“輝き”を封印した稲垣吾郎と新垣結衣、二人の“核”が微かな光をもたらす『正欲』 考えることを放棄しない、観る前には戻れない衝撃作

『正欲』東京国際映画祭 ©2023 TIFF 撮影:石津文子

”普通”に擬態して息を潜めるように生きる

自分の欲望は、誰かの欲望とは違う。当たり前のようで、見過ごされがちなことだ。映画『正欲』の中で、新垣結衣が演じる桐生夏月は寝具店に勤めているが、その理由は「睡眠欲は裏切らないから」というもの。この指摘にハッとした。ある事象に性的な欲望を感じる彼女は、世の中の大多数の人とは同じ感覚を共有できず、”普通”に擬態して息を潜めるように生きている。

人間の三大欲求は、食欲、性欲、睡眠欲だというが、夏月は行きつけの回転寿司はあるものの、美味しそうに食べない。それは明日も生きていたい、という欲求がないからだということがわかってくる。この寿司を注文して食べる時の、新垣結衣の曇ったような目、表情、声が、素晴らしい。ずっと「地球に留学しているような感覚」で生きてきた彼女にとって、睡眠だけが地球人と共有できる欲望なのだろう。

一方で、普通を是とするマジョリティに属している人間にも、揺らぎが生じる。その象徴が、稲垣吾郎が演じる検事の寺井啓喜だ。正しさを重んじる彼は、息子の不登校に悩み、妻と衝突する。

「(Ab)normal Desire」という英語題名を象徴するこの二人に加え、同窓会で夏月と再会する佳道(磯村勇斗)、学園祭でダイバーシティ・フェスを開催しようとする八重子(東野絢香)とダンスサークルの大也(佐藤寛太)が中心となって話が進む。

「欲望を理解できる相手とつながり合える」という奇跡

21世紀になって多様性、ダイバーシティという言葉をよく耳にするようになったが、その言葉に潜む欺瞞を炙り出した、朝井リョウのベストセラー小説が原作だ。『あゝ、荒野』(2017年)の岸善幸が映画化した『正欲』は、現時点での今年の日本映画を代表する1本だと思う。第36回東京国際映画祭で、監督賞と観客賞の二冠を達成したのは喜ばしい。

夏月と佳道、そして大也が味わうのは、マイノリティの中にもさらに多数派と少数派がある、という、ずっと鏡の中の鏡のように続いていく、無間地獄だ。

夏月と佳道は久しぶりに再会し、共通の欲望を抱えていることを確認し合う。お互いへの欲望はないものの、それを理解できる相手とつながり合える。それは奇跡だ。

自分はどこにも属さない、何者ともつながれないという、彼女の不機嫌を繊細に表現する新垣結衣は、今までとは全く違う姿であり、同時に、実はいつもこうした不安を抱えている人なのではないかと思わせる見事さだ。

“普通の人の狂気”を垣間見せる稲垣吾郎の名演

欲望に、正しい、正しくないの線引きがあるとしたら、それが発露した時に他者を傷つけるか、否かだろう。万引きに興奮を覚えると思われる女性が、欲望を満たすため行動に移して逮捕され、検事の寺井に尋問を受ける。

寺井は窃盗は罪だ、と断じる。もちろん盗まれた側は傷つくわけで、それは正しい。だが同時に、『正欲』とは正しさへの欲でもあり、それが検事の寺井をがんじがらめにし、ユーチューバーになろうとする息子をはじめ、身近な他者である家族を傷つけることにもなる。

その一方で、彼の正しさへの欲求が小さな子供を守ることにもつながる。正義と表裏一体の、普通の人の狂気を一瞬ちらつかせる稲垣吾郎の微妙な演技が見物だ。一見、マイノリティの人々を追い詰める権力者のようであるが、視点を変えれば実は人間としては悪くない。それどころか、誠実で親切な人でもあるゆえ、正しさへの欲望が止まらない。多くの観客の目線を担う存在でありつつ、憎まれ役でもある。

できれば映画を二度、観てほしい。寺井の背骨を支える正しさがぐらつく姿を稲垣は目の動きだけで可視化し、同時に観る側をぐらつかせるものがある。そうした密やかな名演がそれぞれの俳優から発せられ、『正欲』の全編を支えていると言っていい。

「多様性」という言葉からも取りこぼされていく人たち

「誰にもバレないように、無事に死ぬために生きている」
「社会のバグは本当にいるんだよ。これが現実」
「なんで、あくまで自分は理解する側だと思っているんだよ」
「あっていけない感情なんてないから」
「あなたが信じなくても、私たちはここにいます」

――説明セリフではなく、象徴的な言葉の数々が並ぶ。そして、「いなくならないから」という、他者とつながることへの希望も。

映画の終盤、稲垣吾郎と新垣結衣が対峙する場面での視線の交錯は、両者の素晴らしい演技が見られる。新垣結衣が、よくこの役を演じてくれた。稲垣吾郎が、よくこの役を演じてくれた。ついそう言いたくなってしまう。

磯村勇斗が、佐藤寛太が、東野絢香が、岩瀬亮が、宇野祥平が……と全て、この人しかないと思わせるキャスティングが素晴らしい。特に映画初出演の東野絢香は大いなる発見だった(朝ドラ「おちょやん」のみつえだったとは、全く気づかなかった!)。

映画祭のレッドカーペットでは主演の二人があまりに眩しく、心の中で「吾郎ちゃーん! ガッキー!」と叫んでいたのだが、映画の中ではそうした輝きを全く発しない二人が見事だ。それでもやはり、二人の持つ人間としての清潔な核のようなものが、重い物語に、微かな光を与える。

観る前の自分には戻れない、という映画のコピーには嘘はない。ずっと、頭にこびりつくものがある。正常と異常の定義、欲望の定義、何かを定義することに潜む凶暴性。そして、多様性という言葉からも取りこぼされていく人たち……。考えることを放棄しないために、岸善幸はこの映画を作ったのだろう。また長編小説を、大きく構成を変え(原作にある事故も一つ外されている)脚色した港岳彦の脚本、さらに水の青さ、冷たさを感じさせる撮影の美しさも讃えたい。何をおいても観てほしい。

文:石津文子

『正欲』は2023年11月10日(金)より全国ロードショー

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