米国のスパイ法、日本も人ごとではないのに議論されるのは米国民の人権のみ 年末の期限切れ控え政権と議会が攻防【ワシントン報告⑨インテリジェンス】

米メリーランド州にある国家安全保障局(NSA)の紋章(AP=共同)

 米国で捜索令状がなくても外国人の電話やメールの情報を収集できる「外国情報監視法」(FISA=Foreign Intelligence Surveillance Act)702条の期限が年内で切れる。米国にとって「最も重要なインテリジェンスのツールの一つ」(国家安全保障問題担当のサリバン大統領補佐官)とされ、情報機関が有効なスパイ手段として活用してきた。安全保障のため延長を求める政権と、人権侵害を懸念する議会の攻防が続く。外国人の目から見て気になるのは、実際に情報を抜き取られるわれわれ外国人の人権がまるで考慮されていない点だ。(共同通信ワシントン支局長 堀越豊裕)

 ▽「命を救い、国を守る」
 ワシントンのシンクタンクが8月に開いた会合。サイバー軍司令官を兼ねるポール・ナカソネ国家安全保障局(NSA)局長が声を強めた。「702条はわれわれの命を救い、国を守っている」。米国の情報機関というと中央情報局(CIA)を思い浮かべるが、通信傍受を担うNSAこそが、世界最大のインテリジェンス機関と呼ばれてきた。

 「(医療用麻薬フェンタニルの原料となる)中国からの化学物質に関する情報もFISAによってもたらされている」。ナカソネ氏は深刻な社会問題になっているフェンタニルを挙げて身近な関心に引きつけ、法律の意義を強調してみせた。

ポール・ナカソネ米サイバー軍司令官兼国家安全保障局局長=2018年5月(米国家安全保障局提供・共同)

 かつては電話や電波の傍受が中心だったNSAだが、インターネットの爆発的な普及でデータ通信の収集にウエートが移っている。FISAを根拠に電話会社やIT大手から通話履歴や電子メールの送受信内容を強制的に入手してきた。

 702条で得た情報を使える機関はNSA、CIA、連邦捜査局(FBI)、国家テロ対策センター(NCTC)の四つに限定されている。このうちNSAだけが通信業者からの情報収集権限を持ち、CIAとFBIは自分たちが欲しい情報をNSAに依頼せねばならない。NCTCはそうした依頼権限がなく、NSAが集めた情報の検索にとどまる。

米メリーランド州にある国家安全保障局(NSA)(共同)

 ▽ウォーターゲート事件がきっかけ
 日本の場合、憲法で「通信の秘密は、これを侵してはならない」(21条)と明記し、戦前の反省も踏まえ外国に対するスパイ活動には国民感情の上から相当な制限がかかっている。これに対し、米国では外国に対するスパイ活動は国家の安全保障を守る上で当然の業務と考えられてきた。他方、米国人に対する国内の情報収集には極めて敏感だ。議論になるのは合衆国憲法修正4条との兼ね合いである。条文は不合理な捜索や押収を禁じ、令状の必要性を定めている。

2001年9月11日、航空機が突っ込み、炎上するニューヨークの世界貿易センタービル(ロイター=共同)

 ウォーターゲート事件で国内の情報収集が問題視され、1978年にFISAが成立した。さらに2001年の米中枢同時テロ後に702条が新設された。国家の安全保障に関わると判断した場合、特別の裁判所の許可を得た上で、米国外に住む外国人に限って令状がなくても通信内容を収集できることになった。米国人に対する情報収集にはこれまで通り令状がいる。

 702条はあくまで外国人が対象だが、外国人の通話先が米国人だった場合の対応など曖昧な点が多い。702条の期限切れを控え、人権団体の全米市民自由連合(ACLU)は「無秩序に広がった監視に歯止めをかける絶好の機会」と捉え、見直しを呼びかけている。

 ▽ザワヒリ容疑者の所在地特定
 702条に基づき通信傍受の対象になっている個人・団体は、米国家情報長官室の報告書によると、2022年は24万を超える。具体名は明らかにしていない。バイデン大統領の諮問機関がまとめた報告書は「大統領が毎朝受ける情勢報告(デーリーブリーフィング)の59%に702条で得た要素が含まれていた」と意義を強調している。

 情報機関にとっては有効かつ便利な手段であることは疑いがなく、例えば昨年、アフガニスタンの首都カブールに潜伏していた国際テロ組織アルカイダ最高指導者のザワヒリ容疑者の所在も702条に基づく情報収集で突き止めたとされる。

米上院司法委員会で開かれた外国情報監視法702条に関する公聴会=2023年6月、ワシントン(AP=共同)

 NSAが集めた膨大な情報の中には、偶然引っかかってきた米国人の情報が含まれる。例えば調査対象になった外国人2人の電子メールを調べてみたら、米国人について言及していたということもあるだろう。FBIが米国人の情報を不適切に利用していたことが表面化している。米政府の秘密活動を暴いたスノーデン元CIA職員の告発も記憶に新しい。

 6月に開かれた上院司法委員会の公聴会。呼び出された各情報機関の高官が「国家安保において702条の延長ほど重要なことはない」(オルセン司法次官補)と口をそろえる中、与野党議員から「延長した方がいいのは分かるが、人権を保護するための措置が必要」(共和党のグラム委員)と異口同音に苦言が続いた。彼らが気にかけるのは米国人の人権であり、知らぬ間に情報を取られる外国人のプライバシーに配慮した発言はほぼ聞かれなかった。

米上院司法委員会の公聴会で意見を述べるオルセン司法次官補(右)ら=6月、ワシントン(AP=共同)

 ▽人ごとでない日本
 日本も人ごとでない。昨年策定した安保3文書のうち国家安保戦略は「外交・軍事・経済にまたがり幅広く、正確かつ多角的に分析する能力を強化するため、人的情報、公開情報、電波情報、画像情報等、多様な情報源に関する情報収集能力を大幅に強化する」と明記した。早晩、情報収集と人権との関わりが問題になってくる局面が来るだろう。

安保関連3文書を閣議決定し、記者会見する岸田首相=2022年12月、首相官邸

 ワシントン・ポスト紙は8月、中国軍が2020年に日本の防衛ネットワークに不正侵入していたと報じた。702条に基づき判明した内容かもしれない。ナカソネ局長らが急きょ訪日して対策を促したが、いまだに防御は不十分なのだという。

 日本に詳しい元米政府高官は取材に「日本の遅い対応にいら立ってワシントン・ポストに書かせたのではないか」と苦笑した。

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