足利のお月見 けんちん汁とサンマを食べるのはなぜ 足利学校と鎌倉・建長寺が関係? 地元に「当たり前」の感覚

けんちん汁とのつながりが深い「史跡足利学校」

 「足利でお月見にサンマとけんちん汁を食べるのはなぜなのか、気になります」。下野新聞「あなた発 とちぎ特命取材班」(あなとち)に疑問の声が寄せられた。駆け出し時代を足利市で過ごした記者。「この疑問には自分が答えるしかない!」と意気込み取材に乗り出すと、足利とけんちん汁の古くからのつながりが見えてきた。

 農林水産省のホームページによると、けんちん汁の発祥には諸説ある。神奈川県鎌倉市の建長寺で作られる精進料理の「建長(けんちょう)汁」が、いつしか「けんちん汁」と呼ばれるようになったという説などが有力とされる。

 足利市教委などによると、足利学校の校長である歴代庠主(しょうしゅ)には、建長寺などの僧侶が多く就任してきた。建長寺からやってきた僧侶によって持ち込まれたけんちん汁が、庶民にも広まっていった可能性があるという。

 足利市史をひもとくと、1978年刊行の市史には、年中行事の月見について書かれた部分に「十五夜や十三夜にけんちん汁などを供える」という説明があった。足利学校では、11月23日に行われる伝統行事「釋奠(せきてん)」後に、供えた野菜などを使ったけんちん汁を振る舞っていたといい、足利市伊勢町3丁目の飲食店「勉強亭本店」では、アジフライとけんちん汁をセットにした「学校さま汁定食」が提供されている。

 史跡足利学校の大澤伸啓(おおさわのぶひろ)学芸員(64)は「十五夜やえびす講のとき、けんちん汁とサンマを食べるのは“当たり前”の感覚」と話す。

 大澤学芸員は、けんちん汁と秋の祭事の関係について「秋の恵みに感謝し、取れた野菜を煮て食べる考えが古くからあったのではないか」と分析する。サンマについては「確かなことは分からないが、旬の魚だからではなかろうか」とした。収穫への謝意が連綿と引き継がれてきた可能性には、納得がゆく。

 県立博物館によると、文化庁が69年にまとめた資料の月見の項目では、足利市(本町)で「夕飯にはけんちん汁、サンマなどを焼いてごちそうを作って祝う」とある一方、県内の他の地域でけんちん汁やサンマを食べるという記述はない。

 同館人文課の担当者は「足利以外であまり事例は見つからないが、他の地域でもハレの日に食べていた可能性はある」と説明する。

 全国の月見に目を向けると、かやの箸や大根2本を箸として供える地域があり、同館の調査では、足利市の隣の群馬県桐生市で「サンマを箸代わりに2本出す」と話した人がいたという。秋の恵みへの感謝は、地域ごとに個性が出やすいようだ。

 はっきりとした理由は分からなかったが、悠久の歴史を感じ、民俗文化の奥深さと面白さを垣間見た取材。疑問を寄せてくれた京都出身の足利市朝倉町、アルバイト北林夏(きたばやしなつ)さん(44)は「両毛地域には、当たり前のものとして珍しい風習が残っていることが分かった。ぜひこれからも残っていってほしい」と話した。

勉強亭本店の「学校さま汁定食」

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