Jリーグで「背番号11」をエースナンバーにし歴史を作った4名の選手

本日は11月11日。

そこで、Jリーグにおいて「11番」を背負い、チームのエースとして歴史を作った4名の選手を紹介する。

三浦知良

まずは何と言ってもこの人!現在ポルトガル2部のオリヴェイレンセに所属する、カズこと三浦知良。

まだ固定番号制ではなかった1993年のJリーグ初年度から、ヴェルディの11番として大暴れ。記念すべきJリーグの初代MVPに輝いた。

ヴェルディ川崎、京都パープルサンガ、ヴィッセル神戸、横浜FCと、所属したすべてのJクラブで11番のユニフォームを着用。

唯一、シーズン途中にクロアチア・ザグレブから加入した1997シーズンの京都のみ36番をつけていた(※この年も天皇杯は11番)。

佐藤寿人

J1通算得点数は、大久保嘉人、興梠慎三に次ぐ3位の161得点。J2を含めれば歴代最多の220得点を誇る、Jリーグ史上屈指のストライカーだ。

トップ昇格したジェフユナイテッド市原時代から世代別代表の常連だったが芽が出ず。2003年に期限付き移籍したベガルタ仙台で浮上のきっかけを掴んだ。

この時につけていたのが11番で、以降仙台での2年目を経て、2005年に完全移籍したサンフレッチェ広島でも同番号を着用。J1初優勝を達成した2012シーズンには得点王とMVPにも輝いた。

その後も2013年と2015年にリーグを制したほか、2014年の川崎フロンターレ戦で決めたゴールはFIFAプスカシュ賞にノミネートされた。

豊田陽平

2012年にJ1へ初昇格し、以降一度も降格を喫していないサガン鳥栖。そのJ1昇格を決めた2011シーズン、豊田陽平はJ2得点王に輝くなどチームをけん引した。

当時は京都サンガからの期限付き移籍だったが、J1昇格に合わせて完全移籍。ユン・ジョンファン監督のもとサイド攻撃に強みを持つ鳥栖の最強フィニッシャーとして長く活躍した。

実は鳥栖でもJ2時代の2年間は9番を着用。J1へ昇格した2012シーズンからモンテディオ山形時代につけていた11番へ変更している。

いまだに鳥栖のイメージが強い豊田だが、昨季から地元の石川県へ戻りツエーゲン金沢に所属。背番号は19番をつけている。

小林悠

最後は、川崎フロンターレで現在も11番をつける小林悠。

拓殖大学からプロ入りした2010年は24番だったものの、2年目の2011シーズンに11番に変更するといきなり二桁の12ゴールを記録した。

その後は、2013シーズンから3年連続J1得点王を獲得した大久保嘉人をサポートしつつ点取り屋としてのスキルを磨き、鬼木達監督が就任した2017シーズンに大爆発。

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キャプテン就任1年目でクラブを悲願の初タイトルへ導くとともに、自身も得点王とMVPに輝いた。

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