【特別寄稿】パチンコ産業の歴史⑳ 「AT機」と「ストック機」の誕生(WEB版)/鈴木政博

創刊60周年記念にあたり、業界の歴史を振り返る意味において「パチンコ産業の歴史シリーズ」を再掲載しています。※この原稿は2012年1月号に掲載していた「パチンコ産業の歴史⑳」を一部加筆・修正したものです。

1. AT機の誕生
2000年5月、サミーより「ゲゲゲの鬼太郎SP」が「史上初のAT機」として発売された。前年1999年よりパチスロ機への「サブ基板搭載」が容認、山佐製「シーマスターX」に4thリールが搭載されたのを皮切りに、アルゼ製「デュエルドラゴン」、サミー製「ゲゲゲの鬼太郎」、ロデオ製「ガメラ」など液晶搭載機が立て続けに発売され、市場はサブ基板全盛期となっていた。

サブ基板は元来「出玉性能に関連しない、液晶表示や音、ランプなどの演出面を作動させるためのもの」として搭載を許可されたという経緯があった。しかし、サブ基板からメイン基板への信号の伝達は禁止されているものの、逆にメイン基板からサブ基板への「フラグの成立信号」の伝達は許可されていた。当初は、例えばレバー操作時に「チェリー」に当選した場合、液晶上に「チェリー」の告知を行い、狙って外れればボーナス濃厚などの「小役告知」機能として、またはボーナス成立時に「ボーナス確定」といった表示を行うなど、あくまで「演出面」で利用されていたに過ぎない。また逆に言えば、この「メイン基板からサブ基板への信号の伝達」が許可されていなければ、液晶上の演出は非常につまらないものになっていたことも事実である。しかし、あくまで「演出用」として機能していたサブ基板に、全く違う概念の役割をもたせたのがサミー製「ゲゲゲの鬼太郎SP」であり、これが2000年5月に発売されてから、パチスロ機開発の形相は大きく変化してゆく。

この「ゲゲゲの鬼太郎SP」には、「AT」と呼ばれる画期的な機能が搭載されていた。それまで発売された通常の機種であれば「ゲタ・ゲタ・ゲタ」など、同一図柄の3つ揃いで小役を構成する。そして目押しナシでも引き込むように配列し、この場合なら例えば9分の1程度の確率で小役を成立・入賞させ、9枚の払い出しをする、といった仕様が一般的だった。

しかしこの機種では「赤7・ゲタ・ゲタ」「青7・ゲタ・ゲタ」「黒7・ゲタ・ゲタ」とした変則小役を採用。左リールにはそれぞれの色の「7」が一つずつしか配置されていないため、例えば内部で「赤7・ゲタ・ゲタ」が成立していたとしても、左リールを「青7」や「黒7」近辺で押してしまうと、小役が入賞しない「取りこぼし」が発生する。そのうえで、小役確率を3倍の3分の1にした。通常時はどの小役が成立しているか判別できないため、普通にプレイすると3回に2回は取りこぼしてしまう。従って実際に入賞するのは、やはり9分の1となる。

しかしAT(アシストタイム)が発動すると、どの小役が成立しているかを教えてくれるようになる。左に「赤7」「青7」「黒7」のどれを狙えば良いのか、内部で成立している小役を表示するため、AT中は指示通り左リールを目押しさえすれば3分の1で9枚役が入賞することになる。このように、メイン基板からサブ基板へ小役成立信号が伝達されている点を利用し「内部では小役確率は全く変化していない」にもかかわらず、実際には「指示どおり目押しするだけで3倍も小役が入賞する」という特殊な状態を生み出すことに成功した。これが「AT」という概念の始まりであり、同時に「サブ基板の制御」が「出玉率に直接影響を与える」という前代未聞のゲーム性が生まれるきっかけとなった瞬間だった。

ただしこの機種は、AT中のベースは約100%でコインが増える性能ではない。この当時のAT機に関していえば、あくまで次のボーナスまでコインを減らさないための機能、といったゲーム性に過ぎなかった。しかし、これを覆したゲーム性を引っさげて登場したのが、2000年9月に登場したサミー製「ディスクアップ」である。AT機能に加えて、リプレイ確率がアップする「RT」を複合させた「ART」という機能を搭載。このART中のベースは150%となっていたことから、ついに「AT(アシストタイム)でコインが増加する」時代へと突入することとなる。

ゲゲゲの鬼太郎SP
(サミー製)
©水木プロ・ソフトガレージ

ディスクアップ
(サミー製)

のち2000年11月にはエレコ製「イーカップ」が「初の押し順ナビ搭載機」として発売。この「目押しナシで押し順ナビに従うだけ」というATのゲーム性は、以降のパチスロ界において非常に大きな影響を与えることになるものの、残念ながらこの「イーカップ」自体はAT中のベースが100%でしかなくコインが増えるものではなかったため、大きなヒットには至らなかった。

そして年が明けた直後の2001年1月10日。伝説となった回胴式遊技機である、サミー製「獣王」がついに発表される。「スーパーAT」と名付けられたこのATは、1ゲームの純増枚数が10枚、10ゲームまたは30ゲームのセットで獲得枚数は100枚または300枚程度であるものの、実はこのAT自体が激しい連続性を持っており、一撃数千枚、一日の差玉で10,000枚の獲得もありえる、という爆発性を秘めたゲーム性を抱えていた。アシストに従って目押しをした場合、設定6での平均獲得枚数は理論値で7,500枚程度、出玉率で約140%という脅威のスペックであり、パチスロ業界に一大旋風を巻き起こす大ヒットとなった。

以降、各メーカーから続々とAT機が発売され「AT全盛期」を迎えた。獣王発売から約一年後の同年12月には、「スーパーAT」に「押し順ナビ機能」を併せ持った機種としてロデオ製「サラリーマン金太郎」が発売され、こちらも大ヒット。翌2002年になると、さらに通常時のベースをカットし、射幸性を限界まで高めたサミー製「アラジンA」や、ミズホ製「ミリオンゴッド」などが競うように発売され、ホールでは一日の差玉で50,000枚を越す事例までもが出現しはじめた。「等価で100万円」という異常事態から、ホールの一部コーナーは明らかな鉄火場へと化してゆく。こうして爆裂AT機時代は頂点を極めた。

獣王
(サミー製)

2. ストック機の誕生
一方で、遡ること2000年10月、初のAT機「ゲゲゲの鬼太郎SP」が発売された同年に、ネット製「ブラックジャック777」が発表されていた。こちらは「リプレイタイム」という機能が搭載され、リプレイタイム中に引いたボーナスは全てストックされる、というゲーム性が市場で話題となった。この機種が「ストック機」の原点となる。そして、この機能を革新的に進化させたものとして、翌2001年9月に山佐製「スーパーリノ」が発表される。こちらのリプレイタイムは、表面上はリプレイが揃いやすくなるものではないため、通常プレイと変わりなく進行していく遊技の中で人知れずボーナスがストックされていく、というもので、その機能を初の「サイレントストック」と名付けられて発売。「合法的な貯金方式」として、以降さまざまな機種にこの機能が採用されていく。AT機全盛の一方で、このストック機も存在感を示し、双璧を成していった。こうしてホールではパチスロ史上類を見ない、最大のムーブメントが巻き起こっていった。

それでは、なぜこれら「AT機」や「ストック機」が適合し発売されるに至ったのか。その理由や、以降「検定取り消し」なども含め規則改正へ向かう流れについては、次号に記述を譲りたい。

スーパーリノ
(山佐製)

(以下、次号)

■プロフィール
鈴木 政博
≪株式会社 遊技産業研究所 代表取締役≫立命館大学卒業後、ホール経営企業の管理部、コンサル会社へ経て2002年㈱遊技産業研究所に入社。遊技機の新機種情報収集及び分析、遊技機の開発コンサルの他、TV出演・雑誌連載など多数。

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