《池上彰解説》世界共通語「コンピューター」もフランスでは通じない? 仏“文化政策”から日本が学ぶべきポイント

フランスでは“文化政策”として「自国語」を大切にしようとしている(zico / PIXTA)

今年開催されたラグビーワールドカップ2023、そして来年のオリンピックの開催地「フランス」。華々しいイベントの舞台として注目を集める一方で、北部のアラスでは10月13日、刃物を持った男が高校に侵入し、教師ら4人を死傷させる事件が発生。この事件を受けて、フランス国内のテロ警戒レベルは最高に引き上げられました。

また今年6月末には、警察官による移民の少年射殺事件が発生し、抗議デモが暴徒化。暴動はフランス全土に拡大しました。暴動の背景には移民が抱く経済格差への不満があったとされ、フランス社会の分断を映し出す事態になりました。

労働者の権利が広く認められ、移民を数多く受け入れるなど世界に冠たる「人権国家」として知られるフランス。そのフランスで今何が起きているのか、そもそもフランスはなぜ「人権国家」となったのか、ジャーナリスト・池上彰氏が歴史から解説します。

(#3に続く/全5回)

※この記事は池上彰氏による書籍『歴史で読み解く!世界情勢のきほん』(ポプラ新書)より一部抜粋・構成しています。

「日本の国語をフランス語にしたら」

第二次世界大戦に敗れて多くの日本国民が意気消沈していた1946年、作家の志賀直哉は、「日本の国語をフランス語にしたらどうか」という提案の文書を発表しました。

「私は此際、日本は思ひ切つて世界中で一番いい言語、一番美しい言語をとつて、その儘(まま)、国語に採用してはどうかと考へてゐる。それにはフランス語が最もいいのではないかと思ふ。六十年前に森有礼(ありのり)が考へた事を今こそ実現してはどんなものであらう。不徹底な改革よりもこれは間違ひのない事である。森有礼の時代には実現は困難であつたろうが、今ならば実現出来ない事ではない。反対の意見も色々あると思ふ。今の国語を完全なものに造りかへる事が出来ればそれに越した事はないが、それが出来ないとすれば、過去に執着せず、現在の吾々の感情を捨てて、百年二百年後の子孫の為めに、思ひ切つた事をする時だと思ふ。」(『資料 日本英学史2 英語教育論争史』)

ここで言及されている森有礼は政治家で、日本の言語を英語にしたらどうかと提起したことがあります。それに対し志賀直哉は、「日本の国語をフランス語にすべきだ」と主張したのです。

実は志賀直哉はフランス語ができませんでした。それでも「フランス語に」と訴えたのは、彼なりにフランス語の音の響きの良さや、数多くの文学者を輩出していることを高く評価したからなのです。

フランス語を守る「アカデミー・フランセーズ」

フランス人はフランス語に誇りを持っています。よく日本人観光客がフランスで英語で話しかけたところ、相手が英語を知らないふりをしたというエピソードがあります。いきなり英語で話しかけてくるというのは、「英語が世界の共通語だ」と思っているからではないか。世界一美しい言葉はフランス語なのであり、誰でも英語を解すると思い込んでいるのは間違いだ。そう思っている人たちが、こういう反応をするのではないでしょうか。

私の場合は、まずは「ボンジュール」とフランス語で話しかけてから英語に切り替えると、相手も英語で対応してくれます。本当はフランス語で話しかけたいのだけれど、それができないので英語に切り替えます、と謙虚に接すれば、フランス人のプライドを傷つけないで済むのです。

フランス人が、断固として英語を使わないようにしていることについて、フランスで経済学を研究していた小田中(おだなか)直樹氏は、次のように記しています。

〈「コンピュータ」や「ソフトウェア」は英単語です。でも、日本ではそのまま片仮名で表記していることからも推測できるとおり、どちらもいまでは世界中で通用する共通語になっています。それを、わざわざ「オルディナトゥール」とか「ロジシエル」とかに翻訳するというのは、一体どういうことなのでしょうか。

コンピュータ関連の単語を中心として、フランスにも大量の英単語が流入しています。ところが、フランスでは、それらをフランス語に翻訳するという作業がつづいています。それをになう機関が「アカデミー・フランセーズ」です。アカデミーは、「コンピュータ」や「ソフトウェア」のみならず、「エレクトロニック・メール」や「データベース」も、むりやりフランス語に直しています〉(『フランス7つの謎』)

英語が世界を席捲(せつけん)することを面白くなく思っているフランス人は、断固としてフランス語を使い続けようとしているのです。

ちなみに「アカデミー・フランセーズ」(フランス学士院)は、1635年にブルボン朝のルイ13世の下で宰相(さいしよう)を務めていたリシュリューによって設立され、現在も続く学術の最高機関です。当初の目的は「フランス語を誰にでもわかる国語として純化させて統一する」というもので、定期的にフランス語の辞書を編纂して公刊しています。

日本も明治維新の頃は、国内に入ってくる外来語をひとつひとつ日本語に置き換えていました。たとえばエコノミーは「経済」、コンペティションは「競争」、フィロソフィーは「哲学」というように。しかし、もはや日本語に翻訳しようという動きはほとんどなく、英語をそのままカタカナで表記するばかりです。カタカナには、そういうことが可能になる機能がありますが、自国語を大切にしようとしているフランスの文化政策から学べることもあると思うのです。

(#3に続く)

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