戦火忘れぬ、最後の絵筆 90歳“証言”集大成

 米軍による爆撃で市民の半数が被災したとされる横浜大空襲から、29日で71年。19歳のときに空襲を体験した横浜市戸塚区の増田成之さん(90)が、猛炎に包まれた「横浜三塔」の姿を油彩画で再現した。10年以上にわたり戦争の記憶を描き続けるも、老いに逆らえず創作活動を一時休止。だが、忍び寄る戦争の足音に危機感を覚え、再び絵筆を取った。「私の最後の作品。自分が生きた証しにしたい」。平和の願いを込めた集大成が、30日から展示される。

 青空が広がっていた1945年5月29日朝、上空をかすめる無数の米軍B29爆撃機が投下した焼夷(しょうい)弾が横浜を焼き尽くし、真っ黒な煙で空が暗くなった。その光景を思い出しながら描いた作品のタイトルは「ヨコハマ炎上」。横浜三塔と呼ばれる県庁本庁舎、横浜税関、横浜市開港記念会館に火炎が迫り、黒煙が空を覆う。

 「焼け野原の向こうに三つの塔が見えたことが、今も忘れられない。全てを失った横浜の姿を描くことで、戦争の悲惨さを伝えたかった」 あの日、鶴見区にいた増田さんは、火の海を越えて自宅のある西区戸部町に向かった。その道中のいたるところで、性別が分からないほど丸焦げになった無数の遺体を目にした。「道端に遺体が転がっていても、何も感じなくなっていた。戦争は感覚をまひさせる」 子どものころから絵が得意で、趣味で何枚も描いてきた。横浜大空襲をテーマに据えて作品を描き始めたのは79歳のとき。戦争の記憶が薄れてきた社会に危機感を覚え、まぶたに焼き付いた惨状をキャンバスに重ねてきた。年に1度の展示に向け、これまで15点ほどを描いたが、2年前から体力の衰えを感じ、新作への着手は見合わせていた。

 だが、特定秘密保護法や集団的自衛権の行使を認めた安全保障関連法が成立するなど、「戦争の足音が近づいている」と実感する今、90歳を迎えた節目に再び制作に挑むことを決断。居間にキャンバスを据え、休み休み絵筆を走らせた。以前は1カ月ほどだった制作期間は4カ月になった。

 完成した作品は、横浜駅西口のかながわ県民センターで開催中の「平和のための戦争展inよこはま」で展示され、後世に残すべき“証言”として紹介される。

 「横浜大空襲を知る世代がこの世からいなくなっても、私の残した作品が戦争の悲惨さを世に訴え続けてほしい」◇ 「平和のための戦争展inよこはま」の展示企画は、30日から6月1日まで。各日午前10時(30日は午後1時)から午後7時(1日は午後6時)までで、入場無料。29日には脚本家のジェームス三木さんの講演、横浜市立日吉台中学校演劇部の朗読劇などが行われる(資料代500円)。

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