフォームだった。

このアウェイユニフォームのデビュー戦は、敵地でフランスに0-5で大敗したサンドニの悲劇。ぬかるんだピッチコンディションに日本代表選手は苦戦するなか、中田英寿だけは“いつも通り”に戦う姿が強く印象に残る。

フランス戦から1か月後の4月25日にはアウェイでスペインと対戦。この試合も日本が0-1で敗れている。

2018モデル

日本代表 adidas 2018 アウェイ ユニフォーム

2018年ロシアW杯に向けて投入したアウェイユニフォームで、他の主要なadidas契約国と同様に懐かしいテイストのデザインが登場した。

だがロシアW杯では全試合でホームを着用したため出番なし。さらには翌年開催のアジアカップ2019でも使われなかったため、W杯モデルとして発表されたにもかかわらず印象は少し薄い。

当時adidasは90年代のユニフォームデザインの想起させる“でかロゴ”を復活させ、このユニフォームでも左肩に薄っすらとストライプ柄で落とし込んでいる。

最近の90年代レトロブームの始まりとも言える“でかろご”ユニフォーム。このデザインに対しては想像以上に好意的な評価が目立った。

1993モデル

日本代表 1993 Puma アウェイ ユニフォーム

通称「ドーハモデル」と呼ばれるユニフォーム。三浦知良、中山雅史といった当時の代表の象徴的な選手はもちろん、森保一・現日本代表監督も選手として袖を通している。

かの有名な「ドーハの悲劇」イラク戦では青のホームユニフォームを着ていたが、一度見たら忘れない個性的なデザインはホーム・アウェイ関係なく悲劇の記憶がよみがえる。

この時代は現在のようなadidasとの単独契約前で、asics、Pumaを含めた3社が持ち回りでサプライヤーを担当していた。

90年代を強く感させるグラフィックは、エンブレムに描かれている八咫烏(ヤタガラス)の羽をモチーフにしたもの。日本代表史上初のオリジナルデザインによるユニフォームだった。

2012モデル

日本代表 2012 adidas アウェイ ユニフォーム

白を基調に濃紺(正式な色名はジャパンDブルー)を組み合わせたアウェイユニフォーム。主に2014年ブラジルW杯予選などで使用した。

ホームは前面に1本線をあしらったデザインが賛否両論となったが、このアウェイは比較的好評。前面に荒々しい毛筆タッチでブルーの八咫烏(ヤタガラス)を描く。

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2001年のトルシエジャパン時代に0-5で大敗した苦い記憶が残るスタッド・ド・フランスで、このユニフォームを着て11年後にフランスと再戦。試合終了間際の88分に電光石火のカウンターから香川真司が得点し、試合は日本が1-0で勝利した。

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